何か悲しいことがあったとき、「その気持ちをひととき猫に被(かず)けてごらん」と母から教えられてきた、エッセイストの青木奈緒さん。
猫を膝の上に抱え、ひととき猫のまるさになぐさめられるーー。
母から受け継いだ「猫時間」は、忙しさや喪失の中で心を静かに整える処世術でした。
急がず、不用意に急かされずに生きるためのヒントを、母と、飼っていた猫「うりこ」の思い出とともに語ります。
※本稿は、『PHP』2026年1月増刊号の内容を一部抜粋・再編集したものです。
ちょっと猫に担ってもらいなさい
心にぽっかりと穴があいたまま、この5月には1年になろうとしています(※)。いずれ時が癒やしてくれるのでしょうけれど、今はまだ折々に、身体の中に空洞があるように感じています。
子どものころから私は猫が好きでした。10歳で念願かなって白い和猫を飼ってもらい、以来、気がつけば50年、猫と一緒に暮らしてきました。
猫とのつきあい方は母が教えてくれました。世話の仕方はもちろんですが、猫と一緒に暮らす、一種の処世術のようなものかもしれません。
たとえば、何か悲しいことがあったとき、いつまでも自分の悲しみに囚われていないで、「その気持ちをひととき猫に被(かず)けてごらん」というのです。「被ける」は今ではあまり聞かなくなったことばですが、「かぶせる」とか「転嫁する」。つまり、ひとりでは抱え切れない悲しみを「ちょっと猫に担ってもらいなさい」というようなニュアンスです。
そしてこんなことを言ってなぐさめてくれました。「猫は身体中がやわらかくてまるいのよ。耳の先はぴんと尖っているように思うかもしれないけど、よく見るとびっしり細かい毛がはえていて、先はまるいの。悲しいことがあったとき、あったかくてまるい猫を抱えていれば、こっちの気持ちも少しずつまるくなって、悲しみもやわらぐの」と。遠い日に、母自身も猫の耳の先のまるさになぐさめられたことがあったに違いありません。
言うなれば、「猫時間のすすめ」でした。まるい猫を膝の上に抱えて、自分も背中をまるくして、ひとときのペースダウン。その間に元気を取り直して、また日常復帰しなさい、という母なりの処世術なのです。
せめて猫1匹、あなたの側に
実は、この50年のうちで、ほんの短い間だけ、猫がいなかった時期があります。私は溺愛していた猫を見送ったばかりで、寂しく、気落ちしていました。
「もう1匹、飼おうよ」と言い出したのは母でした。母は私が悲しむのを見ていられないというのです。当時、私は40手前の独り身で、母は70代の半ばにかかるところでした。「次に飼う猫を私は最後までは看取れないと思う。でも、私が死んでお葬式を出したあと、あなたが誰もいない家に帰ってひとりでぽつんとしているところを想像するだけでたまらないから、せめて猫1匹、あなたの側に置いてゆきたい」と。ずいぶん身勝手な理由ではありませんか。
そのとき母はもちろん、父も元気で、歳を重ねてもふたりそれぞれに仕事で忙しく暮らしていました。何をそんなに急いで死ぬ準備をしているのやら、と私は真に受けず、私が話を進めない限り、母は諦めるしかないだろうと思っていました。
けれど、このときの母は違っていました。自分で知り合いのつてを頼って、アメリカンショートヘアの子猫を手に入れました。かわいくない子猫なんていませんが、私の心にはまだ前の猫が住んでいましたし、新しく迎えた猫ともいつかきっと別れが来ることを思うと、世話をしつつも、初めのうちはどこか冷めた接し方だったように思います。
その猫は子猫のころ、首から背中にかけてまるで猪の子のうり坊そっくりの縞模様があって、女の子だったので、「うりこ」という名になりました。
母は相変わらず「うりこはあなたのために飼った猫よ」と言いつづけていましたが、その後、私は自分でも思いがけなく結婚して、うりこは母のもとに残りました。
しばらくは特にどうということもない、おだやかな日々でした。けれど、父が急に他界すると、母は気力を失い、坂道を転げるように老いていきました。昨日までできていたことが急にできなくなったりするのです。不安が生じ感情的にも不安定になった母を、うりこがどれだけ慰めてくれたことか。うりこにそのつもりはなかったでしょうけれど、温かなぬくもりの猫が側にいるといないとでは大違いです。
不用意に急かされずに生きる
やがて母には介護が必要となりました。幸い私はすぐ近くに住んでいましたから、ヘルパーさんの助けも借りつつ、なんとか母を支える日々がつづきました。食事をはじめとする身のまわりの世話、お風呂のあとは、つづけて洗濯、掃除、買い物......。その間に予期せぬ出来事も起きますし、母の感情の浮き沈みは直に私に影響します。自分の家庭のことは二の次、三の次になり、書く仕事は減るにまかせていましたが、少ないながらも残った仕事は務めなければなりません。
そんな中で、私にとってもうりこは救いでした。そして大切なことを気づかせてくれる存在でもありました。
私は母に対してやさしく、とまでは言えなくても、なるべくおだやかに、おだやかさを不変にするように心がけていました。が、疲れがたまると、どうかした拍子に声が荒くなるのです。自分の声にびっくりしたことも、二度や三度ではありません。そんなときには夫に対しても、「どうしてわかってくれないの?」という態度になりがちです。
結局、私はうりこに対して一番やさしく接していられたような気がします。直接ことばは通じませんから、理解してほしいという期待もありませんし、機嫌よく寝ていてくれれば私の心は平安です。猫は小さな動物で、介護が必要な人とは大変さはまるで違うのですが、それでも食事の世話もトイレの始末も、考えようによっては似ています。私は自分の疲れ具合と心のバランスを、うりこに接するときにチェックするようになりました。
日々いろいろなことに追われていれば、心が急くのはあたりまえです。それでも心急くままに忙しさをふりまわすのと、ものごとを手早くするのは違います。かかる時間は一緒でも、受け手には違った印象を与えるでしょう。急がずに生きるということは、不用意に急かされずに生きるということではないかと、これはうりこに気づかせてもらったようなものです。
その後、母はさらに多くの助けを必要とするようになって施設に入所し、うりこは夫と私のもとに引っ越しました。
母を在宅介護していたとき、私は祖母の代からの歴代の猫たちについての連載エッセイを書いていました。その最終回にはもうすぐ20歳を迎える元気なうりこを書きました。が、連載が1冊の本になったとき、うりこはもうこの世にいませんでした。
うりこより先に寿命を終えるつもりでいた母は、年齢相応に不調がありながらも、どうにか元気に過ごしています。が、家にもううりこがいないことを知りません。私は机に飾っているうりこの写真に目を留めるたび、ふーっとひと息をついてペースダウンして、また気を取り直すことにしています。
※2023年当時
![PHP2026年1月増刊号[心の休ませ方、癒やし方]](/userfiles/images/book2/B0FT6W2PVR.jpg)






