1300年以上続く日本の森林の「伐採 vs 規制」論争 困惑する林業の現場
2025年10月28日 公開
国土の約7割を森林が占める日本は、世界に誇る木の文化を育んできました。
古くから木材利用が盛んに行われてきた一方で、「伐採か、規制か」「利用か、保全か」をめぐる議論は、現代に至るまで繰り返されてきました。実はこの論争の歴史は1300年にも及び、時代ごとに立場が反転してきたといいます。本稿では、書籍『森林ビジネス』より、森と人との関わりの変化について紐解きます。
※本稿は古川大輔著『森林ビジネス』(クロスメディア・パブリッシング)より一部を抜粋編集したものです。
伐採するか、規制するか
人工林が多い現在の日本ですが、600年ほど前までは天然林・原生林ばかりでした。本格的に植林が始まったのは室町時代。人々は豊かな自然を、時に利用し、時に保護しながら共存してきたのです。
720年に編纂された「日本書紀」によると、676年に天武天皇が飛鳥川上流の畿内山野の伐木を禁止する勅令を出しており、諸説ありますが、これが「日本初の森林伐採の禁止令」と言われています。世界最古の木造建築である法隆寺が建設されたのは、同じ飛鳥時代の607年。そのころから森林の木材利用は進んでいて、伐採か規制かという論争もあったと推察されます。
奈良時代に入ると、都造営や官衙設置、寺社建築などで、より木材が必要になり、森林からの伐出も増えたと考えられています。
平安時代には、弘法大師空海が開祖となる高野山の伽藍、京都の東寺、清水寺、平等院、比叡山延暦寺などの社寺仏閣の建設が進みます。一方、森林の乱伐による資源減少が問題視され、山林を神聖視し、保護する意識も芽生えました。このころ、山林原野の利用は自由でしたが、水源林の伐採規制や、特定の寺社による森林の管理も行われるようになったと言われています。
鎌倉時代になると、貴族に代わって武士政権が出現し寺社勢力の拡大により各地で城郭や寺院建設が進み、木材需要がさらに増加しました。一部で森林資源の枯渇が問題化し、荘園制度を通じた森林管理がなされ、伐採禁止令が出ることもありました。
時代を経るにつれ、木材の需要は全国的に高まります。室町時代には、奈良県川上村で1500年に植林がされたという記録が残っています。これにより、自然に自生する樹木の伐採だけではなく、計画的かつ長期的な森林の育成と保続が始まります。
安土桃山時代には、大阪城の築城で吉野や土佐などの森林から木材が伐出されて使われたことが有名です。戦国時代の戦乱により、城郭や寺社の再建が繰り返され、大規模伐採が発生します。経済的にも木材が重要な交易品となり、流通が活発化します。都市整備が進んだ豊臣政権期には、森林の利用がさらに拡大しました。そのため、領主による森林管理が強化されたものの、経済優位で伐採が進んでいった時期であるとも言えます。
江戸時代に入り天下泰平の世になると、都市の発展に伴い、さらに木材需要が増加。天然林の過剰利用による「はげ山」が問題化します。浮世絵等には豊かな森林が描かれていないというのは有名な話です。幕府や藩が、森林資源の保護や土砂災害の防止を目的として、樹木の伐採を制限または禁止します。尾張藩による「留山(とめやま)制度」ができたのも、同じ江戸時代初期の1661年です。木曽五木(アスナロ、サワラ、ヒノキ、ネズコ、コウヤマキ)の伐採は厳格に管理され、「木一本、首ひとつ」というほど、厳しい罰則だったそうです。
また、植林も奨励し、森林資源の維持を図る政策を実施。一定範囲内の地域に住む住民が特定の土地を共同で利用する慣習「入会」が発展し、里山利用も普及します。経済的には林業が地域経済の重要な要素となり、炭や建築材の生産が盛んになり、社会的には森林保全の意識も根付き、地域ごとに独自の管理手法が発展しました。
明治以降、近代化と工業化が進み、森林の減少を問題視した国は1886年に「森林法」を制定。河川法、砂防法と共に「治水三法」と呼ばれ、日本の国土保全政策の根幹ができます。国有林の管理を強化し、民間にも植林活動を推奨。森林管理は国家主導となり、林業経営の近代化が図られました。
しかし日清戦争、日露戦争、続く世界大戦で木材需要が急増し、森林の伐採が進行。木材が戦略物資となり、大規模伐採が止まることはありませんでした。
第二次世界大戦後、戦後復興と将来の木材確保のため拡大造林政策が推進され、国はスギ・ヒノキ中心の大規模植林を推進。人工林が急増します。昭和20年代後半からほんの15~20年で、約400万ヘクタールを植林。この先の資源として未来に託したのです。
困惑する森林資源の現場
そして高度経済成長期に木材需要がピークを迎え、大量生産・消費が進行。木材輸入自由化、工業ハウスの台頭、急激な為替変動、経営環境の変化等への対応不足もあって、国産材の需要は減少しました。伐採する木材も少なくなり、林業は低迷します。さらに都市への人口流出が進み、山村は労働力不足に直面。伐採による収穫での経済的な魅力も減少していき、政府は補助金や技術支援を拡充し、林業振興を図ります。
平成に入ると、バブル崩壊後の経済低迷と輸入材の増加で国産材の需要がさらに激減。人工林の高齢化や放置林問題が深刻化していきます。一方で環境意識の高まりにより、森林の公益的な機能が注目され、新たな政策が導入されていきました。民主党政権による政策「2009年林業再生プラン」では、「保全から利用へ。コンクリートから木の社会へ」と謳われ、戦後植林の木々を伐採して利用間伐する方針が打ち立てられました。
そして時代は平成から令和へ。いままさに、持続可能な経営が社会全体の課題となり、環境保全と経済利用の両立が重視されています。また、林業の収益性向上と効率化、安全性アップを目指し、ICTやスマート林業も開発が進んでいます。バイオマス発電など、木材の新たな活用法も注目されるようになりました。都市と地方の連携が強化され、国内での森林資源の循環利用が推進されています。
以上のように日本の森林資源の歴史においては、「利用か保全か」「伐採か規制か」ということが、ずっと言われてきたことがわかります。昭和以降のメディアでも、ある時期は保全と言い、ある時期は開発と言い、一貫性がないことを指摘する研究者もいます。
利用については、地域が潤うほどの経済効果を生み出す施策があるのか、保全に関しても、江戸時代の留山制度ほどの哲学があるのか、困惑する森林資源の現場があります。現在は、全伐した後に、天然に更新すべきか再造林をするのか、判断が難しいところです。
森林ビジネスは常に、長期の計画的な管理と短期の利用というテーマとともにあるため、時代や地域ごとに仮説を立て、未来へ資源を残すためのビジョンとコンセプトを持つことが必要です。








