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生き方

「いい人」を素直に受け入れられない進化論的な原因

石川幹人(明治大学教授)

2022年03月15日 公開

 

現代社会は私たちの遺伝情報とズレている

再び「いい人」に話を戻しましょう。狩猟・採集時代の集団の中で「仲間を助ける協力行為を積極的にする人」を、私たちは生得的に「いい人」だと感じやすいと、先ほど述べました。逆に、協力のバランスを欠く行為が「嫌な人」感に繋がります。

そう言われるとそうかな、と納得する人もいるかと思いますが、問題は、そうした狩猟・採集時代のような協力集団は、現代にはもう存在していないということです。小さな集団の中で生まれ、その集団の構成員とだけ付き合い、一蓮托生の仲間として苦楽を共にして生涯を終える。そんな徹底した共同生活は、現実にはもうあり得ないでしょう。

人々は小規模集団内で生活するスタイルから、さらに多くの人員と直接的ないしは間接的な協力をして生活をするようになったのです。狩猟・採集時代の集団は、全員家族であり親族であるような、嘘のない気楽な人付き合いであっただろうと推測されますが、文明社会は異なります。複雑な社会的契約やルールの下に、多様な背景と文化を持つ人々と共同して生活をしなくてはなりません。時には嘘や建前を駆使し、集団内のさまざまな構成員に気を配る必要があります。

そのような生活環境の中では、同じ行為一つとっても、ある状況で行えば協力だと見なされる行為が、別の状況では協力のバランスを欠いた行為となってしまうのです。また、自分では協力していると思っていても、他者からは協力的ではないと見えることもあります。

これが現代で起きている人間関係の衝突や葛藤の根源です。現代のような文明社会で、狩猟・採集時代に獲得した生得的な反応を有したまま「いい人」として行動していると、困ったことになります。周囲の人は、「あの人は頑張っているけれど、なんとなく釈然としない」「いい人ぶりたいだけで実際にはそうではない」と感じやすくなります。

また、本人にとっても「人に尽くしているつもりなのに人が離れていく」「思ったような好意的反応が得られない」という苦痛が生じます。いま1度、自分や相手の行為が、狩猟・採集時代であればどのような意味を持っていたか、それが現代ではどんな意味を持つのか、顧みる必要があるでしょう。

 ヒトが生得的に持っている資質や特性と、現代社会の仕組みや構造がズレていることによって生じた問題を私は、「生物学的文化齟齬(Biological Culture Discord )」と呼びます。

ヒトとしての脳が形成されたのは、狩猟・採集時代です。その頃は、身近な人々とほとんど一生互いに助け合って暮らしていく生活環境でした。脳が指令するヒトの行動は、そのような環境において協力関係がうまくいくように、おのずと最適化されているのです。

ところが、現代の社会環境はどうでしょう。そうした密な協力集団は皆無というわけではありませんが、すっかり影を潜めてしまっています。おまけに協力関係が流動的で、時には不明瞭です。そんな現代では、狩猟・採集時代に身につけた脳の指令に従っていてはうまくいきません。

言うなれば、現代人は皆、文明社会に適応できないためにさまざまな問題を抱えてしまっているのです。たまに、「自分は生きるのに向いてない」「社会に適応できない」と自虐気味に語る人もいますが、みんなが気がついていないだけで、それは現代人全員が抱えている問題です。決して、自閉症やADHDなどの発達障害を持った人や、引きこもりなど特定の人たちにのみ降りかかった生きづらさではないのです。

 

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