ほめることは相手のためになるだけでなく、自分の心にも返ってきます。相手に良い影響を与えるだけでなく、自分にとっても毒消しにもなります。負の感情が芽生えた時にあえて相手をほめるとそうした感情は消えていきます。長年、大学の教壇に立ち数多くの学生を導いた齋藤孝教授がその極意をお教えします。
※本稿は、齋藤孝著「ほめるは人のためならず」(辰巳出版)より、内容を一部抜粋・編集したものです。
「ほめる人生」は2種類ある
人を「ほめて伸ばす」とはよく言われることですが、これはほめる側の人間にも言えることで、ほめると人は伸びていくのです。
まず、「ほめる人生に入っているか」。これが問題です。「もう迷わずほめるんだ、ほめることを中心に生きていく!」このように、ほめる意思を固めてください。こう決めれば、ほめ方は自然と工夫されていくようになります。
「ほめる人生」は「ほめられたい人生」と「ほめたい人生」のふたつ。「ほめられたい」のは子どもの人生で、「ほめたい」のは大人の人生ですから、どこかで転換する必要があります。
ですから、教師がほめられたいと思うのは少しおかしいのです。たとえば「先生、1年間お世話になりました。先生の授業がよかったおかげで、勉強が好きになりました」と生徒から言われるのはいいでしょう。それは結果ですから、全然かまいませんが、ほめられたくて授業している先生はあまりいないと思います。でも、生徒は「ほめられたい!」と思っています。それは子どもの心のあり方です。
つまり、どこかで自分自身が「ほめられたい」と思っている側から、「ほめたい」と思う側へと転換する。これを意識的にやった方がいいと思います。その境界線をきちんと踏み越えることが大切なのです。とは言え、ほとんどの人が境界線を踏み越えようとハッキリ意識したことはあまりないと思います。
私が見ている限り学生から教師になっていくプロセスにおいて、これはすごく大きなことです。
では、何が違うのか。自分の存在自体を認められたいという存在承認欲求を抱えているかどうかです。その状態から他者の存在承認欲求を満たす人生へと欲求を変えるようにしましょう。つまり、他の人の存在承認欲求を満たすことで満足するということです。
相手の喜んでいる顔が見たいのが大人の態度だと思います。子どもがプレゼントをもらってうれしそうにしている顔を見て、うれしいと感じるのが大人です。もちろん返礼が欲しいわけではなくて、それを見てうれしく感じるのです。
このように大人への境界線は「ほめる」に表れていると思います。
ほめることを技にする
時として、人には悪い感情が芽生えてしまうことがあります。優れた人の才能を羨む。同僚の出世を妬む。競争相手を憎む。他人の成功に嫉妬する。そういう悪い感情を芽生えさせると、つい他人の悪口を言いたくなる。
そんな時は、「いいね!」とほめてしまいましょう。すると、悪い感情の元になっている競争心や劣等感から一気に解放されていく......そういった体験を私は何度もしています。
世の中には悪い感情を芽生えさせる情報があふれています。SNSでは一般の人たちが、流行を先取りしたとか、お金儲けをしたとか、こんなにルックスがいいとか、自慢話をあふれさせています。
自慢話に触れて、悪い感情が芽生えないようにするには、いくら気に入らなくても、「これもいいよね!」「人気あるんだ、すごいね!」ととりあえずほめます。そうすると、客観的に物事を見ることができ、悪い感情が不思議と消えていくのです。
このように、ほめることを悪い感情の毒消しに使うこともできるのです。
ほめることは一種の技。技は習慣です。
私は「技の理論」をずっと研究してきましたが、ポイントは「量質転化」です。基本を繰り返すと、ある瞬間に「量質転化」を起こして一生使えるようになると『弁証法・認識論への道 武道講義入門』(三一書房)で空手家の南郷継正さんが語っています。
これは量を重ねていくと、ある時に質的な変化が起きるという考えですが、普通、量と質は別のものだと思われています。たとえば、物作りでは質をよくしようとすると量が限られる、量を増やすと質が下がる、そういう関係だととらえられています。
しかし、技はそうではなく量と質はお互いに浸透し合う関係にある。特に技の理論としては反復練習を重ねて量が増えてくると、ある時、質的な変化が起こる。
これは面白い発想だと思いました。自転車で考えればわかりやすいのですが、自転車は1度乗れるようになると一生乗れる。そのためには練習量が必要になるのです。かけ算の九九も同じで一生使えますよね。これが技というものです。
無意識に使えるもの=技。ですから、最初は上手にほめることができなくても、練習をして数をこなしていくうちに無意識にほめることができる「技」となるのです。ほめるの技化です。







