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耳が聞こえず、英語を話せない女性が「海外一人旅」 入国審査をクリアできた一つの作戦

牧野友香子(株式会社デフサポ代表取締役)

2024年11月22日 公開

耳が聞こえず、英語を話せない女性が「海外一人旅」 入国審査をクリアできた一つの作戦

生まれつき重度難聴を抱え、現在は家族4人でアメリカに暮らす牧野友香子さん。YouTube「デフサポちゃんねる」は登録者数12万人(2024年11月時点)を超え、様々なことに挑戦する姿は沢山の人に勇気を与えています。

牧野さんは大学生の頃、長期の海外一人旅を決行したことがあるそう。英語もできなかったという牧野さんが経験した旅の話を、ご著書『耳が聞こえなくたって 聴力0の世界で見つけた私らしい生き方』から紹介します。

※本稿は、『耳が聞こえなくたって 聴力0の世界で見つけた私らしい生き方』(KADOKAWA)より内容を一部抜粋・編集したものです

 

時間のある時にしかできないことをする!と決めていた

入学したのは、神戸大学の発達科学部。心理学の勉強もできて、教員免許も取れる学部だったのが決め手でした。耳が聞こえない私は、口を読むだけではなく顔全体を見ているので、人の表情やしぐさから考えを読み取ることが当たり前に身についていました。それを体系的に学んでみたいという思いがあり、心理学に興味を持ちました。

教員免許は、両親が「障害があるからこそ、資格を持っているに越したことはない」という考えだったので、教師になるつもりはなかったけれど、学費を払っているのは親だし、ということで途中まで資格取得のための単位を取っていました(先に就職が決まったので、結果取らず)。大学では行動心理学をメインに勉強していて、人の行動にどんな心理が働いているのかを知るのは、すごくおもしろかった。

でも......、私自身は大学でもう1つ大きな目標があったのです。大学生だからこそ、大学生のうちにしかできないことにチャレンジする!こと。なので、大学1年、2年でできるだけ単位を取って、3年、4年は海外を一人旅していろいろな国を見てみたい!と思っていました。

そのためには、2年間で授業を詰め込んで単位を取らないといけない。そこで、先輩に一般教養の授業がどんなものかを根掘り葉掘り聞きました。聞こえない私でも単位が取りやすそうな授業かどうか、がポイント。その結果、講義で話された内容がテストされる授業は、聞こえない私にはハードルが高いので、できるだけレポート提出で単位が取れる授業や、出席を点数に換算してくれる授業を選択しました。

「聞こえない私でも単位が取れる授業」を優先したので、興味のない分野もちらほら。先輩の情報をもとに選んでも、いざ授業に出てみると、プリントやテキストなどが一切なく、とにかく先生がパーッとしゃべって終わる、みたいなのもありました。

「私、耳が聞こえないんです」と最初の2〜3回は先生のところに行って頑張って伝えるのですが、先生に忘れられてしまったり、聞こえないことへの理解をなかなか得られなくて、どうにか単位さえクリアすればもういいっか、とあきらめる感じで。

結局、周りの友だちにわからないところを教えてもらうなどして助けてもらいました。そんなこんなで、1、2年生の時はとにかく勉強しました。大学に遅くまで残って課題をこなしたり。

その結果、2年間で大半の単位を取り終えました。だから3、4年生では思う存分やりたいことができました!山ごもりに、海外放浪。本当遊びまくりました。本当に、あの時の自分よくやった!と称えたいです

 

自分の思いと必要な支援のはざまで

牧野友香子

大学に入った時、授業のサポートとして「ノートテイク」を提案されました。ノートテイクとは、聴覚障害のある学生の隣で、先生の話を文字で通訳すること。大学側から提案があったのですが、私は全部断っちゃったんです。隣で聞いていた母は、「ええ⁉なんで⁉」と言っていたのですが、私の中でははっきりした理由がありました。

ノートテイクを頼むと、大教室でも前の方に座らないといけないし、やっぱり目立つんですよね。それに、「今日はしんどいから休もうかな」と思っても、ノートテイクの人がいると思うと、ちゃんと行かなきゃと思って休めなさそうと感じて。

時と場合によりますが、聞こえないことで特別扱いされるのはやっぱり抵抗がありました。この日だけ、ならいいけれど、毎日の生活の中に組み込まれるのは避けたかった。そして、いつもノートテイクの人と一緒に座っていると、友だちもできないと思って。私という存在が、いつも「支援」とセットに見られてしまいそうで、これまで友だちに聞いたりフォローしてもらったりして培ってきた関係性がゼロになってしまうんじゃないかという不安もありました。

私の中の優先順位は、常に「"友だち"と"自分らしくいられること"」だったんです。でも後に、ノートテイクを断ったことは失敗したな......と思いました。

まず外国語の授業。英語と第2外国語の中国語の授業がまったくわかりませんでした。先生は両方ともネイティブですし、ことばがわからないから口も読めない。「これは、どう頑張ってもダメだ......」白旗を掲げた私は、大学の事務室に行ってノートテイクをつけてほしいと頼みました。でも、その時すでに前期の中盤くらいになっていて、「途中からのノートテイクは無理です」と言われました。途中からだとボランティアの調整が難しくてできないのだそう。

じゃあ、後期からでもお願いしたいと言うと、「後期でも間に合うかどうか......。来年だと大丈夫かもしれないけど......」と。結果的に、中国語はそもそもノートテイカーがいないということで頼むことができず、自力で乗り切りました。でも2回単位を落とし、どうにか先生とコミュニケーションを取りながら3回目にようやく。

英語は、英文科の先輩がノートテイクをやってくださり、結果すごくわかりやすく伝えてもらえたおかげで無事に単位が取れました!必要な支援を見極めることの大切さを痛感した経験でした。この時母は、絶対困るだろうなぁと思っていたけれど、「どうせ言っても聞かないし」と、あえて何も言わなかったそうです。

もし母に「絶対必要!」と言われていたら、ケンカしてしぶしぶつけていたかもしれません。でも、きっと最後まで、支援の大切さに本当の意味で気づけなかった気がします。自分で選んで、大失敗した経験があるからこそ、自分で選ぶこと、自分で決めることの大切さと、「自力で頑張れないことには支援をつけてもらう」ことを学びました。

 

聞こえないのに海外旅行!?

大学2年生の夏休みに友人と行ったタイ旅行に始まり、大学3年生の夏には1人でアメリカ、メキシコ、カナダに3カ月、大学4年生の春には1人でヨーロッパに1カ月滞在し、現地で幼馴染と会うという流れで、とにかくたくさんの国を回りました。

今でも、初めて1人で海外に行く日の、あの緊張感は忘れられません。1人で海外に行くと言ったら、「ただでさえ耳が聞こえない上に、英語もできないのに、どうやってやっていくつもりなん〜!」と両親に大反対されましたし、私自身も、楽しそう!という思いと同じくらい「大丈夫かな......?何かあったらどうしよう」と不安に思う気持ちがありました。

不安と楽しみがないまぜな中、勇気を出して飛び込んだ、3カ月にわたるアメリカ、メキシコ、カナダの一人旅でした。入国審査では「Sightseeing! I’m deaf. So would you write on paper what you say?(観光です!耳が聞こえないので紙に書いてもらえますか?)」だけ紙に書いていって、筆談と帰りの航空券を見せることでなんとか無事クリア!

最初に入国したアトランタで、空港からダウンタウンに向かった瞬間に出会ったのが、警察官にホールドアップさせられて銃を突きつけられている人(たぶん、犯罪者)でした。それも交差点で!

「ぎょえーーー!いきなり!怖い‼」とビビり倒したり、陸路でメキシコに行くバスの中で財布やカメラをすられそうになったり、はたまた帰りのバスに置いていかれたり、テキーラを飲みすぎて記憶をなくしたり......と、とにかくいろいろなトラブルに見舞われつつも、なんとか無事に日本に帰国!この時の経験も、自分の人生において大きな影響を及ぼしています。

「買い物に行っても買いたいものが買えなかったらどうしよう。餓死しちゃう?」とか、メキシコのバスに置いていかれた時は「一生日本に帰れなかったらどうしよう......」「もし、お金を盗まれたらどうやって日本に帰ったらいいの......?」といった不安も、実際に一歩踏み出してみたら案外なんとかなったし、未知のトラブルに筆談を交えながらも、どうにか対処できた自分に、「やってみたらなんとかなる」という自信がつきました。

耳が聞こえずことばが通じない中で生活をした不安に比べたら、日本でどんなトラブルが起きても「日本語だし、書けばわかるし、ほんと聞こえないっていうだけで、なんも心配いらないや〜ん!」と思えるようになりました。この原体験が、"挑戦"のハードルを下げてくれたことは間違いありません。

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