藤子不二雄A、「夢追い漫画家生活」60年を振り返る
2012年11月29日 公開 2022年05月25日 更新
53歳で訪れた転機
1987年、僕が53歳の時、僕のまんが道にひとつの区切りがつきました。
33年間、藤子不二雄としてコンビを組んできた藤本君と別々の道をいくことになりました。(お互いもうトシになったので、それぞれ独立して好きにやろうじゃないか)と話し合い、独立することにしたのです。藤本君は、藤子・F・不二雄、僕は藤子不二雄Aとペンネームを分けました。
"藤子不二雄の再出発を励ます会"が手塚治虫先生の音頭取りで盛大に開かれました。まことに感無量でした! 藤本君と僕にしか分からない長く深い想いを持ちました。
1989年、僕らの神様、手塚治虫先生が逝かれました。享年60でした。永遠の漫画青年と思っていた手塚先生が亡くなられたことは、本当にショックでした。
1995年、「ビッグコミックオリジナル増刊」に『まんが道』の青春篇『愛…しりそめし頃に…』の連載を開始しました。これは『まんが道』の主人公、満賀道雄と才野茂が青年となり、トキワ荘で新しい漫画人生を歩んでいく……という物語です。
その第一回は「窓辺のともしび」というサブタイトルで、満賀道雄がトキワ荘の14号室の窓辺で向かいの豊島区郵便局の建物をスケッチしているところから始まります。
そこへ、石森章太郎が田舎から姉が来た、と言ってお姉さんを連れてきます。そのお姉さんはびっくりするような美少女でしたが、何故か、その姿に薄幸の影が……。それからン十年、僕はまだ『愛…しりそめし頃に…』を描き続けています。
ふりかえってみれば、子どもの頃から漫画を描きだし、漫画家になってから60年余、波瀾万丈、紆余曲折、いろいろなことがありましたが、まんが道を外れることなく、今日まで来ました。“漫画を描きたい”という夢を持ち、これまでズーッとその夢を実現し続けてこられたことは、とてもとてもありがたいことです。
僕は戦争中に少年時代を送り、終戦。そして日本は復興を目指して頑張り、世界でも1、2という経済大国になりました。その過程で日本人は未来に希望を持って生きてくることが出来ました。僕が漫画家を目指して、まんが道を進んだ時代も、日本の再興と重なったのです。
しかし、現代はあらゆる道がいきづまり、将来に明るい希望が持ちにくい時代になっています。それだけに“夢を持って生きる”という言葉はなにか空虚に聞こえるかもしれません。ですが、そういううす暗い時代だからこそ、明日に明るい夢を持って生きなければならない、と思います。
何かひとつでもいい、自分のやりたいこと、自分の好きなことを実現するために、一日一日を頑張って前に進んでほしい、と思います。
僕たちの漫画の世界も、今や驚くべき進化をとげています。若い才能、新しい才能がどんどん入ってきて、大変な広がりを見せています。
日本の漫画は世界一だと思います。日本の漫画がアニメになり映画になり、世界中に展開しているのは、とてもうれしいことです。
僕は、この世界ではもう"生ける化石"的な存在の漫画家になりましたが、まだまだリタイアしないつもりです。確かに若い時と違ってパワーは落ちてきましたが、“漫画を描きたい……”という情熱は今も燃えています。
"漫画を描きたい……"という意欲がある間は、1年でも、1カ月でも、1日でもペンをにぎって原稿用紙に向かっていたい……と思っています。