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生き方

「ええねん、ええねん」ダウン症の弟が、初めて稼いだ大金でおごってくれた“マクドの味”

岸田奈美(作家)

2024年06月02日 公開 2024年12月16日 更新

「ええねん、ええねん」ダウン症の弟が、初めて稼いだ大金でおごってくれた“マクドの味”

作家の岸田奈美さんの弟・良太さんは、ダウン症で知的障害があり、福祉作業所で働いています。あるとき、良太さんにカレンダーの数字を書くという仕事が舞い込みます。そこで大金を稼いだ良太さん。ずっとほしいと言っていたゲームを買うだろうとにらんでいた奈美さんでしたが、弟はひたすらマクドナルドを買います。それも母や奈美さんのために。そこで、奈美さんは、良太さんが何に憧れていたかに気づきます。

※本稿は、岸田奈美著『国道沿いで、だいじょうぶ100回』(小学館)から一部抜粋・編集したものです。

 

弟が大金を稼いだので、なにに使うかと思ったら

その日、岸田家の歴史が揺らいだ。

弟が、莫大なお金を稼いだのである。莫大とは具体的に、ダウン症の彼が福祉作業所で30年働いてやっと手にするはずの金額。それを、ものの数時間で稼いだのである。わが家から、富豪が爆誕した。

福祉作業所では、平日の朝から夕方まで気ままに働き、日給は500円だが昼食が450円なので、手取りわずか50円だった弟が。一夜にして、富豪に成ったのだ。

さて、気になる稼ぎ方は。カレンダーの数字を書く職人だ。文字を書けなかったはずの弟が、わたしの初作『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』を出版するとき、ページの数字(ノンブル)を練習して書いてくれたことがあった。報酬は、わたしからのコーラ一本で、手を打ってくれた。

出版後、「良太さんに、手帳のカレンダーを書いてもらいたいのです」

ノンブルが株式会社ほぼ日の皆さんの目に留まり、弟あての依頼が舞い込んだ。どっひぇー。たまげた。

このあと、「仕事の受注には、まず弊社が運営しているカレンダープロフェッショナルアカデミー(入会金50万円、月謝5万円)に2年間通ってもらい、練習生としてオーディションに挑戦していただくことになります」......などと罠に誘われてもおかしくないほど、美味い話である。

「良太、お仕事、やってみる?」
「んー、ええで」弟は答えた。

すでにカレンダー職人の貫禄があった。

 

カレンダー職人は、温泉に行きたい

職人の朝は早い。弟はたらふく朝ごはんをたいらげ、腹を出してソファに寝っ転がったあと、ようやく取りかかった。左に数字の見本を置き、職人はそれをていねいにペンで書き写す。

「のどかわいた」

職人が所望するので、わたしはとっておきである青森産ストレートりんごジュースを提供した。

ノンブル文字の時は、0から9までの文字をそれぞれ4パターンほど書くだけだったが、今回依頼されたカレンダーでは、1から31までの文字を12パターンすべて書くことになった。372文字。

職人の集中力は短い。空気を読まない犬が遊びにくると、わしゃわしゃなでる。犬が遊びにこなくても、10分くらい書いたら、10分の休憩をはさむ。進み具合は、10文字くらいである。職人......手を......手を動かしてください!

数字だけではなく、「月曜」から「金曜」までの漢字も、職人は見様見真似で習得する。弟にとっては、25歳にしてはじめて漢字を習っているのだ。途中、職人の手は、完全に沈黙した。飽きあそばされたのだ。

「おつかれー。残りは明日やね。なんか、いるもんある?」

せめて今夜は、職人の好物でもごちそうしようと思った。

「おんせん」
「え?」
「おんせん」

すぐさま温泉宿を予約した。きっと職人の手は、わたしには想像もできないくらいの疲労に見舞われたのだ......。温泉で癒やさねばならない。かの夏目漱石も、湯治に頼ったという。きっとそういうことだ。旅館の受付でクレジットカードを差し出しながら、わたしは己に言い聞かせる。

職人の喉は渇きやすい。湯上がりにジュースをひたすら飲んでいた。ドリンクバーを制覇していた。このままジュースで酔っ払いあそばされるのではないかと心配になった。ギアを上げよう。褒めて、褒めて、盛り上げることにした。

「職人!お上手です! 今日は筆が乗ってます! あーッ、斬新なトメ&ハライ、しびれるゥ!」

筆の遅い文豪をたきつける、昭和の編集者である。ちょっと待て。手伝ってしもてるけど、なぜわたしが自腹で温泉代を払ってまで、中間管理職を務めねばならんのだ。カレンダー素材が完成したのは、夜更けだった。そして。弟の書いたカレンダーは、立派な手帳になった。

「365にち」という素敵なタイトルで。弟に完成品を渡すと、「ぼくのー? マジで?」びっくりしていた。マジだよ。姉ちゃんは10冊買ったよ。同じ手帳を10冊買うなんて、初めてのことだよ。

 

お金で痛い目に遭うことも大事!?

ここからが本題。弟は、報酬として30年分の給与にあたるお金を手に入れた。母は言った。

「どうしよう。これは一応、将来のために貯金しておいて......」

わたしは答えた。

「いや、職人が稼いだお金やねんから、職人に渡して、好きに使ってもらおう」

母は驚愕した。

「あの子はお金の価値をようわかってないんやから、あぶないわ」
「お金の価値は使ってみな、わからんねん!」

わたしだって、子どものとき、大切なお年玉を縁日の『ニンテンドーゲームキューブが当たる1000円くじ』で全額スッて、吐くほど泣きながら、お金の価値を思い知った。

「もし誰かにだまされたり、盗とられたりしたら......」
「人生はな、落とした金をネコババされたり、貸した金を返してもらえんかったりして、ナンボやねん」
「ええ......」
「痛い目にあうっちゅーことは、強くなるっちゅーことや。その機会をな、うちらが勝手に奪ったらあかんと思う」

めちゃくちゃな理論でたたみかけるのだけは、我ながら達者だ。口から出任せを放つことにおいては、父ゆずりの才能がある。わたしはただ、弟がどうやってお金を使うのか、おもしろがってるだけである。

「困ったら、わたしがなんとかしたる!」

結局、報酬の3分の2は、将来なにかあったときのためとして弟の口座に納め、残りを弟に渡すことにした。それでも大金には変わりない。弟への受け渡し方法はICOCA(交通系ICカード)にした。

わたしは知っている。彼が、ICOCAにただならぬ憧れをいだいていることを。わたしがコンビニでピッてかざして決済してる時の、あのまなざしったら、もう。新品のICOCAに万単位でドカンとチャージし、弟に手渡した。弟は目を閉じた。

「ありがと......ありがと......」

ちょっと、こう、見たことがない種類の喜び方だった。最寄りのマクドとローソンで使い方を教えたら、光の速さでピッとしていた。そうやんな。いつも、200円とか300円とかの現金しか、持たせてもろてないもんな。ピッとするの、かっこいいやんな。

「好きなもん、買うてええねんで!」
「ええの?」
「あんたががんばって稼いだ、お金や」
「ええの?」
「せやけど、ちゃんと考えや」

弟にはちゃんと伝わっただろうか。でも、大切に使うかどうかも、決めるのは彼である。たぶん、ゲームを買うだろうと、わたしは予想していた。毎日、毎朝、毎晩、ニンテンドースイッチがほしいと言ってくるのだ。どんだけほしいんや。だから、ゲームを買うはず。......と、思っていたのだが。

弟のはじめての買い物は、ゲームではなかった。弟がICOCAを手にした翌日、母は朝から体調をくずし、高熱で寝込んでいた。福祉作業所から帰ってきた弟の手には。

マクドのエッグマックマフィン......。しかも、冷え切った......。朝にしか販売していないメニューを、なぜ夕方に持ち帰ってくるんだ。ひとりで歩いて、買いに行ったのもびっくりだけど。

福祉作業所のスタッフさんに連絡してみると、「お母さんにお見舞いだって、朝の休憩時間に買ってこられたんです。ご自分のハンバーガーとコーラのセットは、お昼に食べられました」

母は涙目になった。

「ありがとうねえ、優しいねえ」

そう言いながら、青紫色の顔でマフィンをかじったが、まあ普通に病人なのでそれ以上、食べられなかった。姉がぜんぶ食べた。

 

「だれかのためにお金を使うこと」への憧れ

後日。元気になった母が車を運転し、家族で買い物に行った。

「夜ご飯どうする?」
「なんか買って帰ろうか」

弟が、「マクド」
口を挟んだ。

「えーっ、また?」

弟は、ポケットからICOCAを取り出した。

「マクド、ぼく、おかね!」

母の運転する車が、マクドのドライブスルーにすべりこんだ。こういう場合、大抵、運転席の窓をあけて、商品を買うと思うのだが。意気揚々と後部座席の窓をあけた。うちの大富豪は後部座席に乗っているから。店員さん、戸惑ってた。

「良太、ここはお姉ちゃんが払うで」
「ええねん、ええねん」

もうこれは30回以上の飲み会で、部下におごってきた課長の雰囲気だ。弟は職人であり、課長でもあったのだ。

「おごってくれるん!?」
「ええねん」

弟は顔をほころばせた。彼がこういう顔で笑うのは、けっこうめずらしい。弟は何日経っても、ゲームを買わなかった。すきあらば、家族にマクドをおごろうとしてくる。

わたしは気づいた。弟は、自分で自由に使えるお金がほしかったわけではない。だれかのために、お金を使いたかったのだ。だれかのためにお金を使うことに、ずっと、ずっと憧れていたのだ。

ドケチなわたしは忘れていた。人におごることのうれしさを。汗水たらしてゲットした初任給で、家族にラーメンをおごった日の喜びを、思い出せ、岸田奈美。

弟は、25年間も待ちわびた喜びをかみしめている。人が働く意味を、お金を得ることの意味を。その自由さも不自由さも、すべて。誰に、教えてもらったわけでもないのにね。お金をうまく稼ぐ才能より、お金をうまく使える才能のほうが、よっぽど人を幸せにするのかもね。

数日後、弟があまりにもマクドに通うことが、家族会議で問題となった。年末にせまる弟の健康診断や、作業所の仲間にマクドをおごりまくる不審なあしながおじさんと噂されるリスクを鑑みて、「ICOCAを持っていくときは母に言う。なにに使ったかは一緒に確認する」というルールが岸田家に組み込まれた。しゃーない。

ゲームは弟の誕生日に、姉が買ってやることになった。なんでや......。余談だが、胃腸が弱く、ジャンクフードをあまり食べられない母は、「良太。あのな、ママが好きなのはスタバ。スタバやで。このロゴのな、コーヒー屋や」わざわざスタバの紙コップを引っ張り出し、レクチャーに明け暮れているのだが、弟はかたくなにマクドばかり買ってくるのであった。

 

\ドラマ『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』放送決定/
1作目『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』のドラマの地上波放送が決定しました。ぜひご覧ください!

NHK総合『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』(全10回)
[出演]河合優実、坂井真紀、吉田葵、錦戸亮、美保純ほか。
https://www.nhk.jp/p/ts/RMVLGR9QNM/

 

著者紹介

岸田奈美(きしだ・なみ)

作家

1991年生まれ、兵庫県神戸市出身。大学在学中に株式会社ミライロの創業メンバーとして加入、10年に渡り広報部長を務めたのち、作家として独立。 世界経済フォーラム(ダボス会議)グローバルシェイパーズ。 Forbes 「30 UNDER 30 JAPAN 2020」選出。

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