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義理人情は日本人の特色...言語に表れる「思考の傾向」

外山滋比古(お茶の水女子大学名誉教授)

2024年12月25日 公開

義理人情は日本人の特色...言語に表れる「思考の傾向」

日本人は明言を避け、遠回しな表現を好みがちです。そんな日本人の言葉の特徴は、思考にどのような影響を及ぼしているのでしょうか? お茶の水女子大学名誉教授の外山滋比古さんが紹介します。

※本稿は、外山滋比古著「やわらかく、考える。」(PHP文庫)より、内容を一部抜粋・編集したものです。

 

アイ・スィンク......はてれかくし

外国人と英語の会話をする日本人は、二言目には<アイ・スィンク......>とやっている。<われ考えるに......>を文字通りにとれば、ずいぶん思索的な民族のように思われるかもしれないが、そうではない。

実は考えているのではなくて、断定をさけて、表現に丸味をもたせる言いまわしの「......と思う」を英訳したまでのことである。一種のてれかくしの措辞である。

『日本語の論理』

 

「考え」ないで、「思う」日本人

われわれ日本人は英語でいう<アイ・スィンク......>に相当する心的活動にはむしろ不得手な民族である。「考え」ないで、「思う」人間であると言ってもよい。

『日本語の論理』

 

伝え方には無関心

われわれほど言葉のことを気にする民族もすくないのではないかと思われる半面、これほど言葉の味わいに鈍感な社会も珍しい。

何を言っているのか、思想には目の色を変えるが、それがどのように表現されているかについての関心ははなはだあいまいである。つまり、言葉についてスタイル(様式)の感覚がないのだ。

『日本語の感覚』

 

集めるのではなく、うまく散らす

わが国には俳句という独特な様式がある。その俳句には切れ字というものがあって、言葉を切断し、言葉を散らそうとする。集中するのではなく拡散の方法である。

似たことは囲碁にも見られる。下手なものは石を不必要に集めたがるけれども、上手は石をうまく散らす。日本文化の点的構造を暗示する現象としてよかろう。

『日本語の感覚』

 

読み手の心に委ねる

芭蕉の有名な句「古池や蛙飛び込む水の音」にしても、「古池や」「蛙飛び込む」「水の音」という3つの点から成っていると見ることができるでしょう。

「古池に蛙が飛び込んだら水の音がしました」というセンテンスとは、ベースにある論理が違います。「古池」「蛙」「水の音」がそれぞれひとつの点として世界をもっている。それを読者が頭の中でつなげたときに、そこに書かれていない意味が生じる仕掛けになっているのです。

『考えるとはどういうことか』

 

相手に思いをめぐらす

外国語ならば、「のべる」とか「伝える」とか「表現する」といった語であらわすようなところに、日本語は、「におわす」「ほのめかす」「それとなくふれる」といった言葉を多く用いるのも、受け手につよい連想作用が具わっていることを見越して、あらかじめ表現を抑制して、表現が間接的にやわらかく相手に当るようにとの配慮によるものであろう。

『日本語の論理』

 

「私」をぼやかす心理

「われ考う、ゆえにわれあり」などと言ってのけられる言語文化は、「私」に照れたり、顔をそむけているような日本人には、よそよそしく縁遠いものに感じられる。

われわれの思想は「われ考う」という大地に根をおろしていない。何とはなしに「われわれ」が考えたり、「かれ」あるいは「かれら」が考えたらしいことに立脚している。

それが客観的と言えるかどうか、などと問うまでもなく、しっかりした個性のないところに客観性の生じるわけもないのである。

『日本語の感覚』

 

独白、詠嘆で思いを投げ出す

対話によって思考を展開するのではなくて、独白、あるいは詠嘆によって、最終的な形の思考を、投げ出すように表現するのが日本的発想である。

『日本語の論理』

 

小イキな表現はお手のもの

(日本人の発想は)アフォリズム的表現には適しているが、構造の強固な思考を展開させて行く伸展性に欠ける。また思考のユニットとユニットを結合させる粘着性にも乏しい。

大思想は生れにくいが、小イキな表現は発達する。煉瓦は積み上げれば、いくらでも大建築をつくることができるが、箱庭にころがっている小石を集めても大きな建造物はつくることはできない。

『日本語の論理』

 

繊細さゆえの怖さもある

日本人は言語を使用しながら、ともすれば、伝達拒否の姿勢をとりやすい。他人のちょっとした言葉にも傷つく繊細さをもっていることもあって、自分の殻にとじこもって内攻する。

発散しない表現のエネルギーは鬱積して「腹ふくるるわざ」になるが、いよいよもって抑えられなくなると、爆発するのである。

『日本語の論理』

 

義理人情で考える

(日本人の)思考の展開は人生論的であり、情緒的になるのは自然で、考える主体の感情が思考形式、内容にも乗り移る。

思考のくりひろげられる基盤は硬質のものではなくて、いわば海綿状のものであると想像される。そういう基盤の上に思考が置かれると、たちまち広範囲ににじみができて拡散する。

それが情緒、共鳴、感銘、感動などと自覚されるのだが、こういうのを感情移入的思考と呼ぶことができよう。日本人のものの考え方の特色である。

『日本語の論理』

 

人間的感情から距離を取る

わが国の思考の様式においても、従来の感情移入型から、他方の抽象型への移行を考えてよい。人間モデルから離れた純粋思考ができるようにするのである。

人間をモデルに考えているかぎり、いわゆる論理性は生れない。

『日本語の論理』

 

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