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生き方

渡辺和子「目に見えないけれど大切なもの」

渡辺和子(ノートルダム清心学園理事長)

2014年07月18日 公開 2022年05月24日 更新

目に見えないけれど大切なもの

「どれほど愛し合っていても、相手を100パーセント信じては駄目。98パーセントにしておきなさい。残りの2パーセントは、相手を許すために取っておくの」

「初めから疑ってかかるのですか」と不思議そうな顔をする学生たちに、そうではなくて、もしも100パーセント信じてしまったら、裏切られた時、相手が許せなくなるから、と説明すると、納得してくれます。

信じるということは大切なこと、美しいことですけれども、悲しいことに人間の世界に"完全な"信頼はあり得ません。信じることを教えるのも教育なら、人を疑うことの必要性、単純に物事を信じてしまってはいけないことを教えるのも教育の1つの役割なのです。

それは、神でない人間は、他人も自分も皆、弱さを持ち、間違うことがあるのだという事実に目を開かせ、許しの大切さを教えることでもあります。

赤ちゃんが一番最初に習わないといけない発達課題は「信頼」だといわれています。空腹で泣けばミルクが与えられ、おむつが汚れれば取り替えてもらえ、落ちないようにしっかりと抱かれることによって、赤ちゃんは自分が愛されていることを知り、まわりの世界への好意と信頼感を身につけてゆくのです。

この時期に十分な信頼感を得られないで発育した子どもは、不信感の強い大人になると考えられています。ですから、折あることに子どもたちをしっかり抱きしめて、基本的信頼を持たせるようにしましょう。

そうすれば、大きくなって厳しい現実に直面し、人間の弱さに否が応でも触れざるを得なくなった時も、絶望することなく、98パーセントの信頼と、2パーセントの許しの余地を持って、たくましく、優しく生きてゆくことができるでしょうから。

 

したい性と主体性

「"今、何がしたいか"と同時に、"今、何をしなければならないか"を、併せて考えられる人になることが大切だ」という言葉に出合って、なるほどと思いました。

そしてさらに、その両者が競合する時には、"しなければならないこと"を優先して行える判断力と意志の力があったら、もっとすばらしいと思いました。"してはいけないこと"に対しても同じです。"したくても、しない"意志の力です。

私は若い時、アメリカ人を上司とする職場に7年ほど働いていました。そこで仕事の厳しさと同時に、人間の生き方についても教えられたように思います。私には、財務、教務、渉外、秘書業務といった複数の仕事が与えられ、しかもそれらを時間内に果たすことが求められました。

つい、やり易い仕事、自分の好きな仕事からしようとしている私に、上司は、"first things first"(やらなければいけない仕事から、まず片付けてゆきなさい)と注意してくれるのでした。

そしてその結果、したいことよりも、しなければならないことを先にする習慣がいつしか身について、今日までの私の人生をずい分助けてくれたように思います。

他にしたいことがあっても、まず約束した原稿を書くこと(今も、そうしています!)、朝、もう少し寝ていたくても、目覚まし時計の音と共に起きること、または、いいたくても、いってはいけない言葉を我慢すること等、時間的なプライオリティ(優先順位)だけでなく、私の生活の随所にブレーキをかけ、自制を可能にしてくれたことが、今日の私をつくってくれました。

今、子どもたちの主体性を重んじる教育ということがよくいわれていますが、現実には、「したい性」が伸び放題になってはいないでしょうか。

子どもたちが真に自由になるためには、したいことを我慢し、または自分に「待った」をかけて、しなければならないことを先にする"もう一人の自分"を育ててゆくことが大切なのです。

人間は善しか選びません。いや、そんなことはない。現に殺人、強盗、万引き等が横行しているではないかとおっしゃるかも知れません。

しかし、サラ金に日夜追われている人には、手段はどうあれ、お金を手に入れることが"善"と映り、産んではならない子を産んでしまった人には、自分が"自由になる"ために、子どもを闇に葬ることが"善"と、その場では考えられてしまうのです。

かくて、教育の重要な役割は、知識の詰め込みではなくて、子どもたちに、一時的、衝動的善、つまり自分の欲望を抑えてでも、彼らを将来的に幸せにし、自由に導く真の善が選べる人間になるように育ててゆくことにあります。

人間はとかく、追いつめられると、目先の善に走りがちです。だから私たちは常日頃、心にゆとりを持ち、物事に優先順位をつけながら生きてゆく判断と意志の訓練をすることが大切なのです。

私たち大人がまず、自分の「したい性」を抑えて、主体性を身につけてゆかないといけないのでしょう。人は、自分が持っていないものを他人に与えることはできないからです。

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