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平安貴族の男性は涙が美徳? 「男なんだから泣かない!」がここまで浸透した背景

三橋順子(性社会文化史研究者)

2024年08月22日 公開

平安貴族の男性は涙が美徳? 「男なんだから泣かない!」がここまで浸透した背景

Trans-womanであり性社会文化史研究者の三橋順子さんが明治大学文学部で13年にわたって担当する「ジェンダー論」講義は、毎年300人以上の学生が受講する人気授業になっています。その講義録をもとにした書籍『これからの時代を生き抜くためのジェンダー&セクシュアリティ論入門』が、このたび刊行されました。

今回は、その中から、知っているようで、本当はよく分かっていない人も多いであろう「ジェンダー」という言葉について分かりやすく解説していきます。

※本稿は、三橋順子著「これからの時代を生き抜くためのジェンダー&セクシュアリティ論」(辰巳出版)より、内容を一部抜粋・編集したものです。

 

ジェンダーは「性差」だけではない

まずジェンダーとは何か? の定義から入りましょう。私は人文・社会科学系の学問の定義は、自然科学系と違って、複数あっていい、多義的でいいと考えていますので、3つの定義をお話しします。

まず、ひとつ目。いちばん簡単に言えば、ジェンダーとは「社会的、文化的性」となります。それではなんのことかよくわからない、もう少し説明をして欲しいということでしたら、ジェンダーとは「人間が生まれたあと後天的に身につけていく性の有り様」と言い換えることができます。

ここで大事なことは「後天的に」の部分です。したがって、ジェンダーとは「身体的性(先天的性)であるセックス(Sex)とは基本的に別次元のもの」となります。つまり、ジェンダーとセックスは一致する場合が多数ではあるけれど、一致しない場合もあるということです。たとえば、生まれたときに割り当てられた性別(Sex)とは別の性別(Gender)を生きるトランスジェンダーは、ジェンダーとセックスが一致しません。

もう一点、注目して欲しいのは、私が「性の有り様」と定義したことです。多くのジェンダー論の先生、とりわけフェミニズム系の先生は「性の有り様」の部分を「性差」と表現します。ジェンダーとは性差であるといった定義ですが、私は、ジェンダーは性差だけではなく、性差を含む性の有り様と考えています。なぜなら、ジェンダー=性差とすると、視野が狭くなってしまい、社会の中のさまざまな性現象が捉えにくくなるからです。もちろん性差の視点は重要です。でも、性差がすべてではないという立場です。

 

平安貴族にとって、涙は「すてきな男性」であることの証明?

2つ目の定義。ジェンダーとは「社会(文化)によって想定され、要求される『男らしさ』『女らしさ』」となります。ジェンダーを「男らしさ」「女らしさ」で定義すると一見、わかりやすいように思えるのですが、実はそう簡単ではありません。

「男らしさ」「女らしさ」とは、ある社会に生まれた者には、動かしがたい絶対的な属性(「常識」)のように思われますが、本来は相対的なものだからです。言い方を換えれば、社会によって、つまり地域・時代によってジェンダーの内実(「男らしさ」「女らしさ」)は異なるものになるということです。

たとえば、私の世代は、転んで膝を擦りむき泣いたら、両親からも周囲の人たちからも「男の子なんだから泣かない!」と言われて育ちました。なぜ男の子は泣いたらいけないのか、それは誰も説明してくれません。それが「当たり前」で、その社会の「常識」だからです。でも、どの時代もそうだったのでしょうか?

平安時代中期の『源氏物語』の主人公・光源氏はしばしば泣きます。では、光源氏が「男らしくない」かと言えばそうではありません。涙を流すことは豊かな感受性の表明であり、すてきな男性であることの証明なのです。

これは物語の中だけの話ではなく、同時代の権力者・藤原道長も日記『御堂関白記』を読むとけっこう涙を流します。少なくとも平安貴族は「男なんだから泣かない!」とは考えていなかったと思います。

では、いつから「男なんだから泣かない!」になったのか? おそらく江戸時代の武家の規範でしょう。戦国時代くらいまでは武士も時には泣いたはずです。そうした江戸時代に形成された武家の規範が、明治時代になって、学校教育を通じて士族以外の庶民にまで広められたのではないか? と推測しています。しっかりと調べたら『涙の日本史』みたいな本になると思います。

ちなみに、こうした武家の規範が、近代になって武士という階層がなくなったのにもかかわらず、学校教育によって広く国民全般に広められたことを「サムライ(侍)ゼーション」と言います。文化人類学者の梅棹忠夫先生が提唱した概念ですが、「性」に関わる規範ではこのサムライゼーションによるものがかなり多くあります。

 

明治~昭和戦前期の政治家や軍人が髭を蓄えていたわけ

「男の子なんだから泣かない!」は時代によって「男らしさ」が変わった例です。つぎに、地域によって違う例をあげましょう。男性の髭は身体の一部なので、その存在そのものはジェンダーとは言えません。しかし、その髭をどうするのか、伸ばすのか、剃るのかになると、これはジェンダーの領域になってきます。

現代の日本社会は、男性が髭を剃る文化です。剃らないと「無精髭」と言われます。学生なら許されますが、ビジネスマンとしてはNGです。ところが、企業の中でも髭を剃らずに蓄えている人がいます。それは、イスラム世界を相手にする人、たとえば商社の石油輸入担当で、中東で交渉する人などです。イスラム世界では、髭は「男らしさ」の象徴、一人前の男の証明なので、髭がないと相手にされません。だから髭を伸ばすのです。

また歴史の話になりますが、日本の男性も髭を伸ばしていた時代がありました。平安時代までは剃っていましたが、中世になると、髭を蓄えるようになります。ところが江戸時代になると、また剃るようになります。江戸時代で髭を剃っていないのは、社会の一線からリタイアしたご隠居さんか、社会階層の低い人、さらに言えば泥棒のような悪人です。社会で現役の人は、武士も商人もかなりきちんと髭を剃っています。

髭を蓄えた写真が有名な大久保利通も、明治の初めまでは髭を伸ばしていませんでした。それが、岩倉使節団で欧米に視察に行くと、向こうの偉い人がみんな髭を蓄えています。それを真似て、帰りの船で髭を伸ばし始めたのでしょう。そういうこともあり、明治~昭和戦前期の政治家や軍人には髭を蓄えている人が多くいます。

 

「男らしさ」の誇示、「女らしさ」の強要が生み出すもの

ということで、「男らしさ」「女らしさ」は、時代や地域によってかなり変わるもので、簡単に言えるものではありません。

「男らしさ」「女らしさ」の問題で重要なことは、男女不平等な男性優位な社会では、「男らしさ」の誇示、「女らしさ」の強要が、女性に対する抑圧装置(男性にとっては権力装置)として機能することです。ジェンダーの権力性です。たとえば「女に学校教育はいらない」といった考え方です。無学・無知であることを「女らしさ」と結びつけ、女性の就学の機会を奪い、社会的地位の向上を制約し、社会的に抑圧していくのです。

それはけっして過去のものではなく、現代でもイスラム原理主義が強い地域などでは現実問題として存在します。

2014年に17歳の若さでノーベル平和賞を受賞したパキスタンの少女マララ・ユスフザイさんは、女子教育を否定するイスラム原理主義者によって、中学校のスクールバスを襲撃され、重傷を負います。幸い命を取り留め、以後、文字通り命がけで、女性が教育を受ける権利を訴え続けている人です。マララさんの事例は、「女らしくない」という決めつけ、「女らしさ」の強要、それに従わない女性の抹殺というジェンダーの権力性の露骨な表れであり、性差別です。

 

性差+マイナスの価値づけ=性差別

ここで、性差と性差別について考えてみましょう。性差とは、文字通り男女間の差異です。男性と女性は、遺伝子や性染色体の違いに基づく身体構造に明確な差異があります。女性は基本的に妊娠・出産の機能を持っていますが、男性にはそれはありません。

早い話、私のようなTrans-woman はどれほど頑張っても、子どもは産めません。そうした男女の差異にマイナスの価値づけをしたのが性差別です。つまり「性差+マイナスの価値づけ=性差別」という図式になります。ここは大事なポイントです。

「女性は妊娠をする」これは性差です。そこに「だから会社では使い物にならない」といったマイナスの価値づけをしたら、それは性差別(女性差別)になります。「男性は力が強い」一般的にはそうかもしれません。しかし、「だから粗暴で物を壊す」といったマイナスの価値づけをして、公共施設などへの入場を「禁止」にしたら、それも性差別(男性差別)になります。

たとえば、ゲームセンターのプリクラコーナーの入口に「男性のみのお客様はご遠慮ください」という掲示を見かけることがあります。理由は書いてありませんが、男性だけのグループは機械を壊すという認識があるようです。あるいは、男性が物陰に潜んで女性を襲う危険性があるためという説もありますが、それは明確な性犯罪です。

私がこのプリクラコーナーの掲示の問題性に気づいたのは、男女のカップル、レズビアンのカップルはプリクラを撮れる。でも、ゲイのカップルはプリクラを撮れないという話を聞いたときでした。おそらく、この掲示が設けられたとき、プリクラを撮りたがるゲイカップルがいるという想定はしていないでしょう。つまり、この掲示は男性差別であると同時にゲイ差別でもあるのです。

ジェンダーの定義3つ目。「具体的には、服装・化粧・髪型・しぐさ・言葉づかい・社会的役割など性に関わる体系的な文化事象の総体」となります。なんだか文化人類学っぽいですね。

ジェンダー記号はひとつではなくいろいろあります。それらは単独で機能しているのではなく、けっこう体系的・複合的に機能しているということです。

著者紹介

三橋順子(みつはし・じゅんこ)

性社会文化史研究者

1955年、埼玉県生まれ、Trans-woman。性社会文化史研究者。明治大学文学部非常勤講師。専門はジェンダー&セクシュアリティの歴史研究、とりわけ、性別越境、買売春(「赤線」)など。著書に『女装と日本人』(講談社現代新書)、『新宿「性なる街」の歴史地理』(朝日選書)、『歴史の中の多様な「性」―日本とアジア 変幻するセクシュアリティ』(岩波書店)がある。

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