1. PHPオンライン
  2. 社会
  3. 航空機の死亡事故を激減させた「ミスを処罰しない」業界ルール

社会

航空機の死亡事故を激減させた「ミスを処罰しない」業界ルール

マシュー・サイド(ライター)

2024年02月15日 公開 2024年12月16日 更新

航空機の死亡事故を激減させた「ミスを処罰しない」業界ルール

航空業界が多くの事故を未然に防げている理由は、どこにあるのだろうか。マシュー・サイド氏は「ミスを処罰しない業界ルール」が要因になっていると語る。航空業界と医療業界を比較しながら論考する。

※本稿は、マシュー・サイド(著)、有枝春(翻訳)『失敗の科学』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)を一部抜粋・編集したものです。

 

なぜ、航空業界は奇跡的に安全なのか?

航空業界のアプローチは傑出している。航空機にはすべて、ほぼ破砕不可能な「ブラックボックス」がふたつ装備されている。

ひとつは飛行データ(機体の動作に関するデータ)を記録し、もうひとつはコックピット内の音声を録音するものだ。事故があれば、このブラックボックスが回収され、データ分析によって原因が究明される。そして、二度と同じ失敗が起こらないよう速やかに対策がとられる。

この仕組みによって、航空業界はいまや圧倒的な安全記録を達成している。しかし、1912年当時には、米陸軍パイロットの14人に8人が事故で命を落としていた。2人に1人以上の割合だ。

米陸軍航空学校でも、創立当初の死亡率は約25%に及んでいた。当時は、これが特別な状態ではなかったようだ。航空産業の黎明期には、巨大な鉄の塊が高速で空を飛ぶということ自体、本質的に危険なことだった。

今日、状況は大きく改善されている。国際航空運送協会(IATA)によれば、2013年には、3640万機の民間機が30億人の乗客を乗せて世界中の空を飛んだが、そのうち亡くなったのは210人のみだ。

欧米で製造されたジェット機については、事故率はフライト100万回につき0.41回。単純換算すると約240万フライトに1回の割合となる。

2014年には事故による死亡者数が641人に増えたが、これはマレーシア航空370便の墜落事故で239人の乗客全員が亡くなったことが大きい(ただしこの事故の原因については、人為的なものという見方が強い。本書の執筆時点でブラックボックスはまだ発見されていない)。

しかしこの事故を含めても、2014年のジェット旅客機の事故率は、100万フライトに0.23回という歴史的に低い率にとどまっている。失敗から学ぶプロセスを最も重視していると言われるIATA加盟の航空会社に絞れば、830万フライトに1回だ。

航空業界においては、新たな課題が毎週のように生じるため、不測の事態はいつでも起こり得るという認識がある。だからこそ彼らは過去の失敗から学ぶ努力を絶やさない。

 

航空業界にあって、医療業界にないもの

しかし、医療業界では状況が大きく異なる。1999年、米国医学研究所は「人は誰でも間違える」と題した画期的な調査レポートを発表した。その調査によれば、アメリカでは毎年4万4000~9万8000人が、回避可能な医療過誤によって死亡しているという。

ハーバード大学のルシアン・リープ教授が行った包括的調査では、さらにその数が増える。アメリカ国内だけで、毎年100万人が医療過誤による健康被害を受け、12万人が死亡しているというのだ。ショッキングなデータだが、これでもまだ問題の大きさを明らかにするには至っていない。

2013年、『Journal of Patient Safety(患者安全ジャーナル)』に掲載された論文では、回避可能な医療過誤による死亡者数は年間40万人以上にのぼると算出された(医療過誤の内訳は、誤診、投薬ミス、手術中の外傷、手術部位の取り違え、輸血ミス、転倒、火傷、床ずれ、術後合併症など)。

この数について、現在世界で最も尊敬を集める医師の1人、ジョンズ・ホプキンス大学医学部のピーター・プロノボスト教授は、2014年夏の米上院公聴会で次のように発言した。

「つまり、ボーイング747が毎日2機、事故を起こしているようなものです。あるいは、2カ月に1回『9・11事件』が起こっているのに等しい。回避可能な医療過誤がこれだけの頻度で起こっている事実を黙認することは許されません」

この数値で見ると、「回避可能な医療過誤」は、「心疾患」「がん」に次ぐ、アメリカの三大死因の第3位に浮上する。

しかし、まだ不完全だ。老人ホームでの死亡率のほか、薬局、個人病院(歯科や眼科も含む)など、調査が行き届きにくい死亡事例はこのデータに含まれていない。

ノースカロライナ大学薬学部の非常勤准教授、ジョー・グレイドンは、アメリカの医療機関における回避可能な医療過誤による死亡者の全数は、年間50万人を超えると主張している。

問題は死亡者数だけではない。死に至らない深刻な医療事故も数多く発生している。上述の上院公聴会で、ミネソタ大学看護学部のジョアン・ディッシュ臨床学教授は、ある隣人に起こった事故について証言した。

彼女はがんのために両側乳房切除の手術を受けましたが、術後間もなく、生検結果の取り違えがあったこと、さらにがんはまったく発症していなかったことが発覚しました。

こうした事故は命にはかかわらないものの、被害者やその家族にとっては悲惨な出来事だ。医療過誤による深刻な合併症で苦しむ患者の数は、死亡者数の10倍にのぼるという試算も出ている。ディッシュは言う。

問題は1日1000件という回避可能な死亡事故だけではありません。回避可能な合併症が、1日1万件も起こっているのです。

 

完璧でないことは、無能に等しい?

医療研究の専門家ナンシー・バーリンジャーは、著書『After Harm(医療事故のあとで)』で、自分のミスを病院に報告する際の医師や医学生の言動を調査した。その結果は驚くべきものだった。

「医学生は、指導者であるベテラン医師たちが、ミスの隠蔽は正しいことだと信じ、それを実践している姿を見て学ぶ」とバーリンジャーは言う。

「つまり医学生は、予期せぬ結果について説明するときは、『ミス』ではなく『複雑な事態』が起こったと言うべきだと学んでいるのです。しかも、患者には何も言わないままに。情報開示に対する医師たちの抵抗は根深く、非開示の慣習を正当化しようと限りない言い訳を並べる者もいます。

『些細なことです』『よくあることです』『患者に言っても理解できませんよ』『患者が知る必要などないじゃないですか』」

よく考えてみてほしい。医師や看護師は、通常、不正直な人たちではない。人をだましたり誤解させたりするためではなく、人の命を助けるために医療の道に進んだ人たちだ。医師は詐欺師のように話をでっち上げて患者や遺族をだますわけではない。

彼らのやり方は、いわば婉曲法だ。「技術的な問題が生じた」「複雑な問題が起こった」「不測の事態だった」。どれも少しずつ真実が含まれているが、真相を明らかにはしていない。

しかし、医師が真相を明らかにして患者に正直に接したほうが、結果として医療過誤で訴訟を起こされる確率が下がるという皮肉な調査結果もある。

ケンタッキー州レキシントンにある退役軍人省医療センターが、「情報開示」方針を導入したところ、裁判費用がそれまでと比べて急激に下がった。また別の調査では、医療事故被害者の約40%が、十分な説明と謝罪を受けたことで告訴に踏み切るのをやめたという結果が得られた。

注目すべきは失敗そのものではなく、失敗に対する「姿勢」だ。医療業界には「完璧でないことは無能に等しい」という考え方がある。失敗は脅威なのだ。

内科医のデイヴィッド・ヒルフィカーは『ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシン』に寄稿した記事にこう書いている。

「患者が医師に完璧を期待するのも、我々の自負の強さが間違いなく影響している。自負というよりも、自分に必死で言い聞かせてきたことと言うべきかもしれない。この『完璧』はもちろん、壮大な錯覚だ。みな、歪んだ鏡を見ていて、本当の姿は見えていない」

医師たちが回りくどい表現でミスから意識をそらそうとするのは、まわりの評判を案じるからだけではない。ミスは、自分のプライドすらも激しく脅かす。

医者に限らず、政治家が政策に失敗したときも、ビジネスリーダーが戦略に失敗したときも、あなたの友人や同僚も同じだ。あなた自身もときどき使うのではないだろうか? 私も例外ではない。医療業界のこうした現状は言葉遣いばかりではなく、データにも明確に表れている。

アメリカ国内で実施された、医原性損傷(診断・処置のミスによって起こる損傷)に関する疫学的調査によれば、受診1万件につき、44~66件の深刻な損傷が起こっているという。しかし、アメリカ国内の200以上の病院を対象に調査を行ったところ、上記のデータに見合う損傷数を報告した病院は全体の1%にすぎなかった。

しかも50%は、受診1万件につき5件未満と報告していた。この結果が正しいとすれば、大半の病院が組織的な言い逃れを行っていることになる。

 

「失敗」のプロフェッショナル

事故には、特定の「パターン」があるのではないか? 適切な対策をとれば、次の命を救えるのではないか?

しかし医師たちにその「パターン」を知る術はなかった。その理由はシンプルだが衝撃的だ。医療業界はこれまで、事故が起こった経緯について日常的なデータ収集をしてこなかったのである。

一方、航空業界では通常、パイロットは正直に、オープンな姿勢で自分のミス(ニアミスや胴体着陸)と向き合う。また事故調査のため、強い権限を持つ独立の調査機関が存在する。

失敗は特定のパイロットを非難するきっかけにはならない。すべてのパイロット、すべての航空会社、すべての監督機関にとって貴重な学習のチャンスとなる。

このように失敗から学んでシステムを改善する方法は、旅客機にも何十年にわたって適用されており、非常に高い成果を上げている。

 

関連記事

アクセスランキングRanking

前のスライド 次のスライド
×