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ユング心理学が「悩みから逃げず、苦しむこと」を勧める意味

山根久美子(臨床心理士/公認心理師/ユング派分析家)

2023年09月22日 公開

ユング心理学が「悩みから逃げず、苦しむこと」を勧める意味

緊張や葛藤といったマイナスな感情を抱いた時、多くの人は一刻も早く逃れたいと思うだろう。しかしユング心理学では十分に悩み、苦しむことを目指している。それは何故なのか? 臨床心理士であり、ユング派分析家として活動する山根久美子氏が詳細に解説する。

※本稿は、山根久美子著『自分を再生させるためのユング心理学入門』(日本実業出版社)から一部を抜粋し、編集したものです。

 

対比によって理解が進み、心的エネルギーが生まれる

「私はいったい、石の上にすわっている人なのか、あるいは、私が石でその上に彼がすわっているのか」──これは、7歳から9歳ごろのユングが自分の家の庭にある石の上に座って想像していたことである。

ユングの自伝を初めて読んだ当時、この箇所が印象に残った。自分とそっくりだったからだ。

小学校に上がる前後だったと思うが、私は川辺に行くと、よく水面をのぞき込んでいた。見つめていると、だんだん自分と水との境界線があいまいになって、自分が川なのか、そうではないのかがわからなくなるのが好きだった。

川になることも魅力的に思えて、身をゆだねたい気持ちにかられ、不思議な恍惚感を覚えた。はたから見ると、川をじっと眺めているアブない子どもだったと思うが、あの感覚は今でも自分の中に鮮明にある。

だから、ユングのこのエピソードを知ったとき、生きている時代も場所も文化も違う人が、自分と同じようなことを思っていたことに、嬉しさと心強さを感じた。私と同じように世界を経験したこの人のことを信じられる──そう思った。

私がのちにユング心理学を学び、ユング派分析家にまでなったのは、この時、感じた信頼が根っこにあるのだろう。

ユングのこのエピソードからわかるのは、彼が幼少期から2つの物事の間の関係に惹かれていたことだ。

物理的には別の存在であるはずの「石」と「私」の境界が揺らいでいる。「私」は「石」の上に座っていると思っていたけれど、はたして本当にそうなのか──そう疑うことは、「私」とは何なのか、「石」と「私」を分けるものは何なのか、という深遠な問いを含んでいる。

ユングの2つの物事の間の関係への関心は、ユング心理学の根幹を成す対立概念へと昇華していく。ユングは、自分の生涯の仕事の大部分はこの概念の研究に費やされたと述べており、ユング心理学にとっていかに重要であるのかがわかる。

ただ、「対立概念」と訳されてはいるものの、私の考えでは、ユングの意味するところは対概念に近いときもある。「対立概念」というと、「対立」という言葉を含んでいるため、2つの物事の間の関係が対立や矛盾に限定されてしまう。

しかしユングは、必ずしも2つの物事の間の対立や矛盾だけではなく、どちらか一方だけでは成立せず、対になって初めて成立するような関係も念頭に置いているように思われる。

例えば「善/悪」、「男性/女性」、「意識/無意識」のようにペアで使われ、一方を定義することが他方を定義することにつながるような関係である。善も悪も、男性も女性も、意識も無意識も、対立的にとらえられる部分もあるが、それだけではなく、お互いがお互いを規定するペアでもある。

ユングにとって二つの物事の間のこうした関係は、認識や理解、そして私たちの生命エネルギー(心的エネルギー)の源であった。

2つに分けることによって、私たちは一方をそれとは異なるほうとの対比において認識し、理解することができるし、対立する内容がこころの意識と無意識にそれぞれ起こることで心的エネルギーが生まれる。

つまり、ユング心理学の観点では、物事の本質には対立があり、対立なくして「こころ」の動きを含めた生命活動はない。

 

自分の中の「対立」を理解する

ユングは自分の内に宿る対立に早くから気がついていた。特に有名なのは、ユングがNo.1とNo.2と名付けた2つの人格である。この2つの人格についてユングはこう記している。

「私はいつも自分が二人の人物であることを知っていた。一人は両親の息子で、学校へ通っていて、他の多くの少年たちほど利口でも、注意深くも、勤勉でも、礼儀正しくも、身ぎれいでもなかった。

もう一人の人物は、おとなで──実際年老いていて──疑い深く人を信用せず、人の世からは疎遠だが、自然すなわち地球、太陽、月、天候、あらゆる生物、なかでも夜、夢、『神』が浸透していくものすべてとは近かった」。

ユングは、前者のいわゆる「社会で生きる普通の人」としての人格をNo.1、後者の「世界の不思議に開かれたこころの探究者」としての人格をNo.2と呼んだ。

ユングは、生涯を通じてこの2つの人格を内に持ち、とりわけNo.2の人格は、ユングがこころの探究を進めるうえで、内なる導き手として最も重要であり続けた。

ユングにとってNo.1とNo.2は、自分のこころの中に息づく対立するものであった。

No.1は年相応で常識的で社会に適応して生きることができ、No.2は年老いていて風変わりで孤独を好むという点で対立的であり、同時に分かちがたく結びついたペアでもあった。

この2つの相反する傾向をユングは自分の内に宿しており、そのことを意識することができていた。

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「私の答え」を見出すために、十分に悩み、苦しみ、待つ

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