クヨクヨしてもしなくても、結果は同じ
クヨクヨしないための、大切なポイントを挙げます。
動くことはつねに、プラス、マイナス、2つの効果を生み出すということです。
なにかをするというのは、つねにメリットとデメリットを伴うのです。たとえばつらいときや自分の手に余るときに、だれかに助けを求める場合です。求めれば救われるかもしれません。でも断られるかもしれません。可能性は五分と五分です。
それからクヨクヨする人が心配するように、「情けないやつ」と思われるかもしれません。あるいは助けてもらうことで借りができたような、気持ちの負担が生まれるかもしれません。
でも「それくらいどうってことないよ」とか、「気にしないで、おたがいさまなんだから」といってもらえるかもしれません。これも可能性は五分五分です。
そういうときに、悪い結果ばかりを想像して、つらくても苦しくても助けを求めずに一人で頑張り続ければどうなるでしょうか?
うまくいくぐらいなら、最初から悩みはしなかったはずです。ものすごくつらい気持ちになって、「意地を張らないで助けを求めるんだった」と後悔する可能性があります。クヨクヨする人はとくにそうなのです。
「一人じゃムリだとわかっているのに、どうしてわたしは助けを求めなかったんだろう。もっと素直になって、頭を下げればきっとあの人だって手を貸してくれたはずなんだ」
そう考えて、またクヨクヨするかもしれません。結局、どっちに転んでも同じことですね。
動いて後悔するのがイヤだから、動かずに我慢してもそこでまた後悔します。クヨクヨする人は、動いても動かなくても自分が後悔するような気がするのです。だから決められません。すると、動けないまま時間だけが経ってしまい、それがクヨクヨを長引かせます。
幸運も災難も自分でつかめば納得する
──なにかをすれば、そのメリットとデメリットがつねに生まれる。
これは当たり前のことなのですが、クヨクヨする人はつい忘れてしまいます。
なにかをして悪い結果が出れば「動くんじゃなかった」と悔やみ、なにもしないまま気持ちがふさいでくれば「動けばよかった」と悔やむからです。
なにかをすることには、つねにメリットとデメリットがあると気づけば、「それなら動いてみよう」という答えをスパッと出すことができます。ためらうのはデメリットだけに目が行くからで、つねに「セット」としてメリットも用意されていることを忘れてはいけません。
つまり、動く前にメリットとデメリットを比べてもあんまり意味がないのです。
「失敗したら恥をかくだろうな(デメリット)」と思っていたのに、いざ失敗してもだれも気にしないことだってあります。「これがうまくいけばみんな注目するだろうな(メリット)」と思っていたのに、成功してもだれもほめてくれないことだってあります。
動いてみなければ、メリットとデメリットのスケールだってわからないのです。わかっているのは、つねにその両方が同居しているということだけです。
動かなければどうなるでしょうか。
クヨクヨするだけですね。なにも答えは出ないのですから、頭の中であれこれ想像して、「動けばよかったかなあ」と後悔することのほうが多くなります。動くことのメリットが大きく見えてくるのです。わたしたちには欲があるから、これは仕方ありません。
そこで小さなことでクヨクヨしないためには、自分で答えを出す気持ちが大事になってきます。幸運も災難も、どうせなら自分でつかむ気持ちになることです。
幸運をつかめば「やった!」と喜べます。災難をつかんだら「乗り切るしかない!」と腹が据わります。どっちにしてもクヨクヨすることはなくなります。