奇跡のヒノキに命を救われる
「ああ、落ちていく。この斜面だと転げ落ちる。もうだめだ」
観念した次の瞬間、ドンっと車が止まった。どうやら木にぶつかったらしい。
見れば崖に生えていたヒノキに車体の真ん中がめり込んで、前半分が宙に浮いているような格好で静止していた。後輪は辛うじて林道の上だった。もしこの木がなかったら、そのまま車は斜面を転げ落ちていたことだろう。乗っていた全員の命の保証はなかったし、運が良くても無傷で済むことはなかったはずだ。
九死に一生を得るとはこういうことなのだ。
いや、まだ助かっていない。
「これ辛うじて木に引っかかってるだけですよね」
「ああ。ちょっとでも動いたら沢に真っ逆さまだな」
「降りても大丈夫ですかね? バランス崩して落ちそうですけど」
「いや、このまま待機するわけにもいかんだろ」
私たちは意を決して車から降りることにした。まず後ろにいる社員がそろりそろりと降りる。やはり車はバランスを崩してガガガッと動いた。
次に助手席の学生を下ろす。かなり慎重に動いていたが、やっぱり車体がずれた。最後は私だ。動くとまたズズズッと車体が動いたが、辛うじて車体は踏みとどまっていた。
やっと命拾いして一息つくことができた。
さて、これからどうしよう。まずは会社に連絡を入れなければ。そのためには下山だ。1時間歩いて公道に出たので携帯電話をかけてみたが、当時その村からは携帯電話がつながらなかった。しかも公衆電話は村役場にしかない。
仕方なくさらに1時間歩き、村役場の公衆電話で会社に電話をして、事故に遭ったことを報告する。その時点で日が暮れようとしていたので、車の回収は諦めた。
無事故の誓い
引き上げた事故車両と著者。内心かなり凹んでいた。
それにしても、社用車で事故を起こしてしまうとは。しかも乗っていたのは1週間前に経費で私のために買ってもらったばかりの車だった。あまりにも申し訳なく肩身が狭かった。しかし、意外にも社員の皆さんは、
「社長が経費ケチってパワーステアリングがついてない中古車なんか買うからこんなことになるんじゃないですか!」
などとむしろ社長に明るくツッコミを入れていた。
きっと学生の私が萎縮しないように、気遣ってくれたのだろう。その気持ちが本当にありがたく、涙が出そうになった。
翌日は社員総出でワイワイガヤガヤと談笑しながら車を回収しに行った。ジムニー2台で車を引き揚げたあとに林道を走ったのだが、そのうち車のバッテリーが上がってしまったため、レッカー車を呼んで、運んでもらってなんとか事務所に戻ることができたのだった。
この経験は自分にとっては苦い思い出となり、「これからは絶対に事故を起こさない」と固く心に誓った。
あのとき自分の命を救ってくれたヒノキには今でも足を向けて寝られない。もし伐採されるなら買い取って、将来建てる一軒家の大黒柱にしたいと思っているほどだ。
初めてのウンコ
それにしてもウンコがまったく拾えない。ここまで拾えないものだとは......。いったいどうすれば見つけられるのか。
もはや自分の力だけでは行き詰まってしまったので、ほかの人の力を借りるしかない。そこで、地元の猟友会の方々にクマが出没しやすい場所について聞いたり、私と同じインターンとして野生動物保護管理事務所に来ていたクマに詳しい学生にいろいろと教えてもらいながら一緒に山を歩いたりした。
そんな日々を送ること約1ヶ月。私と一緒に山に入ってくれた他大の学生が木の上のほうを指し、「ほら、これがクマ棚だよ」と教えてくれた。
ちなみに、クマ棚というのは、クマが木に登って枝先のほうになっている果実をぼりぼりむしゃむしゃと貪り食った跡である。枝ごと強引にたぐり寄せるため、不自然な形に曲がったり折れたりして棚状に固まっているのだ。
「これがクマ棚か!」 と新鮮な気持ちで樹上に向けた視線を地面に向けると、クソでかい塊が鎮座していた。まごうことなきクマのウンコである。
ついに、ついに! ついに初めてのウンコをゲットしたのだ。
発見したときの感動は忘れられない。それは山の中に落ちているどの動物の糞よりもでかかった。大きさとしては直径10cm程度。人間のウンコともよく似ている。
クマがドングリを食べた痕跡がクマ棚なのだから、それの下にウンコが落ちているのは考えてみれば自然なことである。
しかし、今まで何度も山に入っていながら、なぜこのクマ棚に気づけなかったのだろうか。今にして思えば、昆虫採集や山登りの視点で森を見ていて、クマが活動した形跡を探る目ができていなかったのだろう。