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「たくさんの人が通り過ぎていった」 雨の夜、高校生に救われた全盲の猫

佐竹茉莉子

2024年10月18日 公開 2024年12月16日 更新

「たくさんの人が通り過ぎていった」 雨の夜、高校生に救われた全盲の猫


視力を失ったその瞳は、逆光で緑色となる

障害をものともせずたくましく生きる猫、難病を抱えながらも家族の愛に包まれて暮らす猫、ペットロスの家族を救った猫、認知症の犬を献身的に支えた猫、人間なら128歳の年齢まで生きた猫......奇跡みたいな"ふつうの猫"たちの、感動の実話を集めた書籍『猫は奇跡』(佐竹茉莉子著/辰巳出版)が発売されました。

本書には大の猫好きとして知られる小山慶一郎さんや、『25歳のみけちゃん』(主婦の友社)の著者で児童文学作家の村上しいこさんから推薦コメントも寄せられています。

本書には、著者の佐竹茉莉子さんが丁寧に取材した、猫と人の物語を17話収録。それぞれの「奇跡」が共感と感動を呼ぶ、猫好き必読の一冊となっています。

本稿では『猫は奇跡』から全3話をご紹介。第1回は、交通事故にあい全盲になるも、家族の愛に包まれ暮らす「こはる」の物語です。

※本稿は、佐竹茉莉子著『猫は奇跡』(辰巳出版)より、内容を一部抜粋・編集したものです

 

光の当たり具合で色が変化する、こはるの目

全盲の猫 こはる

窓辺で、三毛猫のこはるはのんびりとひなたぼっこを楽しんでいる。週末で、専門学校へ通っている大好きなお兄ちゃんがそばにいて、うれしくてたまらない。お兄ちゃんは、命を救ってくれた人だ。

光の当たり具合で、こはるの目は、暗緑色になったり灰白色になったりする。逆光では、メロンドロップのような不思議な緑色になる。こはるは、2年前の事故で顔面を強打し、視力を一瞬にして失った。

「こはる、おいで」

お兄ちゃんが、猫じゃらしを振って遊びに誘う。こはるは飛んでいく。見えない分、かすかな音にも、気配にも敏感だ。家の中の物の配置もすべて頭の中にある。どの部屋にも自由にこはるは行き来している。ケイコ母さんの部屋は、こはるのためにピンクのじゅうたんが敷きつめられ、ベッドに上がるステップがある。トイレも2つある。お兄ちゃんはといえば、こはるがいつでも出入りできるよう、自室のドアを取り外してしまった。

全盲の猫 こはる
大好きなお兄ちゃんとの休日

11月になれば、こはるがここに来てから2年がたつ。当初は寝たきりが続くかと思われたが、今は楽しそうに遊ぶし、要介助でも口からちゃんと食べている。ここまで回復するとは。こはるは、獣医さんまでも驚かせている。

全盲の猫 こはる
ぶつからない工夫があちこちに

 

「事故に遭った猫がいる!」

全盲の猫 こはる
保護後しばらくたって(ケイコさん提供)

あの日、2022年11月4日。夜になっても雨はやまなかった。ケイコさんのスマホが鳴る。高校2年の次男からだ。陸上の部活動をしていて、その日は学校帰りに寄るところがあると言っていた。

「お母さん、猫が交通事故に遭ったようなんだけど」

車で20分ほどのバス通りにケイコさんが急ぎ向かうと、道ばたで次男がしゃがみこんでいる。その腕のなかには、上着に包まれた血だらけの猫。ケイコさんは、ぐったりした猫を車内に入れ、近くの獣医に片っ端から電話をかける。

「お金、大丈夫?」「うちではなく、他の病院へ」「かなりかかりますよ」

どこもお金のことしか言わず、すぐ連れてきてと言ってくれない。至近ではないが、実家近くの顔なじ みの獣医さんがすぐ診てくれることになった。

向かう車内で次男がぽつりと言う。

「人間は救急車を呼べるのに」「たくさんの人が、足も止めず通り過ぎていった」

猫は、あごが砕けてずれ、歯が折れ、口と目から出血していた。交通事故で顔面を強打したと思われ、目は光の反応のみ。生体反応に乏しく、死の淵にいた。

時間外の夜の診察室で、獣医師、ケイコさん、立ち会ったケイコさんの母、次男が診察後の瀕死の猫を取り囲んだ。

「気がつくと、おとなたち全員で、『この子、どうする?』とうつむいたままの次男に答えを求めていました。すると、次男は顔をあげて、言ったんです。『僕はこの子を助けたいだけなんだけど』って。ハッとしました。そうだ、『この子、どうする』ではない、助けることだけを考えよう」

ケイコさんはそのときのことをそう振り返る。

手術は困難とのことで、点滴と抗生剤投与をしてもらい、一日おきに通院することとなった。推定5歳くらいとのことだった。

 

見守り隊ができた!

全盲の猫 はる
ケージのそばでひと晩明かしたお兄ちゃん(ケイコさん提供)

獣医さんから借りたケージの隅で、猫は痛みに耐えてただうずくまっている。温めてやって「助かれ、助かれ!」と祈ることしかできない。次男は、ケージのそばで、ひと晩を明かした後、学校へ行った。

猫は、死の淵から引き返した。左目は開かず、右目は充血しているが、少しずつ眠るようになった。1日おきの通院は、見えない身にはどれほどの恐怖だろう、ケージの中で粗相をするが、それも生きてくれていればこそ。警察や保健所などにも届け出たが、飼い主は見つからなかった。

ケイコさん一家は、猫と暮らしたことがなかった。何の知識もなく、無我夢中で重症の猫のお世話を始めたのだった。ケイコさんは保護直後からX(当時はツイッター)で毎日発信を始めた。飼い猫だったのなら、どうか飼い主の目に届くようにと。

飼い主が見つかったときには、この子はこんな風に事故後を過ごしていたということも伝えたくて毎日発信を続けた。

トイレのこと、投薬のこと、食事の摂らせ方......寄せられるたくさんの親身なアドバイスを、ケイコさんは、みなノートに記し、役立てた。保護直後はとりあえず「ミケちゃん」と呼んでいたのだが、「来陽(こはる)」という希望に満ちた名を提案してくれたのも、フォロワーのひとりだった。その名を、危機を脱したときにつけた。

こはるの扱いは夫も含め家族共通理解が大切なので、壁には注意書きを貼った。家族がみな不在の折は、結婚している長男が帰ってきて参加してくれた。

こはるの取扱説明書
壁に貼ったこはる取扱説明書

 

一歩ずつ、できることが増えていく

全盲の猫
お気に入りの窓辺でケイコさんと

飼い主が現れないまま3ヶ月がたって、こはるは正式にこの家の子になった。ケイコさんは、Xでの連日の発信を、折々の成長やエピソードを綴る「コハル通信」に切り替えた。寝てばかりだったのが、両目が開き、やがて、恐る恐る家の中を歩き回り、控えめに甘えるようになり、初めての抱っこもさせてくれたときのうれしさ、愛おしさ。

「お世話をするときはこはるの目が見えていないと思ってやり、話しかけるときは、少し見えていると思って話しかけています。次男は、すべて見えていると思って接してます」

去年の7月には、不妊手術も無事終えた。あごには穴が開いたままだし、可動域はやや広がったもののふつうの猫の半分以下なので、シリンジでの給餌・給水となる。10粒ほどのカリカリをお皿に載せ、「あと6粒だよ」「これでおしまい」などと話しかけながら、口の脇から入れてやる。噛まずとも猫はちゃんと消化でき、栄養になるのだ。

あごの穴を塞ぐ手術は、あごの開かないこはるにはとても難しい。手術の選択は、飼い主の判断となる。今のところ、ケイコさんたちは、こはるの自然治癒力を信じて、一歩一歩の回復を見守る様子見の方針をとっている。

自分で水を飲んでくれたことがあったり、できることは一つずつ確実に増えていく。つい最近は、カリカリを口に入れてやったとき、「カリッ」という音を初めて聞いた。報告するたび、見守り隊から喜びのコメントがたくさん寄せられる。

全盲の猫 こはる
水分はシリンジで

「大変だったかと問われれば、大変だったと答えるしかありません。でも、それ以上に、こはるはこんなにもしあわせな日々を私たちに運んできてくれました」

春から運動整体の専門学校に進学したお兄ちゃんは、妹に話しかける。

「こはる、これからも少しずつできることが増えていったらいいね。急がず、自分のペースでがんばればいいよ」

こはるも、お兄ちゃんが勉学に打ち込めるよう、日々協力している。お兄ちゃんが机に向かって勉強を始めたら、足の甲にあごを載せてくつろぎ、机からしばし離れさせない。骨の仕組みと動きの勉強に役立てようと、自分の手を差し出したりする。

こはるの周りは、春の陽光で満ちている。

きっとこはるには、家族の笑顔が見えている。

全盲の猫 こはる
全身で愛は感じている、見えている

著者紹介

佐竹茉莉子(さたけ・まりこ)

ライター

フリーランスのライター。幼児期から猫はいつもそばに。2007年より、町々で出会った猫を、寄り添う人々や町の情景と共に自己流で撮り始める。フェリシモ「猫部」のWEBサイト創設時からのブログ『道ばた猫日記』は連載15年目。朝日新聞系ペット情報サイトsippo の連載『猫のいる風景』はYahooニュースなどでも度々取り上げられ、反響を呼ぶ。季刊の猫専門誌『猫びより』(辰巳出版)や女性誌での取材記事は、温かい目線に定評がある。

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