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渡辺和子・心をこめて生きる

2014年07月18日 公開

渡辺和子 (ノートルダム清心学園 理事長)

 

渡辺和子

渡辺和子 (わたなべ・かずこ) 
ノートルダム清心学園 理事長
1927年生まれ。上智大学大学院を修了。ノートルダム修道女会に入りアメリカに派遣されてボストン・カレッジ大学院に学ぶ。ノートルダム清心女子大学教授を経て同大学学長を務め、現在ノートルダム清心学園理事長。
著書に、『愛と祈りで子どもは育つ』『目に見えないけれど大切なもの』『愛と励ましの言葉366日』『マザー・テレサ 愛と祈りのことば〈翻訳〉』『忘れかけていた大切なこと』(以上、PHP研究所)『置かれた場所で咲きなさい』(幻冬舎)他多数がある。

 

愛をこめて生きる

人生の質

 この数年間、私の心を大きく占めたのは、「時間の使い方」ということでした。

 人間の一生というけれど、結局それは「今」という時間の集積ではないか、充実した人生というのは、必ずしもその長さによるのではなく、密度の濃さにかかっているのではなかろうかということにこだわったように思います。

 時間の使い方は、そのまま、生命の使い方なのだ、私という人生の質は、それを形成する時間の質にかかっていると気づいたのは、やはり自分が、“残された”時間を考える年齢に達したからなのかも知れません。

 「愛がなければ、どんなに偉大なことを行ったとしても無にひとしい」という聖書のことばは、裏返してみれば、どんなに小さいことにも愛をこめるなら、それは尊いものとなるということでもあります。

 岡山という地に赴任を命ぜられてから、間もなく27年(*)になります。「木を伐ること」に忙しくて、「斧を見るひま」のない年月でした。これからは、もっと自分自身を見つめるゆとりを持ち、与えられる「今」という時をたいせつに、心をこめて生きてゆきたいと思っています。

 「一生の終わりに残るものは、我々が集めたものではなく、我々が与えたものである」

 というジェラール・シャンドリーのことばに励まされることがあります。私たちが目先きの損得勘定に心乱れる時、“信じて生きる”ことのたいせつさ、自分が心に定めた生き方を守り抜くことの価値を教えてくれることばだからです。

 人間の幸せというものは、そして一人ひとりの人生の豊かさは、愛するものを持っているか否かにかかっています。自分自身をいとおしく思える人は幸せですし、自分の周囲の人々を“ごたいせつ”に思える人も幸せです。さらに、遠い国々で苦しんでいる人々、見たことも聞いたこともないところで、今日、私の小さな祈りと、痛む愛を必要としている人々のために、「今」という時間に愛をこめて生きることができたら、その人の幸せは、もっと大きくなることでしょう。(*1989年発刊時)

 

ささやかな幸せ

 土曜日の夕方、「ああ、幸せ」と思うことがある。次の日は日曜日、特にしなければならないことがあるでなし、読みたいと思っていた本を読み、散らかった部屋の掃除、整頓、洗濯した後は、アイロンをかけ、靴も磨こう。こんな思いでひととき充ち足りることがある。もちろん、このような幸せ感は日曜日の夕方には、はかなく消えて、翌日への“戦闘準備”に変わってしまうのだけれども、とにかくひとときにせよ、こんなささやかなことで充ち足りた気持ちが抱けることをありがたいと思う。

 他の人もそうなのだろうか。私は、例えばハミガキのチューブを使い切って捨てる時、「さあ、新しいのがおろせる」と思って、とてもうれしいことがある。石けんにしてもそうだ。だからといって、1つのものを早く使い切ろうという気持ちはなく、着実に使ったものを使い切った時の満足感とでもいったものなのである。

 昔、勉強していた時も、試験が近づくと、更に試験期間中ともなると、髪も身なりも構わず、部屋は散らかし放題、すべてを試験に集中し、終わった時に、ふだんの数倍の満足度を味わいながら髪をセットしたり、部屋を片付けていた覚えがある。母も、「また始まった」という顔で見て見ぬふりをしていてくれた。

 最近、激写とか激安とかいろいろ使われているが、私は、「激しく生きる」ことが好きだ。中途半端でなく、ぬるま湯のようでなく、自分が空っぽになってもいい。その後の充電の時が幸せなのである。「今」という瞬間を意識して生きたいと思う。「今の心」と書くと「念」という字になると気づいた時、「念ずれば花開く」ということばの意味がわかるように思ったものである。「今」をたいせつにして生きないと、花は開かない。「今」をいい加減に生きると、次の瞬間もいい加減なものとなり、いい加減な一生しか送れないことになってしまうのかも知れない。それは決して、毎瞬を緊張して生き続けるということではなくて、リラックスする時には思いっ切りリラックスするということであり、「今」に、けじめをつけて生きることだと言ってもいいのかも知れない。

 ささやかな幸せというものは、また、何か小さなことでいい、自分に課したものをやりとげた時にも味わうことができるものである。

 一昨年は、10月半ばに引いた風邪が長引き、翌年の4月まで持ち越してしまった。そんなある日、タクシーの運転手さんに、「風呂からあがる時、足に冷水をかけてごらんなさい」とアドバイスを受けたものである。半信半疑、それでも、半年間風邪に悩まされた辛さから免れたい一心で始めたのが、今も続いている。そして冷水摩擦、これも朝5時に起きて何とか今日まで1日も欠かさず続け、そのせいかどうか、今年は、引いた風邪もあまり悪化せずに終わった。「意地っぱり」の証拠でもあろうが、これら自分に課した“行”が終わった時、「今日もできた、ありがたい」と思えるようになったのは、やはりそれだけ歳をとったということかも知れない。

 人間の一生の間に、大きな幸せと呼べるものは数える程しかないものだ。結婚式当日の2人の幸せは輝くばかりのものだろうが、その後に続く日々は決してその連続ではなく、平々凡々たるものだろう。その中で幸せになるということは、小さくてもいい、「ああ、幸せ」と思える機会をふやすことにかかっている。

愛をこめて生きる
“今”との出逢いをたいせつに

渡辺和子 著

人の幸せは、日常の中にどれだけ愛するものがあるかにかかっている――出逢いの喜び、生命の尊さ、本当の真心の大切さを伝える一書。

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