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アントニオ猪木は北朝鮮で“国賓級”だった?現地で38万人を熱狂させた「平和の祭典」

原悦生(カメラマン)

2022年05月03日 公開

アントニオ猪木は北朝鮮で“国賓級”だった?現地で38万人を熱狂させた「平和の祭典」

アントニオ猪木は、移民先のブラジルに遠征で訪れた力道山に可能性を見いだされ、プロレスラーとなった。

時は流れ、1995年4月。政治家となった猪木が、力道山の故郷である北朝鮮で「平和の祭典」を開催した真意とは、何だったのだろうか?

「あの日、猪木は北朝鮮でその「力道山」になっていた…。時代が違っていても、あの場には同じ熱狂が生み出されていた」現地に同行取材したカメラマン・原悦生氏が歴史的なイベントの裏側を明かす。

※本稿は、原悦生写真&著『猪木』(辰巳出版)より、内容を一部抜粋・編集したものです。

 

師匠・力道山が繋いだ北朝鮮との外交

猪木の世界的な規模での活動は、ソ連、中南米、中東に留まらなかった。

1995年4月28日と29日、朝鮮民主主義人民共和国の平壌で行われた『平和のための平壌国際体育・文化祝典』も大きな注目を集めた。

今も変わらないが、日本という国は長年、横田めぐみさんらの「拉致問題」を抱えてきた。北朝鮮で平和の祭典が開催されたのは、まだ小泉純一郎総理が電撃訪朝する前である。

拉致被害者の家族会は歴代の政権に問題解決を訴えていたが、なかなか進展しない。そこで猪木に相談するため議員会館に来ていた。猪木が北朝鮮でプロレスイベントを開催したのは、この国が師匠・力道山の故郷だというだけでなく、拉致問題進展の一つのきっかけになれば、という思いがあった。

当時、日本において北朝鮮は「隔離された国」というのが一般的なイメージだったろう。この時点では消されていたが、以前はパスポートの最初の証明写真のページに外務省からお願いのようなものが書かれてあり、そこには英語で「北朝鮮を除く」という一文が添えられていた。

国交がないので、このパスポートでは入れないという意味である。この時も今も日本と北朝鮮を往復する直行便はない。まず中国の北京に行き、現地にある北朝鮮の大使館で渡航の手続きをしてから飛行機で向かうしかない。

それまで猪木は政治家として、そのルートで北朝鮮に何度か渡航していた。猪木の話によると、力道山が現地に残してきた娘の夫が政府の要職に就いていて、そのラインから北朝鮮を訪問していたという。

「向こうに行ったら、力道山の白黒の試合がテレビで流されていたよ」

猪木から、そんな話を聞いたことがある。北朝鮮のテレビは1局だけ、国営の朝鮮中央放送しかない。もしかしたら、猪木の訪問に合わせて力道山の映像を放映していたのだろうか。

 

作家・村松友視氏も同行した「平和の祭典」

猪木と平和の祭典の話になった時、こんなことも言っていた。

「もっと早い時期にやるはずだったんだよ。でも、金日成首席が亡くなったんで延びちゃったんだ。イベントの時期を決めるために平壌へ行こうとしていたんだけど、その直前に亡くなったんだよ」

本来は当時の最高指導者・金日成とのラインができていて、もっと早い時期に北朝鮮でスポーツの祭典をやる予定だったという。しかし、金日成は1994年7月8日に急逝。国として1年間は喪に服すという理由で、延期されていたのだ。

日本から平和の祭典に同行するマスコミは、フリーランスの私を含めて約50人ほどいた。プロレス専門誌やスポーツ新聞の他、物珍しさから一般紙も飛びつき、さらに猪木と旧知の仲である作家の村松友視さんも参加した。テレビ朝日のスタッフも収録のために同行するので、通常の海外遠征と比べるとかなり多い。

大会の3日前、まずは猪木や村松さんを乗せたチャーター便が名古屋から飛び立った。飛行機は、北朝鮮の国営航空会社・高麗空港のものである。

翌日、私は別のチャーター便で新潟から平壌へ向かった。この日、先に現地に入った猪木は力道山の生家を訪問したようだが、残念ながら私はこれには間に合わなかった。

飛行機が平壌に近づくと、高麗空港のスチュワーデスが各席を回り始めた。もうそろそろ着陸態勢に入ることを伝えているのだろうか。私のところにもスチュワーデスが来て、流暢な日本語で話しかけられた。

「窓の日よけを閉めてください」

これはおそらく空港の上空写真を撮らせないための措置だろう。休戦中ではあるが、北朝鮮は隣の韓国と形式上は戦争状態にある。空港は軍事施設でもあるから、大学時代にエジプトへ行った時にも「写真を撮らないでください」と言われたことを思い出した。

現在は衛星写真で何でもわかるから、そういう注文はなくなったが、昔はこういうことがよくあった。

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北朝鮮のガイドから告げられた"予想外"の言葉

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