ソ連軍が攻め込んできた竹田浜
(写真提供:相原秀起)
火を噴く15サンチカノン砲
砲弾は、着弾時に炸裂して鉄片を四散させる歩兵攻撃用の榴弾と、対戦車用の徹甲弾との2種類を装備していた。砲弾は砲塔部の内側の砲弾収納スペースに1発ずつ格納され、榴弾が90発、徹甲弾20発だった。これらは、ばね仕掛けで砲弾の尻を押すと砲弾が飛び出す。各砲弾は通常、安全ピンによって暴発を防ぎ、戦闘直前に安全ピンを抜くことになっていた。
徹甲弾は地面に突き刺さって爆発しないため、宮沢は榴弾を選んだ。
戦車隊の猛攻にソ連軍は四嶺山からじりじりと後退した。突然の戦車の来襲にソ連軍は動揺を隠せなかった。この第一次攻撃は約40分間にわたって続いた。各戦車は四嶺山の山麓に戻ってきた。
その時、小田は雷が落ちたような豪音を耳にした。同時に地面が大きく揺れ、戦車が一瞬、地面から浮き上がったような気がした。
四嶺山の山麓に設置されていた日本軍最新鋭の96式15サンチカノン砲の砲声だった。
砲弾はロパトカ岬のソ連軍陣地に向けて発射された。
同砲の砲身は口径149ミリ、全長7メートル86センチ、重量6.781トンあり、93式尖鋭弾、95式破甲榴弾、96式尖鋭弾を発射し、最大射程は26.2キロにおよんだ。大阪造兵廠第一製造所が昭和17年10月に調査した完成数は計31門で、神奈川県三浦半島観音崎の東京湾要塞花立新砲台や、津軽海峡を守る津軽要塞汐首岬第二砲台、樺太南端の宗谷要塞西能登呂砲台など、国内や朝鮮半島、樺太の重要な港湾や主要海峡に置かれた。
対米戦を念頭に占守島と幌筵島にも、朝鮮半島の羅津重砲兵連隊から抽出して、両島に昭和19年夏に計4門が配備された。この最新兵器が置かれたことだけを見ても大本営が北千島の防衛をいかに重視していたかがわかる。
15サンチカノン砲は、狙いをロパトカ岬のソ連軍陣地に定め、担当の砲兵らは距離や所定の仰角、方位角などの数値諸元を割り出していたが、終戦時に秘密書類とともにすべて焼却していた。だがその数値を描き込んだメモが残っていた。
砲兵たちは訓練通り、カノン砲を整備し、砲身を高く上げて、砲弾を発射した。その砲弾は、3発目がソ連軍の弾薬庫に命中、ロパトカ岬の砲声はやんだ。小田はソ連軍陣地から黒い煙が上がるのを見た。
15サンチカノン砲に続いて、10サンチカノン砲も火を噴き始めた。高射砲は水平射撃でソ連兵をなぎ倒した。小田は「これは勝ったな」と思った。