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不思議と涙を誘われる「漫画家・矢部太郎さん初の大規模展覧会」

PHPオンライン編集部

2024年05月10日 公開 2024年05月10日 更新

不思議と涙を誘われる「漫画家・矢部太郎さん初の大規模展覧会」

お笑い芸人であり漫画家の矢部太郎さんによる初の大規模展覧会「ふたり 矢部太郎展」が、東京・立川のPLAY! MUSEUMで開催中です。会期は2024年7月7日(日)まで。代表作から最新作まで、矢部さんの作品が様々な方法で展示されています。

大人気フィクション『大家さんと僕』(新潮社)からは、来場者が作品の一部になれるインスタレーション体験に加え、展覧会のためにアクリル絵の具で制作した約100点の描き下ろし作品も用意。

さらに、矢部さんが子ども時代を過ごした東村山の暮らしを感じられる映像コーナー。矢部さんの父であり、絵本・紙芝居作家のやべみつのりさんが家族絵日記として綴った「たろうノート」の現物展示などもあり、矢部さんご自身の半生に迫る内容にもなっています。

開催前日にはメディアに向けた内覧会が開かれ、矢部太郎さん、PLAY! MUSEUMプロデューサーの草刈大介さん、空間・ビジュアルデザインを手がけた樋笠彰子さんによるギャラリートークが行われました。その模様をお届けします。

 

展覧会に至る“思わぬきっかけ”

矢部太郎展
↑入口にあるパネルは4面の回転式。「最初ご提案いただいたのは、僕の写真パネルだったんですけど入口でこれで撮りたい人いるかな、と自信がなくて...」と矢部さん

立川のPLAY! MUSEUMでの漫画の展示は、2022年に行われたさくらももこさんの「コジコジ万博」に続く2回目。今回の矢部太郎展に至るきっかけには、意外なエピソードがあったとか。

「コジコジ万博に大きな反響があって、漫画の新しい楽しみ方を提案することに可能性を感じていました。またいつか漫画の展示を企画したいと考えていたタイミングで、ちょうど矢部太郎さんがお忍びで来てたんですよね。その日、矢部さんが受付で荷物をバッと落とされたみたいで、その中の領収書に"矢部太郎"って書いてあるのをスタッフが目にとめて...笑」(草刈さん)

コジコジが元々お好きだったという矢部さん。展覧会への来場について「お忍びじゃない」と恥ずかしそうに否定して会場に笑いを誘いました。

「誰もが生きづらさを感じるような時代に、矢部さんの描く漫画が支持されていることを本とは違う形でPLAY! MUSEUMで紹介したいと思いお声がけしました。

『大家さんと僕』が2017年に出て、初版が6000部だったんですよね。その6000部が、いまや120万部になりました。どうして120万部までいったのか新潮社の担当編集の方に聞いたら、"みんなが応援してくれたから"と言っていました。書店員の方や、読者の口コミで広がる作品なんだなと、それを聞いてすごい納得がいって。だからこの展覧会も、来場者一人ひとりの応援から広がっていけばいいなと」(草刈さん)

また、漫画を展覧会に落とし込んでいく上で、プロジェクトの序盤からデザインに携わったアートディレクターの樋笠彰子さんは「子どもの頃、テレビを通じて好きだった矢部太郎さんの初の大規模展覧会に携われて、本当にうれしかった」とご自身の想いを話しました。

 

じっくり味わいたい“お父さんとの思い出”

矢部太郎展

入口を入って最初の空間は年表形式になっており、矢部さんの半生へと迫る内容に。小学生の頃、父にすすめられ作っていたという「たろうしんぶん」や、"さようなら体罰"と書かれた中学時代のメッセージ性たっぷりなポスターなどが並び、矢部さんの作家としての萌芽を見せてもらったような感覚になります。

ひときわ目立つ"さようなら体罰"についてトーク中に問われると、

「図工の時間にレタリングを使ってポスターを描く授業があって、当時体罰している先生がいて嫌だなあと思って。その頃から非暴力、不服従という私の漫画のテーマにも近いようなことを考えていたみたいですね笑」(矢部さん)

とコメント。子どもの頃の矢部さんの素顔が垣間見えました。

次のブースに進むと、矢部さんの出身地である東村山の何気ない風景が映像で流れています。これは2作目の『ぼくのお父さん』(新潮社)の中にある、矢部さんが子どもの頃、お父さんの漕ぐ三輪車の後方のカゴに乗って過ぎ去る景色を見ているシーンを再現して撮ったVTRだそう。

壁際には『ぼくのお父さん』に収録されている漫画の展示が。漫画の途中途中に貼られた吹き出しには、作家業のためいつも家にいて他のお父さんとは"なんだかちがう"矢部さんのお父さんとのエピソードが書かれています。

矢部さんは『ぼくのお父さん』の出版の経緯についてこう話してくれました。

「『大家さんと僕』を出した後、お父さんが僕が生まれたときからずっと描いていた絵日記を見せてくれて、<次はこれをもとに"お父さんとぼく"を書いたらいいんじゃない>って売り込みがあったんです。その日記の現物も飾ってあります。

僕もこれを読んで、知らなかった自分のこと、お父さんのことを知れて、あの頃のことを描いてみたいなと思ったんです」(矢部さん)

矢部太郎展
↑家族え日記の一部

お父さんが綴っていた家族絵日記『たろうノート』には、赤ちゃんの頃の矢部さんがお昼寝していたり、猫と遊んでいたり、一家が過ごしていた日常がありのままに描かれています。それを見ていると、自分も子どもの頃に味わった家族とのなんて事のない日々が重なって、胸がじんわり温かくなります。

きっと見る方の多くにとっても人生で愛情をくれた大切な誰かを思い起こさせる、そんな展示エリアになっているのではないでしょうか。

そしてフロアの真ん中に目を向けると、何やら銀色に光る大きな物体が。

矢部太郎展

「これは僕のお父さんが上の階にあるPLAY! PARKに来たお子さんたちと作った宇宙船です。

子どもの頃はよくお父さんと工作をしていて、それを久しぶりにさせてもらって。なんか作ってるときにお父さんが、僕の耳元でボソッと<懐かしいね>って笑。すごいいい経験させてもらいました」(矢部さん)

宇宙船を作った当日、お父さんのやべみつのりさんは絵本の締め切りに追われ疲れているご様子だったとか。しかし、工作が始まると急に元気になったそうで「目がバキバキでしたね」と微笑ましいエピソードを矢部さんが紹介してくれました。

「4本の柱を牛乳パックで作ったんですけど、組み立てたときに柱の太さや形がバラバラになって、でもそれを見たお父さんは<でべそだ。いいねえ>と言っていて、そういう方から矢部太郎さんのような方が育つんですね」(草刈さん)

「確かに小さい頃からなんでも、いいねって言ったもらっていましたね」(矢部さん)

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一本に並んだ漫画が人生のよう

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