日米プロ野球で発見した私の“トレーナー道”
2013年05月09日 公開 2024年12月16日 更新
《『PHPビジネスレビュー松下幸之助塾』2013年5・6月号Vol.11「一人一業・私の生き方」より》
ケガで陸上選手を引退、トレーナーの道へ
私の仕事人生の原点は、高校生のころのケガにあります。当時、私は陸上選手として将来を夢見ていましたが、ケガが多く、選手人生をあきらめざるをえなくなったのです。そのころお世話になっていた鍼灸師の先生の影響を受け、トレーナーという道を選びました。1990年のことです。
トレーナーという職業はすでにありましたが、選手やオーナーの知り合いなどで決まっていて雇用枠が少なく、現在と比べると閉じられた世界でした。私は、偶然にもオリックス・ブルーウェーブ(現:オリックス・バファローズ)に面接をしていただくチャンスがあり、採用に至りました。
トレーナーは、選手の身体ケアをするのが仕事です。プロ野球では鍼灸師がトレーナーをすることが多く、私も日本の大学で鍼灸を学んだのち、1997年から2001年までオリックスでトレーナーとして勤務。その後、アメリカのメジャーリーグのシアトル・マリナーズに職場を移しました。あこがれのスポーツ選手に接することができるため、トレーナーは若者たちのあいだで最近の「なりたい職業」に挙げられているようですが、実態はとてもハードです。
<中略>
日本人が世界で発揮できる「強み」とは
アメリカでは10年働きましたが、日本とアメリカを比較して、アメリカの方がすぐれているとは全然思いません。もちろん仕事のうえでは、アメリカのほうが楽な面も多々ありますが、日本人が思うほどアメリカばかりがすぐれているとも思えませんでした。
ただ、野球を興行面で見ると、日本よりもアメリカのほうがシステム化されています。日本には黒字の球団はほとんどないと言われていますが、アメリカのチームは興行的に成功しています。選手の年金も、日本は一度破綻しているのに対して、メジャーリーグでは選手会によって年金が運営されています。10年の選手登録があると、60歳以降死ぬまで年金が支給されるというのは有名な話です。
でも実は、野球の技術は、高校生までは日本が一番だと言われているんです。では、なぜメジャーにかなわないかというと、日本人は若いころの身体ケアが不十分で、活躍する前に体をこわしてしまうからです。高校野球では毎日連続で登板するエース投手がいますが、プロになってからも長期的に活躍するためには、得策とは言えません。
アメリカではリトルリーグのころから1日の投球制限が設けられています。つまり長期的に活躍するために身体をケアする、という意識や仕組みがあるんですね。野茂さんやイチロー選手など、日本人で長く活躍する選手には遅咲きの選手も多く、若いころに体を酷使しないほうがプロ生活を長く続けられるのかもしれません。この点でも、アメリカのほうがシステム化されていると言えます。
またアメリカ人がすぐれている点として、ハングリー精神も挙げられます。アメリカにはさまざまな人種がおり、特に中南米出身の選手には、自身の活躍が家族全員の生活を左右する人もいました。貧しい暮らしの中から自分の腕一本でのし上がった人たちには、強い覚悟があります。
そうでなくても、アメリカのように毎日選択に迫られる社会で生きていくことは、そもそも厳しいことです。選択の自由はありますが、選択による責任をすべて負わねばならない。日本人は「アメリカは自由でいい」と言いますが、自由の意味をはき違えているのではないでしょうか。厳しい環境でアグレッシブに生きるアメリカ人を見るにつけ、日本の子どもたちは大丈夫かなと思うこともあります。
一方、日本を離れたことで、日本人の強みにも気づきました。自身の専門性を最大限に高められる点です。日本には職人さんがたくさんいますが、1つのことを突き詰める才能を持っているのだと思います。
イチロー選手もそうです。彼は毎日同じ時間に起き、同じ時間に球場入りし、同じ時間にストレッチをし、同じ時間に同じものを食べていました。理由は、ヒットを打ち続けるためです。
ヒットは、さまざまなコンディションがからみ合って生まれます。球場の大きさも違いますし、天候も相手ピッチャーも違う。異なるコンディション下でいつも通りの結果を残すには、それ以外の要因のブレをなくせばよいのでは、とイチロー選手は考えたのです。もちろん同じご飯を食べても同じ体調を維持できるとは限りませんが、ブレを最小限にとどめることはできます。
でも1本のヒットのために、日々の生活をここまで犠牲にはできません。イチロー選手のヒットの要因を探るべく、多くのメジャーリーガーが私に秘訣を尋ねてきました。必ずイチロー選手の職人気質な生活をお伝えしますが、ほぼ全員が「1日ならまだしも毎日はできない」と答えます。さすがにイチロー選手ほどのレベルは私たち日本人も真似しがたいですが、1つのことに集中する気質は日本人のほうが備わっているように思います。
このような日本人の姿勢が、「道」という概念を生んだと思います。日本では茶道や華道、武道など、専門領域に「道」をつける傾向にあります。王貞治さんや野村克也さんなどは「野球道を究めた人」と言えるかもしれません。
「破」から「離」へ、自分の道を歩み続けたい
「野球道」を歩く人が、野球を仕事にしているとは限りません。プロ野球の世界から退いても、草野球チームでコーチをしたり、マネジメントの勉強をしてリトルリーグの監督をしたりする人もいますが、彼らはさまざまな形で自分なりの「野球道」を究めているのだと思います。このように自身が選んだ「道」を突き進むことができる点が、日本人の優位性だと思うのです。
武道の世界に「守」「破」「離」という言葉があります。人間の段階的成長や変化を表したものです。
「守」は師についてその流儀を習い、その流儀を守って励むこと
「破」は師の流儀を極めた後に他流をも研究すること
「離」は自己の研究を集大成し、独自の極地を拓いて一流を編み出すこと
(『武道論十五講』杉山重利編著、不昧堂出版)
道を究める人は「守」「破」「離」の成長段階をたどりやすいのでは、と私は考えています。たとえば私において「守」は、黒岩教授に治療法の何たるかを教わっていた時期です。解剖学や生理学を通じて、人間の体の構造を理解したのもこのころです。
オリックス時代も、多くの師匠の教えを乞うていたことを考えると、まだまだ「守」の段階といえます。当時私は、選手にたくさんのことを与えようと思っていました。いろんな治療やアドバイスでトレーナーとしての自己満足は果たせましたが、選手の成長につながったかといえばまた別の話です。
思い切って渡米したことが「守」から「破」につながったと思います。ちょうどイチロー選手がメジャーリーグ入りした2001年は、アメリカ同時多発テロが起こった年でもありました。一度違った目線で自分の仕事を見つめなおしたいと思っていた私は、当時「やらない後悔より、やった後悔のほうが納得できる」と考えました。
「たくさん与える」昔の手法も変わり、いまはほんとうに必要なポイントを1つだけ、伝えることにしています。たとえば昨今の選手は、栄養管理にも責任を持っていますし、トレーニング手法の勉強も怠りません。ただ情報がたくさん集まり過ぎて、「これはしちゃいけない」「あれはしちゃいけない」とアタマでっかちになる選手もいます。ですから足りないパズルを、そっと埋めてあげるのです。最終段階である「離」の段階にはまだ達していませんが、自分と向き合い慢心なく前に進めば、いつかはその時期を迎えられるような気がしています。
2012年のシーズンをもって、9年間お世話になったシアトル・マリナーズを退職しました。残念ながらプレーオフに出場することはできませんでしたが、たくさんの思い出ができました。10月3日、最後のゲームが始まる前に、選手たちの前でお別れのあいさつをさせていただきました。なかには私のことが必要だと涙を流してくれた選手もおりました。プロスポーツ界の仕事はアメリカではドリームジョブと言われ、あこがれの職業です。その環境に9年間身を置けたことを、とてもうれしく思っています。
日米のプロ野球界で16年を過ごしましたが、今後は別の世界に身を置く予定です。トレーナーという仕事は技術職で、日本人に合う「職人」の仕事なのですが、リーチという会社を通して仕事の形を少し変えようと思っています。どうも私は思考がいろいろと飛んでしまうので、エネルギーを一つのことに注ぎ込めないのです。
やりたいことの1つが、日本のフィットネス産業で働くインストラクターの教育です。日本のインストラクターは、就職したあとにあまり勉強しないんです。でも新しいメソッドや考え方は続々と生まれているので、それをキャッチしてセミナーを実施したり、実際にトレーナーを養成したりすることもできると考えています。
また気になるのが、介護の問題です。たとえば日本のお年寄りは、大腿骨を折った人の半分が一年以内に亡くなると言われています。運動する機会が減り、元気だったころに戻ることがむずかしくなるのだといいます。長生きするなら健康でいるほうが楽しいですから、シニアの方を対象に健康講座などを行なってもよいかなと思っています。
やりたいことはたくさんありますが、少なくとも「身体をケアする」という“トレーナー道”はそのままに、みずからの道を邁進しようと考えています。
<取材・構成:齋藤麻紀子>
☆本サイトの記事は、雑誌掲載記事の冒頭部分を抜粋したものです。
<掲載誌紹介>
『 PHP Business Revew 松下幸之助塾』 2013年5・6月号Vol.11
発売日:2013年4月27日
価格(税込):1,000円
<今回の読みどころ>
5・6月号の特集は「日に新たな発想」。古今東西を問わず、リーダーの多くは「新しい発想」や「新しいことへの挑戦」を重視する。松下幸之助も、会社の業容が大きくなるにつれて、「きょうもまた本日開業の心持ち」でいる姿勢を事あるごとに社員に求め訴えていた。
とは言うものの、新しさを追い求め続けることは簡単ではない。本特集では、「日に新た」の思いに徹し、柔軟な発想のもと、それぞれの仕事に挑戦している達人たちに、その取り組み方を学ぶ。
そのほか、元松下電器副社長で日本テレネット取締役相談役の佐久間曻二氏が松下幸之助から学んだ商売の本質を語る講演録や、米大リーグ・シアトル・マリナーズでトレーナーを務めイチロー選手や長谷川滋利氏などとも交流のある森本貴義氏が「トレーナー道」を記した記事も、読みどころ。