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「ヤンキーとエリートの命に差が生まれる?」人工知能が問う倫理的思考

佐藤優(作家/元外務省主任分析官)

2021年10月29日 公開 2022年12月15日 更新

 

絶滅危惧種を助けるのは本当に良いこと?

数年前から、ニホンライチョウの種の保全をどうするかが問題になっています。日本は国家プロジェクトとして、ニホンライチョウの人工飼育を行なっていて、環境省の公式ホームページには「ライチョウ保護増殖事業実施計画」というページもあるんです。

それによると、1980年代の調査では約3,000羽いたのが、現在は2,000羽以下に減っているんですが、その理由として、ライチョウを捕食するキツネやカラスの分布が広がったこと、サルやニホンジカの行動範囲が広がって、ライチョウの食糧である高山植物の芽を食べてしまうこと、登山ブームで感染症菌が入り込んでしまったことなどが挙げられています。

絶滅危惧種だから保全をしなければいけないと、このプロジェクトをやっているんですが、問題は「種の保存」という考え方です。東京・吉祥寺にある井の頭公園は、2014年から毎年、池を水抜きして日干しにする「かいぼり」を実施していますが、これも外来生物を殺して、日本の固有種を残すことが目的です。

こういった話を聞いて違和感を抱く人は少ないでしょう。それは、天然記念物や絶滅危惧種は種の保存をしなければいけないという考え方を、当たり前だと受け止めているからです。でも、これを人間に適用したらどうなるでしょうか?

人口調査をして、日本の固有種の人間だけに市民権を与え、それ以外は排除する、ということをしたらどうなりますか? ナチスがやったことと同じになってしまいます。「動物の権利」は、種の保存という点から考えていくと、ナチズムの優性学と通じるところがあります。

動物に権利はないという考えは、デカルトからきています。動物は機械にすぎないから痛みも感じないし、人間は動物を好き勝手に使って構わないという認識です。それに対して、動物の権利は保護されなければいけないという認識は、根っこにキリスト教があります。

トマス・アクィナスやルターは、動物には痛みがあると考えていました。欧米人がイルカやクジラの保護をうるさく言うのは、イルカは人間のように恐怖を感じることができるから、不必要な苦痛を与えてはいけないという考え方にもとづいています。

また、動物の権利を尊重するというのなら、犬や猫といったペット、牛や豚といった家畜は、人間の保護なくして生きることができないから生態系に反している、ペットや家畜には権利がないのではないか、という議論にも発展していきます。

動物の権利は、動物と人間を分けているものは何か、人間とは何か、という問題にまで派生していく、ひとことで言い表せられないおもしろい問題なんです。

 

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