
ゆるキャラグランプリ優勝(©2010熊本県くまモン)
そもそもくまモンが誕生したのは、2011年の九州新幹線全線開通をPRするためだった。九州新幹線は鹿児島まで行くため、途中の熊本はスルーされてしまうのではないかという危機感からの県をあげてのPRだった。熊本県出身の放送作家・小山薫堂氏がキャッチコピーを考え、そのデザインを水野学氏に依頼。そのロゴの「おまけ」としてついてきたのがくまモンである。
当初は九州新幹線用のキャラクターであり、臨時職員としてデビューしたくまモンは2010年10月には「くまもとサプライズ特命全権大使」となり、熊本を幅広くPRする立場になった。翌年の九州新幹線全線開通後も、無事に首がつながり(!)、9月に熊本県営業部長に就任。知事、副知事に次ぐ3番目の地位へと駆け上がる。そして11月に「ゆるキャラⓇグランプリ2011」で優勝した。
くまモン自身は果たしてグランプリ受賞をどう思っていたのだろうか。
※本稿は『くまモンの「ボクのきもち」』(辰巳出版)より内容を一部抜粋・編集したものです。
ゆるキャラⓇグランプリの思い出
グランプリ後、大阪にて(©2010熊本県くまモン)
2011年のゆるキャラⓇグランプリにエントリーばしたって聞いたとき、最初はピンとこなかったモン。ボクはボクだから、このままでよかモンって思ったけど、街を歩くと「くまモン、がんばってね」「グランプリ、とってね」と言われて、少しずつ「よーし、エイエイモーン」という気にはなっていったモン。でも日が近づくにつれ、だんだん不安が大きくなっていったモン。
会場のステージに立ったときは、さすがにきんちょうばしたモン。熊本で小さいおともだちに怖がられて泣かれたこととか、逆にくまモンかわいいって言ってくれるおともだちのこととか、大阪でだれにも振り向いてもらえんかったばってん、ツイッターで話題になったらわざわざ来てくれた人がいたこととか、たくさんのことが思い出されて胸がいっぱいになったモン。
「グランプリは......熊本県営業部長くまモンです!」
名前を呼ばれたとき、うわあああって思ったモン。横を見たら、いつも一緒に活動しているくまモン隊のおねえさんがいきなり号泣してたから、ボク、どうしようとちょっと困ってしもたモン。ボクも一緒に泣きそうだったモン。
でもとりあえず、ここは気合いば入れるしかなかと思って背中をバチンと一叩きしたら、おねえさんがいっしゅん、シャキッとなったけど、やっぱり泣きながら挨拶ばしてたモン。おねえさんが賞状を持って、ボクがずしりと重いトロフィーをもらって、それでもまだ、ほんとうに実感があったわけじゃなくて、なんだかとまどう気持ちのほうが強かったモン。
そのあとテレビに生出演したりもしたけど、ボク、興奮しちゃって、何がなんだかわからなくて、そのときのことはよく覚えとらんモン。県庁職員たちの間では、「くまモンが東京のスタジオで大暴れしてる」って騒ぎになったらしかモン。
熊本に戻って県庁に「がいせん(凱旋)」したら、ロビーに人がいっぱい集まっとらして、たいぎゃびっくましたモン。くまモンおめでとうっていう垂れ幕があって、腕いっぱいの花束をもらって。お花のいい香りがしてきて、また興奮してしもたモン。今までボクを応援してくれた人たちの顔が、みーんな大輪の花みたいに咲き誇って見えたモン。知事(蒲島郁夫氏・当時)までお出迎えしてくれたモン。
あのとき思ったモン。ボク、ふるさと熊本が大好き。熊本の人たちが大好きって。知事が「熊本のためには何でもする」ってよく言っとらしたけど、ボクも同じ気持ちだって感じたモン。あの日からしばらくの間、どこへ行っても「くまモン、グランプリおめでとう」って言われて、ずっとニヤニヤが止まらんかったモン。
【くまモン】
熊本県営業部長兼しあわせ部長。2010年、翌年の九州新幹線全線開通のための「くまもとサプライズ!」のロゴ制作のおり、「おまけ」として誕生。その後、くまもとのおいしいものを食べて今の姿に。当初は臨時職員としてデビュー、同年10月、くまもとサプライズ特命全権大使に就任。
11年9月、蒲島郁夫・熊本県知事から熊本県営業部長に抜擢(県でNo.3の地位)。同年11月、「ゆるキャラⓇグランプリ2011」で優勝、快進撃が始まる。13年7月には熊本市の中心地に「くまモンスクエア」がオープン、活動拠点でありファンの聖地となっており、2025年1月現在、350万人を超える来場者を数える。14年1月、熊本県しあわせ部長を兼任。
16年4月の熊本地震発生後、活動を控えるも3週間後には各方面からの応援を受けて避難所の訪問を始める。2024年には、現・木村敬県知事から「復興応援“絆”大使」の命を受け、能登地震に見舞われた石川県を訪問した。海外での人気も高く、今までに29を超える国と地域を訪問。フランス・パリでの「ジャパンエキスポ」には、2013年からコロナ禍を除き毎夏、参加している。