1. PHPオンライン
  2. くらし
  3. 「誤診ならうれしい」虫垂がん告知後の心を救った、感情を書き綴った一冊のノート

くらし

「誤診ならうれしい」虫垂がん告知後の心を救った、感情を書き綴った一冊のノート

岸本葉子(エッセイスト)

2025年07月16日 公開

「誤診ならうれしい」虫垂がん告知後の心を救った、感情を書き綴った一冊のノート

「ネガティブな感情体験を紙に書いて言語化する行為が、心身の健康に良い影響を与える」これは、アメリカの社会心理学者によって開発された「筆記開示(Expressive Writing)」でよく知られているメソッドです。エッセイストの岸本葉子さんも、虫垂がんの手術後に抱いた複雑な感情をノートに書き出すことで心のモヤモヤを整理することができたといいます。本稿では、岸本さんのこの体験について、書籍『「人生で大切なことに気づく」ための文章術 自分のことを書いてみる』より紹介します。

※本稿は、岸本葉子著『「人生で大切なことに気づく」ための文章術 自分のことを書いてみる』(アスコム)より、内容を一部抜粋・編集したものです。

 

厄介な問題は書いて解くのがよい

長い人生を振り返れば、過去の思い出の中に、「まだ自分の中で整理できていないこと」が一つや二つはあるものです。

ふとした瞬間に過去の自分に起こったことを思い出し、「あの出来事は自分にとってどんな意味があったのか」「当時の私は、どうしてあんな言動をしてしまったのか」などと考え、結局は自分で納得のいく答えが見つからない......。しかも、そんなことをときどきくり返している......。

自分の中に「人生のモヤモヤ」が漂っているような状態です。人によっては、「漂っている」どころか、いっぱいいっぱいになっていて、潜在的なストレスになっている場合もあるのではないでしょうか。

「自分のことを書くこと」は、そんな人生のモヤモヤをスッキリさせるうえでも大いに役立つものです。

一般的に、このようなモヤモヤ、気になるけれど捉えづらい問題を解決するには、「考えること」とされます。けれどこれには留保が必要です。

頭の中だけで、モヤモヤするもののことを考えていても、なかなかスッキリしないものです。

では、どうするか。手を動かしましょう。算数の「筆算」を思い出してみてください。

69×13のような"厄介な問題"は、頭の中でいくら考えても、暗算が得意な方でない限り、なかなか答えにたどりつけません。ですが、紙に書いて手を動かす(筆算を行う)と、おのずと答えが出ます。69と13をタテに並べて3×9=27、3×6=18と解いていく、あの方法です。

同じように、自分のことを書くために手を動かすことで、モヤモヤに対する答えが導き出せます。

これらの作業を行うことによって、これまでは捉えづらかったモヤモヤの輪郭が見えてきて、漂っていたモヤモヤを、自分の人生の中のどこかに定置させ、整理できるようになるのです。

説明している内容が、モヤモヤについてであるだけに、わかりづらいと感じている方もおありでしょう。少しでもわかりやすくなればと、私の体験を例に、説明を試みます。

 

現実は変わらずともストレスは減らせる

私はかつて虫垂がんの手術を受けました。手術を受ける前は大腸がんの診断で、手術の後、虫垂がんが大腸にも広がっていたとわかったものです。手術から1週間ほどで出る病理検査の結果をふまえ、主治医から説明がありました。

手術から間もない日、詳しい検査の結果が出る前に、主治医が私の病室を訪れ、意外な可能性を告げました。がんではなかった可能性もわずかながらあるとのこと。「そのときは誤診という話になりますが」と言って去りました。

一人になった私の中に、モヤモヤがふくらんできました。今の話をどう受け止めたらいいか。

「がんでなければ、今後の再発や死の恐怖がなくなるから、誤診のほうがうれしい」

「でも誤診でなかったら。いったん、がんでないかもという希望を持って、やはりがんだったと失望することになる」

「なぜ、そんな無駄な期待をさせるのか。あと数日で判明することなのに、なぜ主治医はこのタイミングでわざわざ、がんでない可能性を告げにきたのか」

そうしたモヤモヤに対し「ノートに書くこと」が役立ったのです。私は、初めての出来事があるとノートをつける習慣があり、がんについても告知のときから続けていました。

感情のみを書き付けるノートではなく、告知からこれまでを思い出しつつ、事実と、それに対してさまざまな角度から考えられることをメモするノートです。書くうちに、しだいに整理がついてきました。次のような内容です。

●入院時のアンケートで、「病気に関することは何でも知らせてほしい」という選択肢にチェックした。今の話は、そのことを守ってくれたのか。無駄な期待をさせることではあっても、入院時に示した私の意思を尊重したということか。

● 誤診なら私はうれしいけれど、病院としては補償がどうこうとなりかねない問題だ。手術で取らなくていいところまで取ってしまったわけだから。

● そういうケースでは、可能性の段階でも、出てきた時点で逐一知らせることを基本方針にしているのではないか。アンケートの回答と関係なく。

● 病院として、医療者として誠実な対応といえる。患者の心を顧みない対応だとするのは尚早。

● 患者の私にできることは何か。「逐一知らせてもらいました」ということにとどめ、聞いた内容はなるべく思い出さないようにして、たんたんとリハビリに取り組む。それしかない。

モヤモヤがはれ、「すべきこと」までクリアに見通せてきて、詳しい検査の結果が出るまでの日々を、楽観と悲観の間を揺れ動かずに過ごせました。

書いたところで、私の状況は何も変わりません。詳しい検査の結果が出るまで、がんなのか、そうでないのかわからない"中途半端な状況"に置かれたままです。

「現実の状況」そのものは変わらなくても「現実の状況の捉え方」が変わると、モヤモヤによるストレスは軽減できると感じました。

ストレスは、原因を取り除かない限りなくならないと思われがちです。でも、たとえ原因が残っていても、書くことによって、モヤモヤのストレスを和らげることは可能だと思います。ここに記した例は、そのことを伝える一助になり得たでしょうか。

モヤモヤを抱え続けていく人生と、モヤモヤを整理して解決する人生──。

前者よりも後者のほうが、これからの日々をより気持ちよく生きることにつながるでしょう。自分のことを書き終えたとき、あなたもその日その日を生きやすくなる"武器"を手に入れたと考えられるのです。

 

関連記事

アクセスランキングRanking

前のスライド 次のスライド
×