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手塚治虫は経営に向かず借金10億円? 辛酸を舐めた天才クリエイターたち

真山知幸(偉人研究家)

2022年08月16日 公開

 

手塚治虫...金銭感覚メチャクチャ。それでも「一流のインプット」にこだわった

「マンガ家になりなさい」

医師かマンガ家か―。手塚治虫が悩んだときに、そう後押ししてくれたのが、母だった。手塚は『鉄腕アトム』『リボンの騎士』『ロック冒険記』と話題作を次々と発表。十数本の月刊の連載を抱え、さらに週刊誌でも描いている。

手塚にはある夢があった。それは、アニメスタジオを建設すること。まだテレビアニメが一般的ではない時代だ。だからこそ、手塚はいち早くテレビアニメを手がけたいと切望。マンガを量産しては、夢に投資していったのである。

そして1961年、手塚は満を持して、アニメーション専門プロダクション「虫プロダクション」を設立。テレビアニメ「鉄腕アトム」は、平均視聴率30%を叩き出すという好調ぶりで、アニメブームの火付け役となった。虫プロは続いて「ジャングル大帝」「リボンの騎士」「どろろ」と制作している。

コンテンツ力の高さから、虫プロの経営は安泰かと思われた。だが、アニメ制作には数多くの人員が必要となる。いつの間にか500人もの大所帯に膨れ上がった。

アニメ制作自体のコストも高く、徐々に経営が逼迫していく。そして経営陣の経験不足や、アニメーターたちの待遇改善要求もあり、虫プロは1973年に倒産。

すでに手塚は社長から退いていたものの、土地を担保に入れており、何億円という借金を抱えることになった。手塚は「この10年、虫プロヘ集まってきた連中ときたら、利権目当てであったり、自分を売り出したかったりで...」と悔しさをにじませている。

「ボクは10億円をつぎこみ、利用され、しゃぶられ、捨てられたんです」

倒産の背景には様々な事情があったにせよ、手塚の経営者としての資質に問題があったのは確かだろう。時間もコストも度外視して作品のクオリティを重視した手塚。そのこだわりは、経営においてはマイナスに働く場面も多かった。だが、手塚はその後もアニメに手を出している。

そもそも手塚は金銭感覚がメチャクチャだった。家族旅行をする際も「1番いいところに、1番いい方法で連れていく」ことにこだわり、家族10人のためにバスを1台チャーターすることもあった。

手塚について、長女のるみ子氏は「経営には向いていなかった」としながら、こんなふうに振り返っている。

「手塚は1分1秒を争うほど忙しいなかでも、誕生日やクリスマスに外食に出かけたり、夏休みに家族旅行に連れていってくれたりと、一生懸命家族との時間を作ろうとする父親だった」

マンガにアニメにと仕事に忙殺された手塚の意外な一面だ。手塚はよく「マンガからマンガの勉強をするな」として、インプットの重要性を説いている。

「一流の映画を観ろ。一流の音楽を聴け」
家族に最良のレジャーを体験をさせたのも、採算度外視でアニメに挑戦したのも、貴重な人生経験を何より重視したからこそだった。

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ウォルト・ディズニー、スピルバーグ、手塚治虫らが「人生の壁」を前に、どんな行動に出たのかを紹介した。 

エンタメ界において、これほどの成功を収めた人物ですらも、私たちと同様に「思い通りにいかない人生」に傷つき、それぞれの苦悩があった。偉人たちは、私たちとはまるで違う人間だから、人生の壁を乗り越えられたのだろうか。私はそうは思わない。

社会に出た大人こそ、偉人の人生から学ぶことは多い。 とはいえ、分厚い伝記を読むのはハードルが高いだろう。エッセンスだけでも知っておけば、いざというときの処方箋として役立つはずだ。

 

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