『崖っぷち母子、仕事と子育てに詰んで中国へ飛ぶ』著者の浦上早苗さん
新聞記者時代に子育てとキャリアの両立に悩み、2009年から6歳の子どもを連れて中国へ親子留学したという経済ジャーナリストの浦上早苗さん。当初は中国特有の距離の近さや大胆さに驚いたものの、おおらかな子育て環境に救われたといいます。いつの間にか、母親としてあるべき姿という固定概念を手放し、気持ちにゆとりが生まれてきたという浦上さん。浦上さんが中国への親子留学で得た気づきとは?(取材・文/大洞静枝)
出産後、マミートラックにはまるのを避けて中国へ親子留学
新聞記者時代の浦上さん
――新聞社勤務時代に出産され、その後キャリアと子育ての両立に悩まれて、中国へ留学したと著書で拝見しました。当時、女性が置かれていた時代背景について教えていただけますか?
私が出産したのは2003年のことです。 当時、私が働いていた新聞社は女性社員は少数で、 最後に所属していた経済部では、10人ほどの配置で女性は1~2人程度でした。さらに、新聞記者という職業柄、深夜までの残業は当たり前で、長く働けば働くほど偉いとされる風潮が強くありました。
ようやく女性が出産後に育休を取得し、復帰するケースが定着し始めてはいましたが、子ども1人育てるのが限界というところでした。女性で役職につく方も出始めていましたが、独身の女性がほとんど。結婚せずにキャリアを優先するか、子どもを産んで復帰後に「楽な配置」に移行するかのどちらかでした。
当時は、時短勤務も普及していなかったので、 出産すると会社の中では足手まといになるような空気感が多くの会社でありました。私は28歳の時に子どもを産んで、シングルマザーだったので、出産後にゆるく働くという選択肢がなかったんですね。この先のキャリアのことを考えると、「マミートラック」にはまるのが嫌だなと思っていました。
――キャリアとの両立に悩まれていた時に、育児を手伝ってくれていたお父様が入院されたことも留学のきっかけになったと拝見しました。
もともと、子どもを親に長時間見てもらって働くことに無理があると思っていました。その頃、リーマン・ショックを機に組織再編があり、その結果として土日や当直勤務が増えました。
保育園にも親にも預けられない時は、1日預かりの託児所を探すという綱渡りの日々でしたが、父の入院を機に、「今の働き方を続けることはできない」と痛感しました。ここで転職してしまったら今までの積み重ねてきたことが無駄になるとは思いましたが、日本での子育てに限界を感じてしまったんですね。
次のキャリアのことも考えてMBAを取得するために九州大学の大学院に入ったところ、たまたま中国への交換留学情報を目にしました。半年間だけ行ってみようと応募したのがきっかけです。中国語も話せないまま単身で留学して、その後、学費・寮費・生活費が支給される中国政府奨学金に応募して合格しました。結果的に会社を辞めて、当時6歳だった息子と一緒に留学しました。
女性も家計の責任を分担し、男性も家事をするのが普通
――留学してみて、中国と日本では働く女性を取り巻く環境や子育てに違いを感じましたか?
私が中国に留学したのは2009年だったのですが、驚いたことがいくつかありました。日本と中国で大きく違ったのは、家庭のあり方です。日本では「男性が働いて家族を支える」というスタイルが一般的でした。
しかし、中国は社会主義国家で、「夫婦共働きが前提」。夫も妻も働くのが当たり前で、どちらも働かないと家計が成立しません。共働きが当たり前だからこそ、男性も家事や育児に協力的な傾向があって、その点ではとても平等だと感じました。
日本とは社会的背景が全然違っていて、女性も稼ぐところをしっかり求められます。そのため、「稼ぐ女性のほうが結婚しやすい」という風潮もありました。逆に、稼がないと結婚は難しいです。だから中国の女性は、結婚の条件として、「私は料理が嫌いなので、料理が得意な男性と結婚したいです」と平気で言います。
女性の方が給料を多くもらっていても、男性は全然気にしませんし、むしろ尊敬する対象になるのです。日本では「女性が高学歴や高収入だと結婚できなくなるよ」と言われてきたので、カルチャーショックを受けましたね。
子どもの病気や休校も柔軟に受け入れる社会
――著書で、中国では子連れ出社や、急に休むことは当たり前というエピソードを拝見し、日本とは随分、違うなと感じました。
日本での子連れ出社は、保育園に預けられない週末などにやむを得ずしたことがありますが、本当は嫌なんですよね。子どもがちょろちょろ人のとこ行ったりすると、人に迷惑かけますし。
一方、中国では子どもの病気や学校の休校の際に、預ける人がいなかったら「会社には行けません」と気軽に言える環境でした。もちろん親がいる人は親に預けたり、それぞれのできる範囲でみなさん努力はしています。ですが、休んだからといって、周りに何か言われたり、気を遣ったりということはありませんでした。
そもそも制度も整っておらず、(当時は)病児保育がなかったので、子どもが病気になったら休むしかありませんでした。
後に中国の大学で先生をすることになったのですが、子どもを連れて行くこともありました。地域で一斉停電が起きた際に、仕方なく息子を大学に連れて行ったら、子どもが20人くらいいたこともありました。お互い様だから、子どもはみんなで面倒をみようという雰囲気はありましたね。
子どもの学校も突然休みになることがありました。大学の同僚が出勤の10分前に突然、「今日は自習」と休講にすることも珍しくありませんでした。また、産後2カ月で職場復帰をした同僚は、午前中の2時間だけ働いて帰宅するという勤務スタイルでしたが、誰も何も言いませんでした。それぞれがルールを自分の都合のいいようにカスタマイズして、無理のない範囲で調整するという感じです。
日本はとにかく労働時間が長いし、すべてにおいて、きちんとしていると思います。個人よりも、会社や仕事を優先しないといけないから、子育てにおいては融通が利きにくくなるのではと思います。子育てだけではなく、親の介護や自分の病気の場合も、キャリアとの両立は難しいなと感じます。
丁寧な子育てを求められる日本の母親たち
――親子留学を通じて、子育てに新たな気づきはありましたか?
もともと仕事が忙しいこともあって、家事をあまりしていなかったのですが、やらないことに対しては「良くないな」「恥ずかしいな」という気持ちを持っていました。
保育園のバザーで手作り品を持ち寄るイベントがあって、不器用ながらも仕事の合間に会社で手作り品を作りました。他のお母さん方の完璧な作品と並べられると、目を覆いたくなるような完成度でした。最終的には、私の作ったものは3個10円で売られていて、「無駄な労働だったな」と脱力しました。
キャラ弁を上手に作れる人が偉いとか、刺繍入りの可愛いバッグを持たせることができるお母さんが立派というような価値観がありますよね。手をかければかけるほど偉いという風潮の中で、「自分は母親としてこれでいいのかな」という気持ちが常に心のどこかにありました。
だから、中国で運動会のお昼ご飯にカップラーメンを持ってくるおばあちゃんを見て、ほっとしたんです(笑)。そもそも親は仕事で来れなくて、運動会の日程も前日に決まるくらい適当なので、お弁当なんて作れません。
手をかけることはいいけれど、手をかければかけるほど偉いという環境はお母さんたちにとってはしんどいですよね。朝5時からお弁当を作ったことをインスタにアップして、という雰囲気が苦手だったので。「評価されないものに、頑張らないといけない」という概念がなくなったのは楽でしたね。