"限界"は正しい道を示す案内板
人生には、足元にとても太い線が引かれたように感じられるときがある。「君はここまで。この線を越えないように」と警告されたかのように。この線を"限界"と呼ぶ人もいる。周囲の人々は私に、限界を飛び越えるべきだと言った。
それができるかどうかは能力ではなく、心構えにかかっている...限界を飛び越えられないなら、そもそも心構えが間違っているのだ、と。だから、幼い日の私は自らを鞭打った。誤った心構えを持つ子どもにはなりたくなかったから。
そして知ったのは、努力で達成できることもあれば、叶わないこともあるということ。おとなたちは幼い私にそのことを教えてくれなかった。限界は確かにある。不足していたのが努力にせよ、持って生まれた才能にせよ、限界というものは存在する。でも、それは"失敗"とは違う。
別の道を歩むべきだと教えてくれる案内板に過ぎない。目標を達成できなければ悔しいけれど、限界は希望をくじくものではない。この世の終わりのように思えても、人生が狂うわけじゃない。
まるで迷路のように、人生にはいくつもの分かれ道がある。あなたはこの世に生まれて迷路の中に入り、今は出口を探しているところだ。限界にぶつかったのは、迷路の分かれ道で左に曲がる道を選んだ結果に過ぎない。
それならまた、右の道に戻れば大丈夫。左側を選んだことは失敗や間違いではないし、道を外れてしまったわけでもない。
あなたはただ、着実に迷路を解いているだけだ。あなたはこれからもたくさんの分かれ道の前に立つことになる。そして、その迷路の中でさまようこともあるだろう。でも、出口は必ずある。