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「気ままなその日暮らしから一転、20代で大腸ガンに」どん底を支えた保護犬との絆

2021年12月20日 公開

ベン・ムーン(著),岩崎晋也(訳)

デナリ
(c)Vivian Moon

人生には、さまざまな困難に見舞われる時がある。生活が苦しい時、生命の危機にさらされた時、心が壊れそうになった時...しかしどんな時でも自身を信じ無償の愛を注いでくれる存在がひとりでも、一匹でもいてくれたら、希望を失わずにいることができる。

20代の青年、ベンもそんなひとりだ。カメラマンとしての成功を間近に突如襲い掛かった大腸ガン。苦しい闘病のなかで唯一の希望だったのは、常に寄り添ってくれる相棒のデナリだった。

※本稿は、ベン・ムーン著「デナリ ともにガンと闘い、きみと生きた冒険の日々」(&books/辰巳出版)から一部抜粋・編集したものです。

 

動物保護施設で運命の出会い

11月のある日曜日、近所の動物保護施設に行こうとメラニーに誘われた。犬を飼えるようになったときのためにどんな犬種がいるのか調べてみよう、と。行かないほうがいいという心の声を打ち消して、ぼくは「ボニー・L・ヘイズ・アニマルシェルター」に一緒に行った。

寒々しいコンクリートの通路を歩いていると、鳴いたり吠えたりしている犬たちの騒々しさに圧倒された。通路の右側にはまだ目の見えない子犬たちがたがいに重なりあうようにして這いまわり、左側からは捨てられた成犬たちが恨めしそうにこちらを見つめている。

ぼくはたちまちその場の絶望と、消毒剤の鼻をつくにおいに打ちのめされてしまった。この悲しい場所から逃げだすことしか考えられなくなった。出口を探して、ケージの並んだ通路を急いで通りぬけようとした。

そのときだった。静かな視線を感じて、思わず足が止まった。ぼくの目の高さのケージに子犬が一匹だけで入れられていて、すわってぼくをじっと見ている。何か問いたげな、静かな存在感にぼくははっとし、心が動きを取りもどした。

――やっと気づいてくれた。

子犬がそう語りかけてきたように感じた。そうして完全にぼくの気を引くと、首をかしげ、柔らかそうな耳を片側に倒して、茶色の瞳でぼくの目をじっとのぞきこんだ。

――ここから連れ出してくれないかな。ここの臭いと騒々しさにはうんざりなんだ。

その落ち着きはらった視線には、やがてぼくがよく知ることになる大人びた性質がすでに感じられた。

子犬がぼくの胸に体を預けてくると、心に愛おしさがあふれてきた。ぼくはめったにない友情の始まりを感じていた。

ぼくはその子犬をデナリと名づけた。アラスカの偉大な山からとった名前だ。"デナリ"とは、コユコン族の言葉で"高い山"を意味している。それに、ぼくが自分の人生に望んでいた"自然の荒々しさ"という意味もあった。

 

「ダートバグ」としての自由な生活

ぼくとデナリは贅沢をせず、冒険を追い求める仲間たちと行く先々で会ったり別れたりしながら緩やかなつながりを保つライフスタイルに落ち着き、アメリカ西部を旅してまわり、岩山を登ったりサーフィンをしたりした。

"ダートバグ"とは、暮らしの快適さや決まった給料を受けとる安心感や持ち家などよりも、アウトドアで過ごす時間を大賛切にする人々に対する称賛をこめた呼び名だ。さまざまな面で、シンプルで気楽な暮らしができるが、それなりに大変なこともある。

"ビッグブルー"と名づけたぼくのキャンピングカーを停められる静かな場所を探すのは、毎日ひと苦労だった。安定した収入もなく、稼ぎは新米フリーランス・カメラマンとしてのわずかな印税だけで、車の燃料や、フィルムと現像の費用、ぼくとデナリの食費をまかなうのは大変だった。

それでも、うるさい都会から遠く離れた、自分が選んだ場所で目を覚まし、その日の天候しだいで何をするかを決める生活は魅力的だった。

2002年12月のある夕方、ぼくは公園内のヒドゥン・バレー・キャンプ場で、キャンプファイヤーを囲んでいた。ぼくとデナリ、それに同じ場所にキャンプを張っているクライミングパートナー、ヘイヴンとボーが一緒だった。

たき火に薪をくべようと立ちあがったとき、あかあかと燃える火がぼやけて見え、ぼくは膝から崩れて花崗岩の粗い地面に倒れた。気がつくと車のなかで寝ていて、デナリが顔を寄せ、心配そうに頬を一生懸命なめていた。同じように心配そうにのぞきこんでいるボーを見て、自分が気を失ったのだと気づいた。

軽いめまいのせいだということにして不安をはねのけ、食事に鉄分が足りていないからだとつぶやいた。

翌朝には、倒れたことはもう半分忘れていた。朝食を済ませると、公園の簡易トイレに入った。ヘイヴンとボーは先にその日登る壁面に向かっていた。トイレは狭くて猛烈に臭く、そこからさっさと逃れて仲間に追いつこうと、あわてて用を足した。尻を拭ったとき、全身が固まった。臭気のなかで息をのんで下を見ると、真っ赤な血が紙にべっとりとついていた。

ぼくは仰天して、混乱したままキャンプまで荷物を取りにいった。何事もないかのように行動したつもりだったが、デナリはいつものように異変に気づいた。ぼくは地面に膝をつき、デナリの耳を撫でた。「大丈夫だ、ディー。たいしたことじゃないよ」

不安そうな顔...どうしたんだ? 何かがおかしい。

デナリはそんな風に思っていたのかもしれない。

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