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考えに行き詰まった時こそ「ムダ話に興じる」ことの意外な効能

外山滋比古(お茶の水女子大学名誉教授)

2024年02月13日 公開

考えに行き詰まった時こそ「ムダ話に興じる」ことの意外な効能

どれだけ本から知識を詰め込んでみても、それだけでクリエイティビティを発揮するのは難しいかもしれません。興味深い発想は、思ってもいないところから湧いてくるものです。発想力を鍛えるために重要なコミュニケーションについて、お茶の水女子大学名誉教授の外山滋比古さんが紹介します。

※本稿は、外山滋比古著「こうやって、考える。」(PHP文庫)より、内容を一部抜粋・編集したものです。

 

「おしゃべり」で賢くなる

過去のことを知るには、本を読むのがもっとも有効であろう。しかし読書は、後ろ向きの頭をつくりやすい。本を読めば読むほど、ひとの考えを借りてものを見るようになる。

余計なことは考えず、ただ、浮世ばなれたことを話し合っていると、本を読んでいるときとはまったく違った知的刺激をうける。もともと人間はそうなっているのであろう。そういう"おしゃべり"で賢くなり、未知を拓いてきたのである。

『乱談のセレンディピティ』より

 

談論を軽んじない

乱談は、"おもしろさ"を生む。"おもしろいこと"を見つける力をもっている。

いくらすぐれた本を読んでも、心を許した仲間と心おきなく語り合う、おしゃべりにまさるものはないように思われる。読書と談笑はまったく別の世界で、古来、読書を大切にし、談論を軽んじたのは、間違っている。談話やおしゃべりをゴシップと混同しておこった誤解がいつまでも生きのびているのは情けない。

『乱談のセレンディピティ』より

 

知性は「話しことば」に現れる

話すことは、読むことより容易であるように考えるのも、教育のつくり上げた迷信である。何でも話せるわけではないが、文章にするよりはるかに多くの深いことを伝えることができる。

もちろん、愚にもつかぬ"おしゃべり"が多いけれども、本当の心は、文字ではなく、声のことばにあらわれる、ということを理解するのは、いわゆる教養以上の知性を必要とする。

『乱談のセレンディピティ』より

 

浮世離れする

人の名前を出すと、ゴシップや、かげ口になりやすい。なるべく人の名を出さない。できるだけ、あった話ではなく、未来に向かって浮世ばなれたことを、みんなでつつき合ってたのしむ。そうすると、めいめいの頭のはたらきが、はっきりよくなる

―そういう仮説のもとに心おきなく、何でも思ったことをしゃべる。おそらく、こんなに楽しいことはほかにあるまい、と思われる。

『知的生活習慣』より

 

異文化を取り込む

同じことをしていない人との談笑が豊かなアイディアの温床である。

聞いているほかの人が自分のしていることをよくは知らないと思うと、不思議な自信がわいてくる。自分の分野に関しては、"お山の大将"の気分である。心がはずむ。調子にのって、よくも考えないことまでしゃべる。自分でもびっくりするようなことがある。はなはだ創造的で、なによりたのしい。

『アイディアのレッスン』より

 

批判的議論を避ける

だいたいが同学の人たちだと、どうしても話が小さくなる。微妙なおもしろさはあるが、目を見張るような発見とは縁遠くなる。

どうしても防衛的になる。批判的になりやすい。創造のエネルギーははじめから乏しいが、話し合っているうちに、いよいよ弱くなる。

互いにシロウトである人たちの乱談がもっともクリエイティヴであるように思われる。

『乱談のセレンディピティ』より

 

乱談の中の兆候をとらえる

自分でもそれまで考えたことのないことが、乱談のスクランブルで飛び出すことも少なくない。自分ながら、ひどく"おもしろい"と思う。乱談でないと経験することのできない"おもしろさ"である。

この"おもしろさ"を大切にしないといけない。一時的なこととして忘れてしまうことが多いようだが、人生において、もっとも、価値のある思いであるということもできる。そのおもしろさ自体は、発見ではないが、その前触れなのである。

『乱談のセレンディピティ』より

 

笑いの起こる場をつくる

うまく乱談の場をつくることができれば、われわれは半分、ひとの力の触発によって、いくらでも発見に近いことを起こすことができる。創造的乱談かどうかは、その場の笑いによってはかられる。

知的笑いは、小発見の前ぶれのようなもので、貴重である。専門家の研究発表は、笑いたくても笑うことができない。気のおけない小グループの談笑はときとして発見の前触れになる。笑いは知的爆発のあかしのようなもので、決して不真面目ではない。

『乱談のセレンディピティ』より

 

コミュニケーションの多元性を確保する

おしゃべりは二人で成立する。しかし、二人では足りない。三人寄れば文殊の知恵、というように、二人より三人の方が、知恵が出やすい。

しかし、三人でもなお足りない。五、六人が集まって、おしゃべりをすると多元的コミュニケーションが可能になり、おそらく最高の人知のあらわれる可能性が生まれるであろう。コンピューターをいくら集めても、おしゃべりをさせることはできない。

『乱読のセレンディピティ』より

 

年をとってからの乱談

乱談の活力は老衰をおさえるばかりでない。若いときになかった頭のはたらきを促進する、若返る、などと考えるのは古い。うまくすれば高齢者は、若いときになかった知力、気力、精神力をのばして、若いときとは違った活力に満ちた生き方をすることができる。そういう高齢者がふえれば、高齢化を怖れることもない。

『乱読のセレンディピティ』より

 

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