オールナイトニッポンV字回復の要因は? SNSで変わった「ラジオのあり方」
2025年03月11日 公開

年間イベント動員数25万人以上、スポンサー数、過去最高...一時は衰退の危機にあったラジオ番組「オールナイトニッポン」が、なぜいま"静かな熱狂"を呼んでいるのか? オールナイトニッポン統括プロデューサーである冨山雄一氏が、V字回復に至るまでの20年間を紐解いた書籍『今、ラジオ全盛期。』より、2010年代後半のラジオ番組とSNSの関係性について明かす。
※本稿は、冨山雄一著『今、ラジオ全盛期。』(クロスメディア・パブリッシング)を一部抜粋・編集したものです。
SNS時代だからこそ「変える」ではなく「続ける」
ラジオ番組の中には何十年と続く長寿番組もありますが、基本的に夜の若者向けの時間帯の番組は、数年単位で入れ替わっていくものがほとんどでした。
オールナイトニッポンも1〜2年単位でパーソナリティが入れ替わる改編が頻繁にあり、特に「オールナイトニッポン0(ZERO)」は、毎年、全番組を改編するのが定番となっていました。
しかし、リスナーの声が可視化され、どんな人がどんな思いで聴いているのかが以前よりわかるようになってから、次第に「改編は本当に必要なのだろうか? それほど望まれていることなのだろうか?」と疑問を持つようになりました。
毎週楽しみしている固定リスナーが付き、スタッフとパーソナリティの関係性も熟してきたころに番組を終了する理由はなんなのだろうかと。
実はその理由は明確にわかっていました。かつてのオールナイトニッポンの"残像"が、この慣習を長引かせていたのです。
「オールナイトニッポンは、受験生が勉強の合間、夜中に眠い目をこすりながら自分の部屋で聴いているもの」――そんな20世紀のイメージが根強く残っていたために、「リスナーは受験生なので、毎年入れ替わる。だから新鮮なパーソナリティを毎年投入して、新しいリスナーを呼び込もう」と発想されていました。
ところが、この前提は根本から覆ることになりました。ラジコで取れる年齢層の属性のデータを見てみると、オールナイトニッポンのリスナーは、10代よりも圧倒的に20代の社会人が多いことが判明したのです。さらにタイムフリーを含めると30代、40代、50代以上の人たちもオールナイトニッポンを聴いてくれていることがわかったのです。
社会人なら、1年ごとにライフスタイルが大きく変わることはほぼないはずなので、1年、2年、3年と番組に愛着をもって聴き続けてくれる姿が浮かびます。
改編は望まれていない。むしろ「番組は続いてほしい」と願っているリスナーが多いはずだ。
新しい仮説を立て、数字が落ちない限りは、なるべく番組を継続していく方針を決めて、今に至ります。
その結果、時間をかけてじっくりと番組のコミュニティが育つようになり、20代中心のリスナーと相性のいいスポンサーを増やすこともでき、機が熟したタイミングでの番組イベントの成功にもつながっています。
リスナーは「入れ替わる」のではなく、「増え続けていく」ものと狙いを定め、番組を応援してくれる人を増やし続けるためにも「番組をやめない」という方針へと転換したことはいろいろな意味で奏功したと思っています。
同じように、番組作りのリーダー役となるディレクターに関しても、パーソナリティと同様に「入れ替える」のが良しとされていました。
1人のディレクターではどうしても企画の引き出しに限界があるのは事実です。番組のマンネリ化を防ぐために、ディレクターを数年おきに変えることがかつての常識でした(もちろん、会社組織として必要な人事異動の意味合いもあります)。
ディレクターを変えるデメリットとしては、リスナーにおなじみの雰囲気が引き継がれなかったり、パーソナリティやゲストとの関係性の蓄積が途絶えたりする点が考えられましたが、それも「特に問題はない」とされていました。なぜなら、先に書いたように「リスナーは受験生中心で毎年入れ替わる」という前提があったからです。
しかしながら、この前提は崩れました。リスナーの大多数が「継続組」であり、継続組の盛り上がりが新規リスナーを呼び込む。この図式を新たな前提とすれば、ディレクターもむしろ頻繁に変えない方針を基本とするほうが理にかないます。
番組作りに携わるスタッフが時間をかけて独自のカルチャーを育てていくことで、「去年の今頃は......」とか「あの時も!」といった会話のやりとりが生まれ、一体感が醸成されていくものです。
あまり内輪ネタに偏ってもいけませんが、盛り上がりの熱が高いほど、その熱が周りにも伝播し、「なんだか面白そう」と覗きに来てくれる新しいリスナーも増えていきます。SNSのハッシュタグ付きの投稿がたくさん集まってトレンド入りしたときには、特にその効果が広がり、ラジコのタイムフリー再生数もぐんと上がります。
SNS時代にこそ、せっかく温まった熱を冷まさない、薪をくべ続ける戦略が吉と出るのだろうと実感しています。
ラジオは「新しいニュース」が生まれる場所
2010年代前半は、ネットメディアとの付き合い方にかなり悩んだ時期がありました。
ラジオの生放送中に、ツーカーのリスナーと分かち合う「密室」の雰囲気の中で話して盛り上がった会話の中の、言葉だけが面白おかしく切り取られてネットニュースに上がる。
目を引く見出しが拡散されて、ラジオの文脈を知らず、わざわざ聴きに来ようともしない人たちからのネガティブコメントが集まってSNSで"炎上"する。パーソナリティの中にはネットの反応に敏感になり、ナーバスになる人も出てきました。
とはいえ、「ニュースにしないでください」と言ったところで止むわけもなく、どうにか策を打たなければ......と考えていました。
そして、生まれたのが逆転の発想。いっそのこと「ニュースになる」という前提で、ラジオを作ると考えることにしたのです。
ラジオの生放送は会員制の個室の中で語られる密室トークではなく、通りすがりの誰もが立ち寄れる公開トークであることをパーソナリティに再認識してもらったうえで話してもらうように。むしろ、「自分を応援してくれる皆さんに知ってほしいことを、きちんと自分の言葉で語れる場」として、オールナイトニッポンの時間を活用してもらいたいのだと伝えました。
この価値観が徐々に浸透していった結果、パーソナリティご自身の結婚の報告やお子さんの誕生など、個人的な大切な報告をオールナイトニッポンの放送で語ってくださる例が増えていきました。
おめでたいご報告以外にも、何か世間を騒がす出来事があった後に、自分の言葉で説明をしたいというときの発信場としてオールナイトニッポンを使ってもらえるシーンが増えていきました(もちろん説明できないケースもあります)。
名前も知らない記者たちの質疑に応えるやりとりを通して世間一般に意思表明する「記者会見」のスタイルよりも、まずは普段から自分の話を聴いてくれているリスナーに対して自分の言葉で語るほうが、ご本人にとっても納得感があり、安心感もあるのだと思います。
こうした事例が増えるに伴って、他社のメディアから取材の依頼が来たり、「放送中の音声データを貸してほしい」といった相談を受けたりする頻度も増してきました。
本人の言葉をそのままストレートに聴いてもらうほうがいいだろうという広報チームの判断で、「ラジオの音声は積極的に貸し出す」という方針へと切り替わりました。
拡散されるなら、自分が言った「生の言葉」が声色や間合いも含めてそのまま広がるほうが、パーソナリティ本人にとっても受け入れやすいはずだと思えましたし、テレビを通じて発言を視聴した人が興味を持ってラジオを聴きに来てくれるという効果もありました。
「勝手に記事に書かれて泣く」のではなく、「公式の発信場所」として"一次情報の提供元"として堂々と立ち振る舞うと決めると、いろいろな施策が浮かんできました。
放送がゴールだと思っていましたが、放送を起点としてネットニュースやワイドショー、SNSなど二次的な広がりが生まれる。ならば、「オールナイトニッポンのことを誰よりも理解している自分たちが記事を出せばいいのでは?」という発想から、自社メディアも生み出し、自前で記事も出すという取り組みも行っています。
マスメディアの一員であるラジオ局はあくまで「情報を集めるプラットフォーマー」という役割を担っているものと思い込んでいましたが、実は「情報が生まれる場所=コンテンツ側」の立場にもなり得るのだという発見は、自分たちにとっては視界が開けるきっかけとなりました。
オールナイトニッポン発の面白い企画をどんどん仕掛けていこう! というクリエイティブなカルチャーの醸成にもつながっていったと思います。