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寛永期の印刷術がきっかけ?日本語に「句読点」が生まれた歴史的背景

山口謠司(大東文化大学文学部教授)

2022年04月14日 公開

 

「古活字本」とは

それでは、いつ頃、現在の「、」と「。」の記号は使われるようになるのでしょうか。

きちんとした形で使われるようになるのは、明治時代に学制が敷かれ、文部省が日本語表記の基準を作ってからのことです。「、」と「。」の出現の前に、実は「・」と「。」が現われました。それは、江戸時代の初期、古活字による印刷を経て、「製版本」が出現する時です。

文献学、書誌学に関わることですが、少し「古活字本」と「製版本」について説明をしておきましょう。

なぜなら、本の作られ方と「てんまる」などを含めた日本語の表記の歴史は、不可分ではないからです。

天文18(1549)年のフランシスコ・ザビエルの来日以来、寛永16(1639)年の鎖国まで、我が国では天草や長崎などで、いわゆるキリシタン版と呼ばれる書物が西洋の印刷技術によって出版されました。これを行なった人たちは、ザビエルも含めてすべてイエズス会士の人たちです。

この西洋の印刷技術は、活字を鋳造して、それで組版を行ない、プレス機を使うというものです。

我が国では室町時代まで、書物といえばほとんどが手書きで写される「写本」だったのですが、このキリシタン版の影響を受けて、日本語でも〈ひらがな〉〈カタカナ〉〈漢字〉の活字を作ってこれを本文として並べ、組版にするということが行なわれるようになります。

我が国の場合は、金属活字ではなく、木片を利用して彫った「木活字(もっかつじ)」がほとんどでしたが、この方法によって印刷されたものが「古活字版」と呼ばれるのです。

それから、もう1つ朝鮮半島で行なわれていた銅を使った鋳造活字が、文禄の役の時に持って来られたことも、我が国で古活字版が作られることになった大きな原因でした。

後陽成天皇は、この活字を利用して「慶長勅版」と呼ばれる一連の本を出版します。

古活字版が作られたのは、およそ1590年の慶長勅版から、寛永の後の正保(1644〜1648)・慶安(1648〜1652)頃までです。

 

本文の揺れをなくす

この古活字による出版の時代に、日本語の文体は整えられて、非常に読みやすくなっていきます。

これは、ヨーロッパの文献学史でいわれる「揺籃期」に匹敵する現象です。「揺籃(ようらん)」とは「ゆりかご」のことですが、まさにゆりかごのように、本文を揺らすことをいうのです。

もともと写本で書かれたものは、伝写の際の過誤、注釈などの混入によって、テキストに変化が起こります。

こうして伝わったさまざまな写本を比較しながら、活字で組み、識者に依頼して校正を行なえば、時代に合ったテキストができあがります。活字版が便利なのはテキストの間違いを訂正するのに、活字を変えればいいからです。

写本は、貴族や僧侶など一部の知識人によって伝えられたものです。

本は江戸初期まで非常に珍しいもので、庶民は簡単に手に入れることができませんでした。ところが、古活字版を迎えて以降、次第に読者層が広がってきます。

しかし、貴族階級と庶民の言葉では、かなり違いがありました。貴族は庶民の言葉が分かりません。その逆もしかりです。これは明治まで続きました。

その後、庶民の中から学者が登場し、それまで貴族・僧侶などのみによって伝えられた本文が庶民にも分かるような形で整えられていくのです。 

学者がゆっくりテキストを揺らしながら、貴族・庶民の両方に分かるような折衷した言葉を使うことによって、テキストの揺れをなくして定着させること、これが「揺籃」なのです。これはヨーロッパも同じでした。

古活字版とそれ以前までの写本を比較していくと、こうした事実が見えてくるのですが、古活字版がなくなると同時に現われる「製版本」と古活字版を比較すると、またおもしろいことが分かってくるのです。

製版本というのは、1枚の版木に、版下を貼りつけ、それを彫刻刀で彫ったものです。

活字を組むより、1枚の板に本文を刻みつけ、それに墨を塗って印刷する製版本のほうが手間がかからず、印刷を行なうにしても固い版木で作っていれば、数千枚刷っても版面が摩滅しないという利点があったのです。

 

製版本から始まる「てんまる」

さて、写本の時代のような、大きな本文の揺れ幅をなくすテキストの調整ということが江戸初期の古活字版の目的であったとするならば、本文を読む際の誤りがなくなるように「てんまる」のような記号を採用することも、考えられたのではないかと思います。

特に、すでに触れたようにキリシタン版の印刷に関わったのはイエズス会の人たちでした。日本語で印刷されたキリシタン版には「てんまる」は採用されていませんが、天正19(1591)年に長崎の加津佐(かづさ)で出版された、ローマ字を使って書かれた『サントスの御作業の内抜書(うちぬきがき)』には、コンマやピリオドが使われています。

平安時代初期の「ヽ」から鎌倉時代の「・」と、ヨーロッパから伝えられたコンマとピリオドが、江戸時代前期、慶安の頃に「・」と「。」を生んだのではないかと考えられます。

室町時代から江戸時代前期の物語の専門家であった横山重(しげる)は、江戸時代初期に出た『きのふはけふの物語』で、「神宮文庫蔵、古活字十行本には、句読点がついていない。が、寛永13年版本には句読点がついている」と書いています。

江戸の極初期に出版された古活字版に、「、」「。」がついていないのは、活字として句読点が用意されていなかったということからも明らかです。

しかし、寛永13(1636)年に出版された製版本には、すでに「、」「。」がついています。非常に興味深いことだと考えていいでしょう。

 

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