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「死んでもおかしくなかった」大事故から生還 小田和正さんを待っていたファンの言葉がその後を変えた

小田和正(アーティスト)

2024年07月08日 公開 2024年12月16日 更新

「死んでもおかしくなかった」大事故から生還 小田和正さんを待っていたファンの言葉がその後を変えた

1998年、交通事故で重傷を負った小田和正さん。一時は生死の境をさまよった小田さんに、ファンがかけた言葉とは...。70歳の節目に語られた、ファンや音楽への思いを記録した書籍『時は待ってくれない』から一説をご紹介します。(聞き手:阿部渉)

※本稿は、小田和正著『時は待ってくれない』(PHP文庫)より、内容を一部抜粋・編集したものです。
※写真はすべて同書からの転載です。

 

交通事故をきっかけに、素直になれた

小田和正
1998年7月22日夜、ゴルフコンペ会場へ向かうため東北自動車道下り車線(栃木~鹿沼インター間)を走行中、雨で車がスリップし、道路左側のガードロープに激突。その衝撃で車は追い越し車線まで弾かれ、みずからも後部座席に飛ばされるが、九死に一生を得る。

――1998年、小田さんはアーティスト生命の危機ともいえる交通事故を経験します。鎖骨と肋骨3本を骨折。首の骨がずれ、神経を圧迫する絶対安静の重症だったとうかがっています。

あのときは、たしかに九死に一生でした。よくまあ、助かったなと思うけど、あとになって、「ああ、あのとき、たしかに死んじゃっててもおかしくないくらいの事故だったんだろうな」と思ったね。

「あのとき死んじゃってたら、あの曲も、この曲もつくってなかったということか」って、そんなふうに思ったりしましたね。

――その事故をきっかけに、ちょっと大げさに言うと、人生観が変わったということはありますか。

ファンの人たちが心配してくれて、「とにかく生きていてくれただけでよかった」という手紙とかをいっぱいもらって、びっくりしたんですよ。「ああ、生きていてくれてよかった、生きていてくれただけでよかった」っていうね。身内の人なら、「ああ、お前、助かってよかったよ」って言うのはわかりますけど、身内でもない人たちがね......。

結構、感動しました。ああ、そんなふうに思ってくれるんだって。そのときにはじめて、「ああ、こんなふうに思ってくれるんだから、喜んでもらわなきゃ」って。それまであんまりそんなふうに考えたことはなかったんだけど、そこではじめて、そういう考え方になったんだね。

それで、どうしたら喜んでくれるのかと考えていたとき、お客さんの近くへ物理的に近づくと、とっても喜んでくれることがわかった。ちょっと客席に下りてみたりすると、本当に喜んでくれて、みんな、「あ、こんなに喜んでくれてる」ってわかる笑顔なんだよね。

――大ケガから回復して、「観客にもっと楽しんでほしい! ファンにもっと近づきたい!」という思いから、小田さんはコンサート会場に「花道」(ファンに喜んでもらうために、みずから発案したコンサート演出)をつくってファンを驚かせました。花道が最初に登場したのが、2000年、横浜・八景島シーパラダイスでのカウントダウンライブでしたね。

花道をつくって、歌いながら歩いていったら、本当にお客さんが嬉しそうな顔してるんだ。ああ、喜んでもらおうと思ったけど、こんなに、こんなに笑顔になるんだって。

――花道に出ていくと、ファンとの距離はかなり近いですよね。小田さんとしては抵抗はなかったんですか。

図々しくなったんだね、どっかから。昔だったら恥ずかしくて、なんか照れくさいしね。それが、とっても素直に手なんか振っちゃって(笑)。だから、おれを昔から知っている、たとえばほかのアーティストが見たら、「なんだ、あいつ、どうしちゃったんだ」みたいな感じだろうな。

――花道だけではなくて、通路まで下りるときもありますよね。本当に近いところで、みなさんがちょっとさわってきたりしませんか。

さわってきますね。ああ、それはさわりたいんだろうなあと思うから、できるだけ腹を立てないようにして(笑)。昔は、やっぱりシャイだから、手を振って歌うなんてことはありえなかったんだけど、どうしてそれができるようになったのかなって思うよ。やっぱり、「生きていてくれてよかった。生きていてくれただけでよかった」という言葉がすごい残ったんだろうね。うん、素直になれたのね。

 

ファンの心をくすぐる「ご当地紀行」

小田和正

――ファンの心をくすぐる仕掛けとして、小田さんがコンサートの開催地をめぐり、地元の人たちとふれあうシーンを撮影して会場で流す「ご当地紀行」があります。まさに"素"の小田さんが見られるので、いまやファンが待ち望む定番の演出になっていますが、ああいうことをやろうという境地になったのはどうしてなんでしょうか。

境地、うん、そうだね、境地と言ってほしいね(笑)。そもそもは、そのライブのために自分がいるんだという証みたいなものを残したい、それをみんなと共有したいということだね。「お前のところに来ているよ、いま」っていうのをね。

「サンキュー東京!」とか言うアーティストもいるけど、おれは言わないから。でも、もし外国のタレントが日本に来て、そのへんの街を歩いて、それをステージ上で映して、「今日、ここへ行ってきたぜ、ベイビー」とか言ったら、すごく嬉しいんじゃないかなと思ったの。「ああ、あそこに行ってくれたんだ」ってね。

そうしたら、僭越ながら、もし自分が本当にみんなが住んでいそうな街角や行きそうな喫茶店に行って、それを見てもらったら、「ああ、来てくれたんだな」って喜んでもらえるんじゃないかなと思ったんだ。スタッフも、「ああ、おれたち、いまここにいるんだな」って、見てわかってくれるしね。

でも、まあ、なんといっても、自分なんだろうな。なんだかんだ言ってるけど。自分が、この時期、この年齢であちこちに行ってきたというものを、その証を残したいというね。それから、このライブは、ここでしかやってないよ、この日しかやってないよというふうにしたいんだろうな。

――「ご当地紀行」を見ていますと、ほぼ毎回、階段を上ってますね。なぜ、こんな負荷をかけるんですか。

「ご当地紀行」をやるってこと自体、負荷をかけているからね。いじめたり、無理したりすることによって、なんだかすごくエネルギーが出てくるんだね。「こんぴらさん」なんかも、つらいんだよ、階段上がるの。つらい思いをして、山を登るからね。どうして、コンサートに来て、こんな山奥にいるんだろうみたいなね。でも、それはそれで、またおかしくて。

それに、一生懸命やってるな感は自分にもあって、お客さんもそのバカバカしさを笑ってくれる。「こんぴらさん」を上っているの見て、見ているうちに、一緒にどこか疲れて笑ってね。うん、つらいけど、楽しいんだよ。

――つらいけど、楽しい......そういうものですか。

楽したものは信用できないっていう、そういうところがあるんだね。逆に、つらい思いをして、通りすぎてきたものは信用できるっていう。優秀な人は、そんなつらい思いをしなくても、さっとやってできるわけだから、それでいいんだけど。おれは、そういう経験、あんまりないからさ。なんだかうまくいったなと思うことは、全部、つらい思いをしたあとだったから、つらいことは信用できるな、というところがあるんだよね。

 

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