倫理学は、「本当によいこと」とは何なのか、そんなものはあるのか、あるとすればその基準は何なのか、などを考える学問です。みなさんの身のまわりには「嘘をついてはいけない」など、たくさんのきまりがあると思います。
このとき「どうしてそうなんだろう」と自分自身で考えてみることが大切です。倫理学は、難しくてもなんとか自分で考えて、少しでもよくあろうとすることの手助けになるものです。皆さんも「本当によいこと」について、一緒に考えてみませんか?
※本稿は、佐藤岳詩 監修/バウンド 著『こども倫理学 善悪について自分で考えられるようになる本』(カンゼン)より、内容を一部抜粋・編集したものです。
1億円をもらって、誰かを犠牲にしてもいい?
目の前にボタンがあります。そのボタンを押せば、あなたは1億円がもらえます。その代わりに地球上の誰かが1人犠牲になります。その誰かは全世界から適当に選ばれます。地球上には約79億人もいますから、あなたとはまったく関係のない見ず知らずの人が選ばれる可能性が高いでしょう。
そうしてヨーロッパやアフリカで誰かが犠牲になっても、遠く離れた場所の出来事なので、その人が犠牲になってしまったことすらわからず、悲しい思いをせずに済むかもしれません。
でも、どこかで誰かが必ず1人が犠牲になってしまうのです。
ここで少し見方を変えてみましょう。そのボタンを世界のどこかの誰かが押したら、その押した人は大金を手に入れる代わりに、誰か1人が犠牲になります。もしかしたら、その1人はあなたかもしれません。あなたの大切な人かもしれません。誰かが大金を手に入れるために、あなたが犠牲になるかもしれないのです。
あなたがボタンを押したいと考えているなら、ほかの「押したい」と考える人に「やめて!」と言う資格はあるでしょうか。では、あなたはボタンを押しますか? 押しませんか? なぜ押そうと思ったのでしょうか、もしくは押さないと思ったのでしょうか。
こんなとき、どうする? 有名な「トロッコ問題」
あなたの前を暴走するトロッコが走っていて、もう少しで線路が二方向に分かれるところに差しかかろうとしています。このまま進めば、線路上で作業している5人がトロッコにひかれてしまいますが、あなたがレバーを引いてポイントを切り替え、トロッコの進路を変えれば、そこには1人の作業員しかいません。もし、あなたがそのレバーを引けるのであれば、何を考え、どのような行動をするでしょうか。
これは「トロッコ問題」と呼ばれる、「ある人を助けるために、ほかの人を犠牲にすることは許されるのか」を問う有名な問題です。
何もしなければ5人が犠牲になってしまいます。もし、あなたがレバーを引くという選択をすれば、何もしなければ犠牲にならずに済んだ1人が犠牲になってしまいますが、犠牲者は少なくなります。このとき、5人が犠牲になるより1人を犠牲にしたほうが犠牲が少ないと考えるべきでしょうか。
5人を助ける代わりに、あなたの選択によって1人を犠牲にすることに問題はないのでしょうか。かといって、何もしなければ、5人が犠牲になるので悩むところです。
あなたはどちらの選択をしましたか。「どちらが正しいのか」だけでなく、「なぜ、その選択をしたのか」も少し考えてみてください。