渡辺和子「目に見えないけれど大切なもの」
2014年07月18日 公開 2022年05月24日 更新
ほほえみの力
「初めて卒業生を送り出す立場になりました」
新卒で商業高校の教師となったMさんが手紙をくれたのは、ある年の3月半ばのことでした。手紙には、その年の春に卒業していった一人の女子高校生のことが書かれていました。
家庭的にも学業的にも問題のあった生徒だそうですが、卒業式の当日、Mさんに向かって、
「先生だけは私を見捨てないでいてくれた」
と言い置いて、校門を出て行ったというのです。自分は一瞬、何のことかわからず戸惑ったけれども、考えてみたら、授業中にその生徒と目が合うたびにほほえみかけていたと思う。もしかしたら、そのことを言ったのかも知れない、と記した後に、Mさんはこうも書いていました。
「大学で学んだ4年間、シスターからいやというほど、ほほえみの大切さを聞かされましたが、"きれいごと"としか思っていなかった。でもほんとうに、ほほえみの力って、すごいのですね」
たぶん、くだんの女子高校生は、その学校の先生たちにとっては"お荷物"だったのでしょう。その存在は無視され、目と目が合ってもそらす教師の多い中で、新卒として赴任してきたMさんだけは、しっかりと見つめたばかりか、ほほえんでくれた。「私はまだ見捨てられていない」と感じたうれしさを、卒業するに当たって、どうしても伝えたかったのでしょう。
ほほえみの中にはメッセージがあります。それは、「自分なんかいてもいなくても同じ。いないほうがいいのかもしれない」と思っている人への、「私はあなたを1人の人間、かけがえのない1人と見ていますよ」という好意なのです。それは、ほほえみを受けた人に、生きる自信を与えます。
このように、ほほえみには、私たちの心の中にある目には見えない愛を、目に見える形にして相手に伝えるコミュニケーションの役割があるといえます。
マザー・テレサは、共に働くシスターたちが町へ出て貧しい人たちに暖かいスープを配り終えて帰ってくると、まず「ご苦労さま」とねぎらってから、「ところで、その人びとにほほえみかけること、ちょっとしたやさしい言葉をかけることも忘れなかったでしょうね」と尋ねるのが常だったといいます。
この問いが示すように、マザー・テレサの仕事は単なる福祉事業ではなく、愛の行為でなければならないのでした。シスターたちの配るスープはお役所が福祉の一端として配るスープと、その中身は同じだったかもしれません。しかし、受けとった人は、そのスープによって体と同時に心も温められるのです。
ほほえみを添える時、受けとる人はもはや憐れみの対象ではなくなって、ほほえまれるに価する、尊厳を備えた1人の人間になるのです。
「ほほえみの力って、すごいのですね」とMさんが言ったように、ほほえみは、みずからをモノ同然に考え、他人にもそのように扱われていた人の尊厳をとり戻す力をもっています。
いま、淋しい思いを抱いて生きている人がふえています。家庭にも学校にも居場所のない子どもたち、物には飽かされていても愛情に飢えている若者たち、相談する相手もなく悩みを抱えている母親たち、リストラされて「不要」というレッテルを貼られた大人たち、そして、機械の操作は出来ても人間同士の関係がうまく結べない働き盛りの人たち。
ほほえむことを忘れた人たちに、ほほえみを惜しまずに与えましょう。「あなたは1人ぼっちでない」というメッセージを発信し続けましょう。
ほほえみには、マジックのような力があります。与えられた人を豊かにしながら、与える人は何も失わない ―それがほほえみなのです。
渡辺和子(わたなべ・かずこ)
ノートルダム清心学園理事長
1927年生まれ。上智大学大学院を修了。ノートルダム修道女会に入りアメリカに派遣されてボストン・カレッジ大学院に学ぶ。ノートルダム清心女子大学教授を経て同大学学長を務め、現在ノートルダム清心学園理事長。
著書に、『愛と祈りで子どもは育つ』『目に見えないけれど大切なもの』『愛と励ましの言葉366日』『マザー・テレサ 愛と祈りのことば〈翻訳〉』『忘れかけていた大切なこと』(以上、PHP研究所)『置かれた場所で咲きなさい』(幻冬舎)他多数がある。