末期ガンを周囲に知られて起こる「優しい虐待」【幡野広志】
2018年09月26日 公開 2018年12月17日 更新
「優しい虐待」が患者も、家族も苦しめる
日本人の2人に1人はガンを患い、日本人の3人に1人はガンでなくなる。生きていればみんな、ガンの人に出会うことは当たり前のようにあるだろう。
そんなとき、どうか「優しい虐待」はしないでほしい。
インスタントラーメンにお湯を注ぐような、気軽なアドバイスはやめたほうがいい。
たしかにガンの標準治療、そもそも医療の体制には問題もあるし、自分だったら受けないような治療を患者にほどこしているのが現実。とはいえ、彼らが民間療法を行うとも思えない。
少なくとも医療従事者は、プロとしてリスクを背負って実際に治療をしている。
だが、安易なアドバイスをする人は、それに対して責任をとれるのだろうか?
医療従事者を上回るくらい、ガンの勉強をしたのだろうか?
「もしもすごい治療法を知っているなら、アドバイスをするのではなく、自分自身がガンになったときに試してください。無責任なアドバイスはやめましょう」
こんなメッセージをウェブで発言したところ、僕と同じように、善意のアドバイスに苦しんでいる患者さんとご家族、ご遺族から、たくさんのメッセージをいただいた。
人の体や心の痛みを理解できること。自分でできる方法で、手を差し伸べること。
「優しい虐待」について息子に理解してもらうのは、ちょっと先の話かもしれない。
だが、これだけは今から少しずつ教えはじめている。
優しい人というのは、人の体や心の痛みを理解できる人だと。もしも理解できるのなら、無責任なアドバイスなど、決してしないはずだ。
「理解できないのなら、想像することからはじめるといい」と息子にも教えたい。
「相手がうれしくないことは、『うれしいだろう』と思ってもしちゃだめなんだよ。そのお菓子は自分が大好きなものでも、相手は嫌いかもしれないんだ」
相手を慮ったうえで、自分のできる方法で手をさしのべることができる人が、僕が思う、本当に優しい人だ。自分の優しさを丸ごとぶつけるだけでは、優しくなれない。
※本稿は幡野広志 著『ぼくが子どものころ、ほしかった親になる。』(PHP研究所)より一部を抜粋し、編集したものです