やらせてみる、そうして潜在的な才能が開花し、見えてくる
では、そういうものを持ったリーダーを教育によってつくれるのかというと、私はたいへん難しかろうと思っています。
私は「京セラフィロソフィ」を中心とする社員教育、幹部社員との対話をたいへん重要視してきました。そして、一人ひとりに、ああでもないこうでもないと、しょっちゅう話をしてまいりました。「おまえはここがなっておらん、ここを直せ。あそこを直せ」「こうであるべきだ」「ああであるべきだ」というようなことばかりを言ってきました。
これはまさにこの三十数年間、教育でリーダーをつくろうとしてやってきたことなのです。その私が、教育によってリーダーはつくれないのかもしれないと申し上げているわけです。
では教育は無駄なのかというと、そうではありません。それだけ話をしてきた結果、今言ったような素晴らしいリーダーこそ育たなかったかもしれませんが、立派な人たちがたくさん育ってきています。そういう意味では、教育は無駄ではなかった、有効であったと思っていますが、真のリーダー、真の経営者は教育によってできるものではなく、探すものなのかもしれません。
今後、私は教育ももちろんやっていきますが、この混迷する経済社会の中で、京セラという会社と関連会社を含む大きな企業集団を素晴らしい指導力で引っ張っていける人を、この社内から探さなければなりません。
それには、まだ未熟と思えるような人でもいいから、マネージャーをやらせてみるということが必要だろうと思います。やらせることによって、今まで見えなかった潜在的な才能が開花し、真の経営者が見えてくるからです。
今、素晴らしい経営者が最も必要なときだけに、その経営者を見つけるという意味からも私は本年以降、マンネリ化した事業をやっている職場については、どんどんマネージャーやリーダーを交代させていくことが必要だと思います。
また、そのようにして交代した場合でも、交代させられた人が必ずしもダメだというのではなく、敗者復活も十分あるようにする。一度痛烈な反省をした後、ひとまわりもふたまわりも成長して、改めて活躍する人もおられるはずですから、そういうふうに展開していければと思っています。