《『PHPビジネスレビュー松下幸之助塾』2013年3・4月号Vol.10 より》
驚異の繁盛店「八百鮮」
講義に出ない不良学生が迷い込んだ、とあるゼミ。そこで出会った松下幸之助哲学と小倉昌男精神が、彼を熱くした。「ほんまもんの経営学」を実践したいという志に燃える若者が仲間と始めた挑戦の軌跡を追う。
午後4時過ぎには棚から商品が消える
午後5時前。冷蔵ケースの中に、保存のきく一部の「練り物」が見えるのを除いて、この店の棚には商品が1つもない。店員だろう、長靴姿の20代と思しき男性が床を掃除している。野菜のありかを尋ねると、
「すみません! きょうの分は、全部売り切れてしまいましたっ!」
品ぞろえの薄さと相反して、なんとも気持ちのいい返事だ。
「日によって違いますけど、だいたい4時過ぎには売り切れることが多いんです」
帰り道に見た、同じ商店街にある別の青果店。そこには対照的に、棚からあふれんばかりの商品が並ぶ、見慣れた八百屋さんの風景があった。
繁盛している「はず」の冒頭の店は、大阪・野田(福島区)に2010年に開業した「八百鮮」の1号店(本店)。2週間後、1号店から約3キロ離れた此花区にある2号店に行ってみた。今度は開店まもない午前十時過ぎだ。
「へーい、らっしゃい、らっしゃいっ!」
威勢のいい掛け声がこだまする。野菜や果物が、あるある。早くも2箱目、3箱目を開けて店の前に運び出している店員の姿もある。店の中央の調理台では、大きな鰹が次々にさばかれ、店頭に並べられていく。
「兄ちゃん、この鰹、1匹さばいてくれるか? 皮は取らんといてや。家でタタキにしたいねんから。皮は取ったらあかんで」
「あいよっ!」
商店街の歩道にせり出した店の最前列では、色鮮やかな果物が所狭しと並んでいる。
「よおっ。きょうは何がおすすめや?」
「この岡山産のマスカットがおいしいよっ!」
こんなやりとりが飛び交い、レジの前にはとぎれることなく十数名の主婦が列をなしている。八百鮮には早い時間、いや午前中に来ないといけないことが、すぐに分かる。
株式会社八百鮮。名前のとおり、八百屋(青果店)兼、鮮魚店である。2010年12月1日に、20代の男性3人で創業した。3人は全員、同じ大学の同じゼミの卒業生。ちなみに現在は正社員が5人に増えているが、あとの2人も同じゼミの卒業生だ。
野田本店の店舗面積は約22坪、この1年間の平均売上高は1313万円。2012年3月開店の此花店の店舗面積は約50坪、この6カ月間の平均売上高は1060万円だ。2012年9月期の決算(第1期)では、しっかり利益を出して法人税を払っているというから、立派なものである。
「まだ店を始めてまもないですからね、買いたくても買えずにいるものはあるわけです。税金なんか払わずに、出た利益でそれらを購入するという選択肢もあったでしょうが、やっぱり企業としての責任を果たしたいですから。迷いはなかったですね」
こう話してくれたのは、八百鮮の社長、市原敬久さん、30歳。初の決算で「企業としての責任を果たしたい」と言って堂々と税金を払う、その発想の原点は何か。
「ずっと先生から聞いていた、松下幸之助さんです」
この「先生」とは、市原さんたち八百鮮社員の母校京都産業大学(京産大)で教鞭をとっていた出身ゼミの恩師、山本憲司さん(現在は大阪成蹊大学教授)だ。パナソニックOBで、松下幸之助哲学に基づいた「生きた経営学」を学生たちに教え続けている。市原さんが起業を志したきっかけは、山本ゼミだった。
不良学生が生まれ変わった恩師との出会い
市原さんは1982年に岐阜県に生まれた。町工場を営む父親を見て育ったためか、幼くして「社長」になりたいという夢を抱く。といっても、みずから起業するというより、いずれ父の後を継ぐんだという程度の、漠然とした思いだった。
初めて起業を意識したのは高校生のとき。会社が不況の波に飲まれた父が、「やりたい商売があったら自由にやっていいぞ」と言ってくれた。
経営者になりたいという夢は、少年から青年になっても変わらなかった。大学は、経営学部のある大学しか受けない。それほど徹底していた。
無事、京産大経営学部に入学したが、すぐに幻滅した。「経営学」への期待が大きかった分、連続する座学形式の講義に、不安と物足りなさを感じたのだ。「こんな授業が、はたして役に立つんだろうか」とまで感じた市原さんは、講義に出ない不良学生になっていった。
京産大では当時、1年次からゼミに入ることになっていた。このときの割り振りは、大学側が指定する。市原さんはたまたま、山本さんのゼミに割り振られた。どうせほかの講義と一緒だろう、そんな思いでゼミに行ってみて驚いた。
「ええか、経営とは、人に喜んでもらうこと、人に感動を与えることや。目先の利益にとらわれたらあかん。利益は、がんばった結果、生まれるもんや。きみたちは、社会のお役に立てる人間にならなあかんで」
「それと、経営というものはな、会社経営だけを言うんやないで。人生も経営なんや」
熱っぽく語る先生の話を聞くうち、自分も熱くなってくるのが分かった。自分たちの世代は多感な時期、ITバブルが盛り上がってマネーゲームがさかんに行われるような時代だった。経営イコール金儲けで、金儲けできる人間こそえらいという拝金主義的なにおいが充満していた。そんな時代にあって山本さんの語る経営は、数字やお金では測れない「人間の本来生きるべき道」に通じているように思えた。
大学に入って、初めて生きた話が聞けた気がした。「真の経営とはこういうものだ」と言われると、確かに今の時代がズレているだけのように思える。ものすごい「納得感」を覚えた市原さんは、この先生のもとで学びたい、と強く思った。
ところが2年次からのゼミは選抜制だ。山本ゼミは大人気。不良学生の自分が、はたして選ばれるだろうか……。
なんとか自分をアピールしなくてはいけない、そう思っていたとき、あるゼミの時間に山本さんから、「きみはバンドをやってたんやってな。今の思いをエア・ドラムで表現してみぃ」とうながされた。チャンス到来である。市原さんは、こう答えた。
「ぼくは、2年になっても、先生のゼミに入りたいです! そういうイメージでたたきます!」
この必死のアピールが奏功したのか、2年次には希望どおり山本ゼミに入ることができた。
のめり込んだ経営パラリンピック そして交わした「夢の約束」
山本ゼミでは、面白いことの連続だった。大学の文化祭ではお化け屋敷を出店したが、「文化祭も経営だ」という山本さんの教えのもと、どうやったら行列のできるお化け屋敷ができるか、知恵を絞り、仲間と議論をして、成功を収めた。
なかでもいちばん面白く、情熱を持って取り組んだのが、のちの市原さんの経営姿勢を決定づける「経営パラリンピック大会」(経パラ)の運営だった。経パラとは、山本さんのゼミ生が中心となって2002年に第1回大会を開いたもので、「経営と福祉の融合のためにはどのような知恵や工夫が必要か、生きた事例発表をもとに、みんなで学び合う出会いの場」だ。
☆本サイトの記事は、雑誌掲載記事の冒頭部分を抜粋したものです。
<掲載誌紹介>
『PHPビジネスレビュー松下幸之助塾』
2013年3・4月号Vol.10
2013年2月27日発売
<今号の読みどころ>
3・4月号の特集は「商いの原点」。松下幸之助は生涯、一商人としての観念を持ち続け、自社の社員に、あるいは系列店の店員に、その心得を説き続けた。お客様に喜んでいただくこと、取引先と共存共栄すること、適正利益をきっちり確保すること、社会にプラスを与えること、みずからが喜びを感じて仕事ができること、そして、新しい商品・新しいサービスを発意し続けること……。では、ITの発達やグローバル取引の活発化など、大きな変貌を遂げつつある現代の商いで大事なことは何だろうか。本特集では、歴史を眺め、あるいは現代日本企業の現場で活躍する人たちの事例を見ながら、商いの原点を考えてみた。
そのほか、世界的な建築家・安藤忠雄氏と、住宅業界のトップリーダー・大和ハウス工業会長の樋口武男氏の対談は見どころ。