歌人・青松輝さんが考える短歌の魅力 「飛ばし読みで気軽に読んでいい」
2025年03月03日 公開

歌人、YouTuberとして活躍する青松輝さん。394首の短歌を収録した歌集『4』には、どんな思いが込められているのでしょうか。 短歌創作のきっかけや、短歌の魅力についてお話を聞きました。聞き手:編集部(田口佳歩)
※本稿は『Voice』(2024年1月号)より抜粋、編集したものです。
「完璧な一首」がある気がする
――本書は青松さんにとって初の歌集で、394首の短歌が収録されています。現代短歌は昨今、書店でも特集コーナーが大きく展開されるなど注目を集めている印象ですが、青松さんが短歌を創作しはじめたきっかけは何でしょうか。
【青松】大学に入学したあと、短歌のサークルに入っていた友人について行ったのがきっかけです。かなり真面目に短歌と向き合っているサークルで、僕自身、かねてより何か創作活動に打ち込みたかったので入会しました。やるからには大学生の趣味に留まらず、一生をかけて取り組みたいと考えていたので、いまも辞めずに続けていますね。
――小説などと比べると、短歌の創作には字数をはじめさまざまな制限がありますよね。ハードルと感じることはないでしょうか。
【青松】短歌の制限は、たしかに強いと言えば強い。でも、どんな表現方法にも何がしかの制限はあるものではないでしょうか。絵画であれば平面に書かなくてはいけないし、小説もルールは存在しなくても、何となくフォーマットはありますよね。いきなり書けと言われたら、多くの人が「小説っぽいこと」を書かないといけないと意識するでしょう。
短歌の場合、じつは明確なルールの「五・七・五・七・七」さえ守れば、その作品は短歌です。むしろ自由と言えないでしょうか。
僕は自分を表現したいという気持ちはあるものの、小説をつくったり歌を歌ったりして「これが私の内面です」とまっすぐ曝け出すことに抵抗があるんです。でも、短歌は定型があるからこそ、自分にとって精神的な障壁は少ないと感じています。また、短歌にはスポーツっぽい要素もあると感じていて、だから自分に合うのかもしれませんね。
――「スポーツっぽい要素」とはどういうことでしょうか。
【青松】明確なルールがあって、そのなかで、それぞれの作品の良し悪しが評価されるということです。AとBという曲があって、どちらの歌詞が素晴らしいかは決めづらいでしょうが、「薔薇」という言葉が出てくる短歌を10首並べれば、何となくは良し悪しを決められる。
結局は個々人の価値観の話ですが、ルールがあるので計算や数値化できそうな雰囲気を感じるというか。僕には、どこかに「完璧な一首」が存在していて、それをめざすことができるような気がするんです。
――歌集のタイトル「4」にも繋がる「数字しかわからなくなった恋人に好きだよと囁いたなら 4」という一首ですが、解釈が難しい歌だと感じました。とくに短歌に馴染みの薄い人は、この歌をどう読み解けばよいのでしょうか。
【青松】もしも僕が読者であれば何を感じるか、という観点からお話ししますね。
全体の印象としてはSFのような設定が説明されている歌で、状況や場面はわかりやすいでしょう。問題は最後の「4」で、これは何を表すのか。誰かが口にした言葉なのか、歌の全体を包むイメージなのか、あるいはナレーションなのか。考えを巡らせますが、結局はわからない。というのも、じつは作者である僕にも「こう読んでほしい」という正解はないんです。
それでも、数字の「4」が最後に置かれているのに、歌としてはなぜか成立しているのが、短歌の奥深いところです。フレンチのお店で「こちらは○○です」と知らない肉が出てきたときは「なんだこれ?」って思いますよね。同じように一度はシンプルに「4」の存在を楽しめると思うんです。
もう少し詩的に読むと、「数字しかわからなくなった恋人」は、こちらの「好きだよ」という囁きを理解しているのかわかりません。意味が伝わって「4」という返事が返ってきているのか、伝わらずに「4」と返ってきているのか。「4」が返事かどうかもわかりませんから、裏を返せば、登場人物たちのあいだに何が起きているかを想像する余地があると言えます。
さらに短歌に慣れている人であれば、どうして数字のなかで「4」を選んだのか、作者の意図をくみ取るでしょう。一桁の数字だけでも10通りあり、なぜ「1」や「2」を選ばなかったのか、と。
このように考えていくと、短歌とは「料理」に近いかもしれないですね。ラーメン屋だとすれば、「なんだ、この透き通ったスープは!」などとただ驚く人もいれば、食べ慣れている人は材料を推測する。さらに詳しい人であれば、他店と比較するなどメタな視点で考えるでしょう。
魂を乗せる「スーパーカー」
――ちなみにもう一つ、「(数字しかわからなくなった恋人が桜の花を見る)たぶん4」が結句に登場する歌がありましたね。
【青松】簡単に言えば、「4」を使った歌がもう一首あったら面白いだろうな、ということです。僕の場合は、あまり正解がある謎をつくっているつもりはありません。「僕の内面を表現するから解き明かしてほしい」というよりは、その謎を他者と一緒に考えたいんです。
最近ではよく、「スーパーカーをつくりたい」と話しているんですよ。車のような手の込んだ装置をつくったので、実際にどんなものか皆で考えよう。せっかくなら「4」車の色違いの車も走らせたら楽しいかも、というスタンスなんです。
――それでは、短歌を発表したあと、読者がどう解釈しているかを確認されているのでしょうか。
【青松】そうですね。僕は読み手の反応を事前に想定してから短歌をつくるタイプですから、それを上回る解釈を見つけたときは嬉しい。「そのラインで読むこともできるのか!」「そんな新説が!」という発見を楽しみにしているんです。
――青松さんが最終的にめざす短歌はどのようなものですか。やはり高性能のスーパーカー?
【青松】そうですね。でも無感情に装置をつくっているわけでもなく、誰かを感動させたい、とも思います。いちばん理想だと思うのは、こちちはスーパーカーをつくっているのだけど、読み手は「魂のメッセージ」と感じるような作品でしょうか。
それこそポエムですから、頭のなかに降りてできたものが一番いいに決まっている。でもいつも何かが「降りてくる」わけではないですから、いかにしてそれを必死に頑張って再現できるかですよね。
――究極的には、「魂も乗せる車」ということでしょうか。
【青松】そうかもしれません。その車にいろいろな感情を乗せて、読者に運びたいですね。最終的には物凄いロマンチックな作品をつくりたいという思いがありますが、「本気の作品だから伝われ!」みたいな手押し車は恰好悪い。根性論にならないようには意識しています。
――読者が青松さんの作品に触れるときに、つくり手側の立場を想像しながら楽しむ読み方は、間違っていないでしょうか。
【青松】間違っていません。たしかに、そうした読み方を嫌がる作者もいるでしょうが、僕はそうではありませんね。
やっぱり面白いのは人間で、シンガーソングライターの歌にしても、その歌手が何を考えているかを想像するのは楽しい。結局みんな人間を消費したいと思うので。本作に収録している短歌も、それぞれ何かしらの僕の人生の一部を反映した作品ですから。
いずれにせよ気軽に読んでほしいですよね。短歌に対して「しっかり解釈しないといけない」と感じる人が少なくないと思いますが、本書に収録されている400弱の短歌のうち、たとえば飛ばし読みで100首だけ読んでもらってもいい。小説や漫画は読み飛ばすと内容についていけなくなりますが、そうした楽しみ方ができるのも短歌の魅力。
1時間くらい歌集をめくって、何となく面白いと思った作品に1、2首出合えたら十分で、そう考えると「コスパ」は悪くないと思うんです。とにかく気軽に現代短歌を楽しんでもらえたら嬉しいですね。