イラスト・帆
若くしてツキノワグマの生態を解き明かす新発見を重ね、今や日本を代表するクマ研究者となった東京農工大教授・小池伸介氏。その原点は山梨県の山岳地帯で道なき道をさまよい歩いたクマのウンコ拾いの日々だった。研究の礎となったサークル活動、山道で起きた転落事故、そして初めて拾ったクマのウンコ......。波乱万丈の学生時代を振り返る。
※本稿は、小池伸介著『ある日、森の中でクマさんのウンコに出会ったら』(辰巳出版)より、内容を一部抜粋・編集したものです。
テニスサークルで青春を謳歌しようとしたら昆虫研究会に入っていた
昆虫研究会の夏合宿にて。左が著者
古林先生の自主ゼミに出入りしながら、私もいっぱしの大学生と同様にサークルに入り、1~2年生のころは特に熱心に活動していた。
大学のサークルといえば、テニスサークルが王道である。テニスして、イベントに参加して、恋愛して、青春を謳歌するぞ! 入学したばかりの私はそんなバラ色のキャンパスライフを思い描きながら学内をうろうろしていた。
そうこうしているうちに、生協の入っている建物の隣の、とある場所に目が留まった。それが昆虫研究会の部室だった。
へえ、昆虫研究会なんてあるんだな。昆虫少年だった私はふと興味がわいて、部室のドアを開けてみた。すると山のような昆虫標本とともに、
「あれ、君新入生? いらっしゃ~い!」
3年生が温かい笑顔で迎えてくれた。その居心地の良さにひかれ、入会を決意したのである。それからは、この部室で酒を飲みながら先輩たちと昆虫談義をするのが大学生活の日常になった。
昆虫研究会では、昆虫採集に出かける人や写真を撮りたい人、見るのが好きな人など、さまざまな人がいた。私はというと、もっぱら先輩についていって、昆虫採集をしていた。採集場所は近場では東京の奥多摩や高尾、そして群馬の水上。生まれて初めて飛行機に乗り、沖縄の西表島にも行った。
それまでは故郷の名古屋と近場の東海地方でしか採集したことがなかったので、地域によって生息する昆虫が違うのは本当に面白いと思ったものだ。
変人だらけの探検部
大学時代は、昆虫研究会とともに探検部にも所属していた。こちらも、生協の隣に部室があり、部室の前にたくさんのカヌーやライフジャケット、パドルなどが積まれているのが気になって、ついふらふらと部室に吸い寄せられてしまった。
探検部では、雪山登山や自転車、ラフティング(川下り)や沢登りなどをやっていた。古林先生についてフィールドワークを始めたこともあり、「山登りもしてみたい」と思って入部を決めたのだった。
この部はアウトローな人が多かったので、昆虫研究会とは違った楽しさがあった。まあ、そもそも山が好きな人で集団行動ができるような社会性のある人は、多くが山岳部やワンダーフォーゲル部に入るものだ。少なくとも規律がゆるい当時の農工大探検部には、社会に適応できない人が吹き溜まっていた。
彼らがどんなふうにアウトローなのか。とにかく留年率が高いのだ。
「M先輩、最近学校来ないっすね。バイトですか?」
「いや、あいつアフリカ行ったよ」
「マジですか?」
「まあ、そういう俺も来月から南米だけどな」
と、まあこんな調子で多くの部員が休学してアルバイトをしてお金を貯め、ふらりと海外に半年や1年出かけていたからだ。もちろん、そのまま大学を除籍される部員は数知れず。