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「大人」になった日本政府のTPPをめぐる試算

2013年03月26日 公開

原田泰(早稲田大学政治経済学部教授・東京財団上席研究員)

 東京財団では 『TPPでさらに強くなる日本』 (原田泰+東京財団著/PHP研究所刊)において、TPPの経済効果についての政府発表の試算(2010年10月27日)について解説したが、2013年3月15日に、政府は、総理のTPP交渉参加表明を受けて、新たな試算を発表した(内閣官房「関税撤廃した場合の経済効果についての政府統一試算」2013年3月15日)。上記の本では、執筆時期の関係でこの試算について触れることができなかったので、ここでこの新しい試算の意味を説明したい。

『TPPでさらに強くなる日本』発刊の趣旨はこちら>

政府統一試算の主な数字

 新しい試算では、TPPに参加した場合の経済全体および農林水産物に与える影響を試算している。これは関税撤廃のみの効果を対象とし(非関税措置の削減やサービス・投資の自由化は含まない)、関税はすべて即時撤廃すると仮定した試算である。これによると、TPPに参加した場合の経済全体に対する利益は3.2兆円、農林水産物の生産の減少は3兆円であるという。

 過去の試算ではTPPに参加することによる実質GDPの増加額は2.7兆円であるが(10年の試算では2.4兆円から3.2兆円としていたが、その後政府は、TPP参加国が9か国の場合に日本が参加すると2.7兆円とした)、9か国にカナダ、メキシコが加わって11か国になったので、3.2兆円に増加したのであるという。これは分かりやすい。

 ただし、3.2兆円は生産増と生産減を合わせての数字であるから、農林水産物の生産の減少が3兆円ということは、それを上回る増加があってプラスマイナス3.2兆円となるはずである。前回の試算では、農林水産部門の生産減少額は公表されていないが、冒頭に紹介した本書の168頁によれば、農業部門の生産減は付加価値の4.8%(2400億円程度、おそらく過小推計と思われる)であった。政府の試算とは異なるが、今回、農業部門の生産減が3兆円(これは生産額であるので、付加価値にすると1.5兆円程度ということになろう)は大きすぎるのではないだろうか。

 また、3.2兆円は関税撤廃のみの効果を試算したものであるが、加えて、非関税措置の削減やサービス・投資の自由化を加えた効果は10兆円であるとのブランダイス大学のピータ・ペトリ教授の試算も示している(「PECC試算の概要」)。

 私としては、これも政府試算として発表して欲しかったが、おそらく、仮定計算の精度に問題があって、政府としては責任をもって説明できない数字と考えたのだろう。

相変わらず分かりにくい農業の損失額

 農業の数字は、前回の試算と同じく分かりにくい。前回の試算では、農業の生産減は4.1兆円であるが(その後、農林水産省は林水産物を加えた場合4.5兆円という数字を公表している)、今回試算では農林水産物全部を含めて3兆円である(「(別紙)農林水産物への影響試算の計算方法について」)。ただし、林産物の減少額は500億円、水産物の減少額は2500億円と小さく、減少額全体に占める比率は、合わせて1割にすぎない。また、これらの数字はGDPのような付加価値ではなく肥料、薬品、飼料等の投入物を含めた生産額である。

 農林水産物の試算対象生産額は7.1兆円で、関税率10%未満または生産額10億円未満のものは試算から除外しており、除外しているものの生産額は4兆円であるという。すると合わせて11.1兆円になるはずだが、2013年の農業生産額は8.2兆円、漁業生産額は1.4兆円、林業生産額は0.4兆円で、合計は10兆円にしかならない。この試算では2005年から09年の平均を用いているようだが、それでも数字が合わないようである。

 試算の対象となっているコメ(減少額1.01兆円、以下同じ)、豚肉(0.46兆円)、牛肉(0.36兆円)、牛乳乳製品(0.29兆円)、砂糖(0.15兆円)、鶏卵(0.11兆円)、鶏肉(0.10兆円)、小麦(0.08兆円)の生産減少額合計は2.56兆円で、これで生産減少額3兆円の85%を占めている。ところが、これらの生産額は2013年で米、麦類、工芸農作物(砂糖キビ、てんさいの他に煙草などを含んでいるので過大になる)、 畜産計(豚肉、牛肉、牛乳・乳製品、鶏卵、鶏肉を含んでいる)の合計で4.6兆円にしかならない(これらの数字は、農水省HP基本統計集による)。すなわち、対象農業生産物は4.6兆円÷0.85で5.4兆円程度と思われる。なぜ7.1兆円になるのだろうか。

 そこで上記資料の4頁の注を見ると、生産減には、国産農水産物を原料とする一次加工品(小麦粉等)の生産減少額を含むと書いてある。しかし、海外から小麦粉が入ってくれば小麦粉産業の生産額は減らないはずである。もちろん、小麦ではなくて小麦粉自体が海外から入ってくる可能性は否定できないが、日本の製粉業はそれほど生産性が低いのだろうか。イタリアは海外から小麦を輸入してスパゲッティに加工し、輸出をしている。

 したがって、対象農林水産業の生産額は、5.6兆円程度と思われる。これが3兆円減少するというのはやはり過大ではないだろうか。

 また、生産額が3兆円減るとは付加価値が3兆円減ることではない。実質GDPの増加額3.2兆円と比較すべき数字ではない。なぜなら、GDPである付加価値はその半分以上が自分の労働を含めた労賃であるので、生活を維持するために必須のものであるが、生産額はそうではないからである。

 要するに、農業部門の生産減が3兆円という数字は、生産額としても過大であり、本来考慮すべき付加価値としてはさらに過大であると考えられる。私は農業部門の損失を1兆円と前掲の著書で推計しているが、新しい試算を見ても、これに大きな誤りがあるとは思えなかった。

政府統一試算を発表した意味

 これまでバラバラに示されていた数字が、政府統一見解として示されたことには大きな意味がある。政府としてTPPへの交渉参加を決めた訳であるから、当然に統一的な考え方に基づいた数字が必要である。バラバラな数字は議論のたたき台としては良いが、決めるときにはバラバラな数字ではまずい。

 もっとも、前述のように、農林水産業の数字には疑問があり、経済全体のGDPの増加額の数字との関係がよく分からない。しかし、ともかく、統一の数字を作って、政府が参加するための形を政治的に整えたということであろう。

 また、農業部門の生産減が3兆円ということは、これに対してどの程度の予算を使って手当するかという数字を示唆したものとなる。私の試算の1兆円では、十分な予算を取るのに足りない。生産減を大きく推計しなければ予算を取れないと考えて作った数字でもあるだろう。

 政治的意味を含んだ「大人の数字」が、政府統一試算として発表されたということである。農林水産部門の生産減を大きく見る、すなわち、より多くの予算で手当てするから安心せよとのメッセージを込めて、TPP交渉に参加するという宣言である。

 

原田 泰

(はらだ・ゆたか)

早稲田大学政治経済学部教授、東京財団上席研究員

1950年生まれ。1974年東京大学農学部を卒業、同年経済企画庁に入庁。経済企画庁国民生活調査課長、同海外調査課長、財務省財務総合政策研究所次長、大和総研専務理事チーフエコノミストなどを経て、2011年より東京財団上席研究員。
著書『日本国の原則』(日本経済新聞出版社、現在は日経ビジネス人文庫に所収)で石橋湛山賞を受賞。2012年より早稲田大学政治経済学部教授。


<書籍紹介>

TPPでさらに強くなる日本

原田泰+東京財団 著
本体価格 1,400円     

安倍政権は自由貿易に舵を取るとき! TPPによる農業の崩壊も、外国人労働者の流入やサービス低下も起こらないことを証明する。

 



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