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戦時期の「ポスター裏に書かれたメモ」にみる、町内会が果たしていた役割

PHPオンライン編集部

2025年08月24日 公開 2026年09月03日 更新

戦時期の「ポスター裏に書かれたメモ」にみる、町内会が果たしていた役割

横浜都市発展記念館では、2025年7月19日(土)から9月28日(日)まで、特別展「戦後80年 戦争の記憶―戦中・戦後を生きた横浜の人びと―」を開催中です。空襲被害や戦争による暮らしの変化、占領期における市民の姿などを、貴重な資料や証言を通じて紹介しています。

本稿では、戦時下の資料からみえた市民の生活や、戦時体制下の国民学校について取り上げた展示の一部と、研究員の西村健さんによる解説をご紹介いたします。

 

横浜市内の旧家に残る戦時資料

横浜市が発行した戦時期のポスター(山室宗作氏蔵)
横浜市が発行した戦時期のポスター(山室宗作氏蔵)

神奈川区六角橋の旧家・山室家には、先々代の当主であり、連合町内会長なども務めた山室周作氏が残した戦時中の資料が多数保管されています。展示の冒頭では、山室家が所蔵している戦時期のポスターが紹介されています。

日中戦争が始まると、戦費は次第に不足し、国民の貯蓄や国債の購入によって補う必要がありました。地域ごとに国債の割り当てが行われ、町内の有力者たちはこれを履行するために大きな労力を費やしました。

山室家が所蔵していたポスターには、表面だけでなく、裏側にも興味深い資料が残されており、さまざまな情報が記されていることがわかりました。

ポスター裏に書かれた隣組の情報
ポスター裏に書かれた隣組の情報

上記のポスターの裏には、隣組の年齢別構成人数の一覧表が示されています。戦争が激化するにつれ、町内会の下部組織である隣組が設置され、地域単位で政府の意向を実行することが求められるようになりました。

「これは配給の割当表です。当時は経済が統制されていたため、お金があっても自由に物を購入することができませんでした。公平な配給を行うために、町内の有力者が詳細な年齢構成を把握し、妊産婦や年齢ごとの分量まで計算していたことがわかります。また、卵や育児用の乳製品、家庭用の砂糖、衣料品なども含め、地域で公平に配分するための作業に多くの手間がかかっていたことが、この資料からうかがえます」(西村さん)

ポスター裏に書かれた出征兵士一覧
ポスター裏に書かれた出征兵士一覧

さらに、地域から出征した兵士の一覧表も残されており、びっしりと名前が書き込まれています。この一覧は、単なる記録ではなく、兵士たちへの心のケアの一環でした。

「出征した兵士が最も望んでいたのは家族からの手紙ですが、次に喜ばれたのが地域の近況などの情報です。戦地で明日死ぬかもしれない兵士にとって、ふるさとの様子を知ることは非常に重要でした。そのため、町内会や隣組が、誰がどこに出征しているかを把握し、手紙や慰問品を届ける役割を担っていたのです。戦死した兵士の名前には赤線が引かれ、区民葬の実施についても記録されていました」(西村さん)

戦死した兵士の遺骨は、日中戦争当時でも多くが到着し、地域の人々が迎え、葬儀を取り仕切ることがありました。こうして、たとえ空襲が始まる前の段階でも、戦争の影響は町内の隅々にまで及んでいたことが、これらの資料から明らかになります。

隣組回報 銅鉄回収特別回覧板
隣組回報 銅鉄回収特別回覧板

また、隣組では、政府からの指示を伝えるための回覧板によって情報が伝達されていました。この回覧板には、銅や鉄製品などの資源の回収に関する情報が記されており、家庭にある軍事物資を供出させるのも町内会長の役割でした。

戦争が激化し、空襲が本格化すると、空襲対応も町内会長の重要な任務となりました。当時、現在の消防団の前身にあたる警防団が設置され、町内の防空責任を担っていました。山室家に残る資料には、警防団の活動状況や空襲時の対応の詳細がいくつも記録されています。

さらに注目すべき資料として、「国民義勇隊」に関する記録があります。

「国民義勇隊は、本土決戦に備え、地域の一般市民を軍隊のサポート組織として編成したものでした。若者は戦争か、軍需工場に動員されていたため、隊員の多くは中高年者や女性でした。当時60歳の山室周作氏が中隊長となり、各隣組の組長が小隊長として、活動する計画が立てられていました」(西村さん)

この地域の義勇隊は、1945年7月に正式に結成されましたが、翌月には戦争が終結したため、実際に戦闘が行われることはありませんでした。

「もし戦争が続いていれば、町内の人々は絶望的な戦闘を強いられたでしょう。総力戦体制の時代には、兵士でなくとも市民は戦争に巻き込まれざるを得なかったことが、この資料からも分かります」(西村さん)

 

戦時体制下の国民学校

横浜市内の一部の学校には、戦時期の貴重な資料が残されており、横浜都市発展記念館が所属する(公財)ふるさと歴史財団による調査で複数の学校が戦時資料を保有していることが分かりました。

中でも、横浜市立戸部小学校は、戦時期の学校生活を詳細に伝える資料を多く所蔵しています。この資料には、日付ごとに学校で行われた出来事や教育内容が記録されており、当時の子どもたちがどのような環境で生活していたかを知ることができます。

「例えば真珠湾攻撃の直後の記録では、先生たちが戦況に関する情報収集に奔走していたことが分かります。子どもたちには日本軍の戦いぶりや戦況を説明し、勝利が分かれば神社に赴き、子どもたちの代表とともこれからの戦いでの戦勝祈願を行っていました。また、日誌には子どもたちから兵士への慰問品を送った記録も多く残されており、兵士たちはこれを非常に喜んでいました」(西村さん)

1944年になると、空襲の危機を知らせる警戒警報が発令されるようになり、学校は登校中止となることが増えました。生徒たちは自宅での自習を行い、教師が巡回して学習状況を確認していたことも資料から読み取れます。

1945年5月29日には横浜大空襲が発生しました。資料によれば、戸部小学校も一部が被害を受けましたが、地域住民や軍隊の協力で火は鎮火されました。子どもたちは疎開していたため無事でしたが、親や家屋の被害を調査するため、翌日には安否確認が行われていたことが記録されています。

「これらの資料から、非常に緊迫した状況の中でも学校生活が維持されていたことが分かります。日誌には、少年団の活動記録も残されており、兵士への慰問品送付や、父親が出征した友人の家庭の手伝いなど、子どもたちが地域や家族に貢献していた様子も読み取れます」(西村さん)

戦時下の暮らしや子どもたちの姿を伝えるこれらの膨大な記録は、平和の尊さを改めて考えるきっかけとなりました。

 

「戦後80年 戦争の記憶―戦中・戦後を生きた横浜の人びと―」

横浜都市発展記念館 特別展「戦後80年 戦争の記憶―戦中・戦後を生きた横浜の人びと―」
【開催期間】2025年7月19日(土)から9月28日(日)まで
【開館時間】午前9時30分~午後5時(券売は閉館の30分前まで)
【休館日】毎週月曜日(月曜が祝休日の場合は開館し、翌平日が休館)

◎関連記念講演会「当事者が語る『GIベビー』の記憶」
講演者:青木ロバァト氏(聖母愛児園分園ファチマの聖母少年の町卒園生)
横浜で「GIベビー」として育った青木ロバァト氏をお招きし、特別展担当者との対談形式で講演を行います。
日時:2025年9月15日(月・祝) 14時~15時30分(開場13時30分)
会場:横浜情報文化センター 6階 情文ホール
定員:200名 

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