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「生まれたときから貧困の地域も」日本人事業家が単身でタンザニアに渡った理由

角田弥央(株式会社Darajapan代表取締役)

2022年03月13日 公開 2022年12月12日 更新

「生まれたときから貧困の地域も」日本人事業家が単身でタンザニアに渡った理由

タンザニアの社会課題を解決するために、1人で奮闘する女性事業家がいる。株式会社Darajapan代表取締役の角田弥央氏は、日本の薬学部を卒業したのち単身で現地へ移住。有機ゴミや糞尿等を原料とした新バイオマス燃料を生み出す研究「バイオブリケット」を進めるかたわら、ゴミ問題をはじめとした環境・公衆衛生の改善に取り組んでいる。

なぜ角田氏はアフリカへ赴き、現地の社会課題の解決に乗り出したのか。話を伺った。(聞き手:岩谷菜都美/編集部)

※本稿は『Voice』2022年2⽉号より抜粋・編集したものです。

 

「枠」にはまった生き方から飛び出したい

――角田さんがタンザニアで起業されるまでの経緯を教えていただけますでしょうか。

【角田】自分でいうのも憚られますが、親が教育熱心だったこともあり、私は絵に描いたような優等生だったと思います。でも中学生のころから、枠にはまって生きる自分の生き方に対して、次第に葛藤を抱くようになったんです。

そして親の方針もあり、高校卒業後に自衛隊の幹部候補生になりたいと考え、防衛大学校を受験し合格しました。もともと何事にも使命感を抱く性格だったのと、「人の役に立ちたい」という想いをもっていたので、自分に向いていると思ったためです。

ところが、入学を直前に控えたころに、さまざまな世界情勢を耳にし、「本当に自分はこの道で良いのだろうか」と疑問が湧いてきてしまいました。結局のところ、入学は辞退。そして、それまで押し殺していた気持ちが表れたかのように、躁うつ病を発症しました。ほどなくして精神科に通い始めましたが、そこで出会った主治医の方が、私の人生を大きく変えたのです。

その先生はドイツや米国の医療を学んだ方で、薬に頼らず食事・運動療法などで心をケアしてくれました。私からすれば、なぜ薬を使わずに治療ができるのか不思議だったのと同時に、そもそも人はなぜ薬に頼るのだろうと思うようになった。その疑問を解決するためにも、大学に進学して薬学部で勉強しようと進路を変更しました。

――その後、海外での活動を志すようになったのはなぜでしょうか。

【角田】大学1年の夏、旅行で訪れたインドネシアでカルチャーショックを受けたことがきっかけです。同国のレンベ島に滞在した際、いまにも壊れそうな古びた薬局があり、必要な薬も手に入らない現実を目の当たりにしました。生まれた環境で人生がここまで左右される。自分に何かできることはないかと考えるようになりました。

それからは必死で英語を勉強して世界中を1人で周るなど、いままでとは人が変わったように活発に活動しましたね。そして、無我夢中で動き回っているなかで、日本国内だけではなく発展途上国を含めた海外で活動をしていきたいというビジョンを描くようになったのです。

――タンザニアをはじめて訪れたのは、大学生時代のインターンシップだったと伺っています。

【角田】日本で出会ったタンザニア人の方とのご縁で、衛生環境調査プロジェクトに参画しました。具体的には、現地の衛生環境の整備・調査について学びました。とくに興味を抱いたのが、予防医療や公衆衛生です。当時の経験は私にとってかけがえのないもので、帰国後は人材系メガベンチャーに勤める傍ら、アフリカの衛生状況を調査し続け、2020年の3月にいよいよタンザニアで起業する準備のために独立しました。

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