気遣いは相手に対してではなく自分にする
職場や地域など、周りの人とうまくつき合うことができないと、仕事や暮らしに影響が出て、ときにはにっちもさっちもいかなくなることさえあります。そうならないために、周囲への気遣いを欠かさないという人も多いでしょう。
ところが、この他人への気遣いが人間関係をこじらせる原因になってしまうことがあるのです。人間関係って、つくづくむずかしいものだと思います。
ではなぜ、そんなことになってしまうのでしょうか。
周囲に対する気遣いの裏には、「いい人だと思ってほしい」「心遣いの行き届いた人とほめてほしい」という気持ちが蠢いていることがあるからです。
相手から期待どおりのリアクションが返ってこないと、「こんなに気を遣っているのに評価してくれない」とか、「ここまで心遣いしているのに、私には気を遣ってくれない。きっと嫌われているんだ」などと思ってしまうのです。
気遣いを評価してもらえない。すると、まるで裏切られたように感じてしまうのですね。気遣いに感謝してもらえないという不満は放っておくとどんどんふくらんでいき、怒りや恨みに発展してしまうこともあるくらいです。
では、どうしたらいいのでしょうか。
私は、他人に対してと同様に、ときには他人に対する以上に、自分自身に対して気を遣うようにしましょう、とお話ししています。
自分が見て恥ずかしくない自分、誇りを持てる自分。常にそういう自分であろうと自分への心遣いをゆき届かせるようにしていると、それがそのまま、周囲への気遣いになっていきます。人に心遣いできない自分なんて、我ながら恥ずかしいと思うからです。
外見をきれいに整えることはいちばん分かりやすい自分への気遣いの一つでしょう。「外見」はいちばん外側の「内面」、と言われるくらい大事なものです。外見を最高の状態に整えることは接する相手に対するリスペクトであると同時に、自身の内面を最高のレベルで伝えるパフォーマンスでもある。私はそう考えています。
もちろん、外見だけではなく、セミナーや講演を最高のパフォーマンスで行なうことにも、最大限の神経を配っています。資料やテキストの準備をチェックすることは言うまでもなく、会場の温度や湿度、照明にも気を遣い、マイクの音量や響き方も事前に何度となく繰り返しテストしています。
こうした万全の準備は、最高のセミナーを行ないたい、最高の講演をしたいという私自身への気遣いです。同時に、そのまま、集まってきてくださる方に最高に満足していただきたいという心遣いにもなるのです。
このように、まず、自分自身に対し気遣いする。その気遣いがそのまま相手に対する気遣いになる。こうした形で連環する気遣いならば、相手のリアクションによって怒りに発展してしまうようなことにはなりません。