1. PHPオンライン
  2. くらし
  3. 認知症から寝たきりになった妻...介護を続ける夫が決めた“延命治療とその後”

くらし

認知症から寝たきりになった妻...介護を続ける夫が決めた“延命治療とその後”

岩佐まり(フリーアナウンサー、社会福祉士)

2023年03月10日 公開

 

胃ろうを決断したものの...

僕は、「もし」末梢点滴だけにしたら、カミさんはあとどれくらい生きられるのか聞いてみました。

「1か月ほどです」という答えでした。

その答えを聞いたときだったと思うんですが、急に、「カミさんが死ぬ」ということがリアルな感覚として迫ってきたんです。そして同時に、「絶対に死なせたくない」という気持ちも湧き上がってきた。

だって、カミさんはもうしゃべることはできないけれど、僕が話しかけると笑うし、呼びかけると反応するんですよ。僕のことがわかってるんです。

それはつまり、生きているということです。

そういう人が、1か月後にこの世にいないなんてことがあっていいわけがない。僕は、胃ろうを実施してもらうよう先生に伝えました。

その後は大変でした。胃ろうができる病院のベッドがなかなか空かなくて、転院するまで1か月かかりました。

宣告された余命の日数が尽きかけた頃、ようやく受け入れてくれる病院が決まりました。転院してもすぐに胃ろうにはできません。

3か月も何も食べていないから、胃が働くかどうか、まずは鼻から胃に管を入れる「経鼻経管栄養」で確かめることになったんですが、それでまた誤嚥性肺炎になってしまった。

これでは胃ろうはとても無理だということで、結局、IVHに落ち着いてしまったんです。しかし今度は、血管に雑菌が入って感染症になってしまいました。メチシリン耐性黄色ブドウ球菌感染症(MRSA)というやつですね。

IVHさえできなくなったら、カミさんはもう死ぬしかないんです。延命を決めてからここまで、2年が経っていました。2年間何も口にしていないカミさんの体重は28㎏にまで落ちていました。

 

生きていてくれるだけで幸せ

でも僕は諦められなかった。病院にとっては迷惑な家族だったかもしれませんが、もう1回だけ胃ろうにチャレンジしてくれませんかと頼み込んで、また経鼻経管栄養で胃が動くか試してもらったんです。

僕は病院に行くたびに1時間かけて自己流の口腔ケアとリハビリをしていたんですが、その結果、ごくんと唾液を飲み込むことも出来るようになっていたので、大丈夫な気がしていたんです。

そうしたら、動くんですよ。嘔吐も下痢もせずにしっかり栄養を吸収してくれて。2年間何もしてなかったカミさんの胃は動いてくれたんです。

それで、これなら胃ろうもできるんじゃないかと診断をされ、胃ろう造設手術をしました。手術は成功して、カミさんの体重は半年で10㎏も増えたんですよ。また笑顔も出るようになってね。彼女は今も生きています。

僕は何も、誰もが延命措置をとるべきだと言いたいのではありません。家族会の知人でも、奥さんの延命措置をきっぱり断って、静かに見事な看取りをした人もいます。

介護に正解はありません。でも、家族が悩みぬいて出した結論は、どれも正解だと思いますよ。

寝たきりで、もう話すことはできないけれど、僕のことはわかるんです。胃ろうの栄養のおかげで、髪も真っ黒で色艶もいいんです。

何を考えているのかはわからないけど、カミさんが生きているという事実だけで、僕や息子たちが幸せになるんです。一生懸命生きるカミさんは、僕たちに幸せを振りまいてくれているんですよ。

【著者紹介】岩佐まり(いわさ・まり)
フリーアナウンサー、社会福祉士。55歳で物忘れが始まった若年性アルツハイマー型認知症の母を、20歳から19年間介護している。現在は、要介護5となった母と夫との3人暮らし。在宅介護を支援するための個人事務所として「陽だまりオフィス」を立ち上げ、相談の受付や、全国での講演会活動を行う。2009年よりブログ「若年性アルツハイマーの母と生きる」を開始。同じ介護で苦しむ人の共感を呼び月間総アクセス数300万PVを超える人気ブログとなる。その後数々のテレビ番組でも特集され話題となり、2021年、TBSドキュメンタリー映画祭にて「お母ちゃんが私の名前を忘れた日~若年性アルツハイマーの母と生きる~」が上映される。著書に『若年性アルツハイマーの母と生きる』(2015,KADOKAWAメディアファクトリー)がある。

 

関連記事

アクセスランキングRanking

前のスライド 次のスライド
×