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生き方

「苦しいでしょうがご辛抱ください」と言った主治医に、松下幸之助が返した最期の言葉

PHP編集部

2024年11月01日 公開 2024年11月11日 更新

「苦しいでしょうがご辛抱ください」と言った主治医に、松下幸之助が返した最期の言葉

一代で世界的企業を築いた実業家であり、「PHP理念」を提唱した思想家でもあった松下幸之助は、1894年の11月に生まれ、明治、大正、昭和を生き、平成元年に94年の生涯を閉じました。生誕130年にあたる今、あらためてその生き方についてご紹介します。

構成・文:編集部 協力:PHP 理念経営研究センター 写真提供:パナソニックホールディングス株式会社

※本稿は、月刊誌『PHP』2024年11月号より、一部編集・抜粋したものです。

 

松下幸之助 人生マップ

90歳を過ぎたころ、松下幸之助は「130歳まで生きてみよか」と言っていました。当時の長寿記録である124歳を超えて生き、「まだまだ大きなことができる」と語ったのだそうです。実際に亡なくなったのは94歳でしたが、常々語っていた「生命が尽きる瞬間まで、なすべきことをなしつつ生きていきたい」との言葉を体現するような人生でした。その歩みをダイジェストでご紹介します。

(※年齢はその年の誕生日前日までを示します)

 

0歳   [1894年(明治27)] 11月27日、8人きょうだいの末っ子として和歌山で生まれる。

◎ライト兄弟が人類初の動力飛行に成功(1903年)

9歳   [1904年(明治37)] 小学校を中退し、大阪で丁稚奉公を始める。
15歳 [1910年(明治43)]  大阪電燈(現関西電力)に入社。

◎第一次世界大戦(1914 ~ 1918年)

20歳 [1915年(大正4)] 井植むめのと結婚。
22歳 [1917年(大正6)] 大阪電燈を退職し、ソケットの製造販売を始める。
23歳 [1918年(大正7)] 松下電気器具製作所を創業。

28歳 [1923年(大正12)] 砲弾型電池式自転車ランプを考案発売し大ヒット。
◎関東大震災

32歳 [1927年(昭和2)] 初めて「ナショナル」の商標をつけた角型ランプを発売。

◎世界恐慌(1929~1930年代)

40歳 [1935年(昭和10)] 株式会社に改組し、松下電器産業を設立。

◎太平洋戦争(1941~1945年)

51歳 [1946年(昭和21)] PHP研究所を創設し、翌年、月刊誌『PHP』を創刊。

◎日本初のテレビ放送開始(1953年)

66歳 [1961年(昭和36)] 松下電器の社長を退任し、会長に就任。

◎東海道新幹線開業、東京オリンピック(1964年)

73歳 [1968年(昭和43)] 『道をひらく』をPHP研究所より発刊。
◎日本のGNPがアメリカに次いで第2位となる

78歳 [1973年(昭和48)]  松下電器の会長を退き、相談役となる。
◎第一次オイルショック

84歳 [1979年(昭和54)] 次代のリーダーを育てるため、松下政経塾を設立。
◎第二次オイルショック

◎国鉄の民営化によりJRが発足(1987年)

94歳 [1989年(平成元)] 4月27日、逝去。

 

最期の言葉

1989年4月6日、松下幸之助は38℃の高熱を出し、気管支肺炎を発症し、松下記念病院で治療を受けることになります。同月20日、主治医に「これから管を喉に入れます。苦しいでしょうがご辛抱ください」と声をかけられ、「いやいや、お願いするのは私です」と声を振り絞って答えました。これが最期の言葉となり、その1週間後に永眠します。

 

未収録の随筆2本を公開

1968年に刊行された『道をひらく』。人生や仕事への姿勢を書き綴った随想集は、累計566万部を突破するロングセラーとなって読みつがれています。1978年には続編の『続・道をひらく』が刊行されました。短く読みやすいエッセイは、松下幸之助みずからが『PHP』の裏表紙で連載していたもの。今回、『道をひらく』や『続・道をひらく』に収録されていない作品を『PHP』のバックナンバーから選びました。

『PHP』での松下幸之助の連載は数多くありましたが、裏表紙は1949年から1985年まで、最も長く続いた連載でした。

※ 随筆の原文に使用された旧仮名や旧字体は新仮名・新字体に改めています。また、掲載に際して新たに読みがなをふりました

 

「日に新たに」

希望と勇気とは、人にいつも青春を与える。それは年齢の如何(いかん)を問わない。若くとも希望を失えば忽(たちま)ちにして老い、勇気を失えばその日から潑剌(はつらつ)さは消える。

希望は与えられるものではない。自ら求めゆくものである。勇気もまた他から与えられるものではない。自ら奮い起すものである。

人生への希望と勇気に満ち満ちたとき、人は日に新たなる生活を営みはじめる。

日に新たに、日に日に新たに。

それは自然の理法であり、すべてのものの発展してゆく姿である。繁栄を望むならば、人もまた日に新たでなければならない。

日に新たとは、絶えざる創意と工夫がこらされることである。

一瞬一瞬に工夫をこらし、創意を生み出してゆくことである。この努力―そこから限りない繁栄と平和と幸福とが生み出されてくる。(1949年11月号)

 

「素直な心」

素直な心と何度も言うようだが、何ごとをするにしても、やはり素直な心が一番大切のように思われる。まして人間は、いつも素直な心でばかりいるものではないから、折に触れ、時に応じて、素直な心の大切さを強調する必要がある。日夜、お題目のようにこれを唱えても唱えすぎることはあるまい。

素直な心の反対は捉われた心である。心が何か一つに引っかかるのである。引っかかった心では、ものごとは正しく判断できない。正邪(せいじゃ)の別を誤まる。正邪の別を誤まって、ものごとが円滑に運ぶ筈がない。

事がうまく運ばぬときには、一度静かに考えて見るがいい。何かに執している。何かに捉われている。たとえ正しいと信じることでも、その正しさに捉われてしまえば、心が狭くなり判断を誤る。そして無理をする。正しいことですら、これに執してはいけないのである。

素直に、いつも素直に。どんな場合に直面しても、やはり素直に。素直な心は、真実をうつす唯一つの鏡である。(1952年10月号)

 

『道をひらく』あれこれ

実は『道をひらく』は、PHP研究所から発刊する1年前に、実業之日本社から発刊されています。実業之日本社版をベースにしつつ、23編が新たに加えられました。1971年からPHP研究所が一般書籍の出版事業を始めるにあたり、『道をひらく』はその先駆けだったと言えるかもしれません。

時代を下り、2016年のPHP研究所創設70周年にはハローキティとのコラボレーションが実現。新たな読者に届けるため、『道をひらく』『続・道をひらく』から40話を厳選して発刊しました。また、より多くの人に親しみを持ってもらえるようにと、書店オリジナルのカバーも多数展開されています。

 

\松下幸之助生誕130年記念シンポジウムを開催!/
経営で大切なことはみな松下幸之助が教えてくれた

「経営は本来成功するようにできている」
小学校中退、病弱など不遇な生い立ちでありながら、経営者として数々の危機を乗り越え、透徹した見方・考え方で成功を収めた松下幸之助。

幸之助が94年の人生を通じて人々に訴えた大切なことは何かを、サイボウズ株式会社社長の青野慶久さん、早稲田大学ビジネススクール教授の入山章栄さんとともに議論します。

最新技術による幸之助研究も紹介、混迷する現代に求められるアントレプレナーシップ、リーダーシップについても考察。次代を担う経営者、リーダーのみなさまのご参加をお待ちしております。

日時:2024年11月27日(水) 18:30~20:45  ※開場は18:00を予定
会場:紀伊國屋ホール

※詳しい内容やお申込みについては、下記リンクよりご確認ください

https://prinfo.php.co.jp/pages/konosuke130

 

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