轡田隆史の「心に効く話」~ていねいに生きる春夏秋冬
2015年02月06日 公開 2023年01月30日 更新
秋 の話から
指さす力
駅のホームで、列車、電車が、発車する間際と、発車したあと、駅員さんが右手を掲げ、左右を指さして、「よし」と、声を出す。
指さして安全を確認する、「指呼〈しこ〉」という、あの独特の動作を目にするたびに、ぼくはちょっと感動する。
「責任感」といういささか抽象的な精神の働きを「絵」にすれば、あの姿のようになるんじゃないかしら。思わず、
「駅員諸君! ご苦労さま」
とこころのなかでつぶやいている。
自分自身、日々の暮らしのなかでも、あのような「指呼」を大切にしなければ、と思ったりする。
こころのなかに、「指呼」を持て。
美しい別れを
「さようなら」ということばが好きだ。
音が、優しく穏やかに鳴って、しみじみとした余韻が尾を引く。
意味も深く豊かで、「そうならねばならぬのなら(お別れしましよう)」という、美しい「あきらめ」のことば、という説があることを、いまは亡き作家、須賀敦子さん(一九二九~一九九八)の文章に教えられた。
もうひとつ、「さよう」は「イエス」に相当する肯定のことば、という説もある。
そのときの出会いを、「よかったなあ!」と肯定的にとらえて、「さよう」である「なら」ば、「ではまたね!」と、再会の祈りを言外にこめた「別れのことば」だという。
「別れ」はいつでも美しくありたい。
ただそれだけの
立ちどまる/ことが好きに/なった、という詩の一節にであった瞬間、アッ、そういえばぼくもそうだ、と思った。
詩人、辻征夫さんの詩は、そのあとステキな展開をとげるのだけれど、ぼくの想いは恐縮ながらそうではなくて、ただ単純に「立ちどまることが好き」なだけ。
たとえば外出して、セカセカ歩いているときに、ふと立ちどまることがある。忘れ物を思い出したとでもいうように。
ただ無意識のうちに立ちどまっただけ。そして、チラと空を見上げて、「アッ、青い!」などと、こころのなかでつぶやいていたりする。
ただ、それだけのことだけれど、ときどき立ちどまるのが、好きだ。
冬 の話から
いい湯だな!
正月二日の初風呂は、毎年きまって、近所にあるなじみの銭湯「若松湯」(さいたま市)の朝風呂である。
そもそも「若松」とは、門松のことであり松の新芽のことでもある。縁起のいい名前で、風呂屋に多い。
しかもわが銭湯は、ご主人がノコギリで廃材を切って燃料にしているせいか、湯がやわらかい。40度という温度なのに、ハダにヒリヒリとこないで、やさしい。
おまけによく温まる。
気のセイだといわれるかもしれないけれど、ご飯を炊くのだって、薪やモミ殻を燃やすと、ふっくらと仕上がるのと、同じ原理じゃないかしら。
ぼくもまた、身もこころもフックラと仕上がるのです。
女王とセーター
旧聞なので恐縮ですが、わあ、寒い! なんて、つい口にしてしまうような朝、いつでも思い出す話がある。
ロンドンのバッキンガム宮殿のある朝、寒さにふるえあがった女官のひとりが、エリザベス女王に相談した。
「暖房をもっと強くしたいのですが、よろしいでしょうか?」
女王は即座に、お答えになった。「セーターをもう一枚着なさい」。
1971年秋、昭和天皇・皇后両陛下が女王を訪問なさったとき、同行記者のひとりとして事前に宮殿を見学することができた。
そんな懐かしい記憶もたどりながら、ぼくもまたセーターを重ね着するのだ。
ぬくめ鳥
鷹は、冬の寒い夜、小鳥を捕らえてつかみ、その羽毛で自分の足を温める。
翌朝、鷹は足をぬくめてくれた小鳥を逃がしてやり、その日は、小鳥の逃げ去った方向には飛んで行かないのだという。俳句の季語「ぬくめ鳥(温鳥)」は、そう伝える。歳時記には、この句がある。
遙かなる行方の冴やぬくめ鳥 松瀬青々〈まつせせいせい〉
ぬくめ鳥が飛び去った空は、遙か遠くまでさえざえと澄みきっている、というのだろう。
こころやさしい古人が創作したらしい美しい話を、ほんとだと思いたい。
<書籍紹介>
轡田隆史 著
本体価格 1,100円
月刊『PHP』に毎号熱心な感想が寄せられる人気連載を書籍化。季節感あふれる短いお話は、スピーチや手紙のお手本にも最適です。