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義に死すとも不義に生きず。松平容保と会津武士の高潔な心

松平保久(会津松平家14代当主)

2013年06月14日 公開 2024年12月16日 更新

義に死すとも不義に生きず。松平容保と会津武士の高潔な心

「愚直」。

会津松平家十四代・保久氏は、曾祖父にあたる松平容保について語る時、その言葉を用いるという。
藩祖・保科正之の定めた家訓を重んじ、損な役回りを承知で京都守護職を引き受け、幕府と天皇に尽くした容保。
そこには愚直ともいうべき真っ直ぐで真面目な心があった。
会津の人々と松平家が継承する「会津のDNA」とは何か。
 

培われている「会津のDNA」

私の父(会津松平家13代・保定氏。松平容保の孫)はサラリーマンでしたが、「松平家があるのは、すべて会津のおかげである。ゆめゆめ足を向けて寝てはならない」と事ある毎に言っていました。

毎年、5月上旬に行なわれる土津神社(会津藩初代保科正之公の墓所)と院内御廟(会津藩主松平家墓所)のお祭りは、私が物心ついた頃から何がなんでも行かなければいけない行事でした。神主さんが祝詞をあげて参列者が遥拝する非常にシンプルなお祭りですが、地元の、特に松平家奉賛会、青年会議所をはじめ多くの皆さんが、数日前からお墓の掃除など準備をして下さっています。他にも毎年、9月下旬に行なわれる会津まつりに参加させていただいていますし、それ以外にも、何かにつけて会津を訪れています。私ども松平家と会津の方々との絆に見るようなつながりは、今の日本には、そうそうないのではないでしょうか。

幕末の会津藩主であった松平容保公の決断によって、会津の方々は言葉では語り尽くせないような辛い境遇に置かれたわけですから、「松平家のせいで我々は酷い目に遭った」と言われても仕方ないと私は思います。にもかかわらず会津の方々からは今も親しくしていただいていますし、幕末の会津の歴史を、若い方々も含めて皆さんがとても誇りに思って下さっている。本当にありがたいことです。

会津の方々と私ども松平家には、「会津のDNA」が培われているように思います。それはやはり教育の賜物でしょう。明治以降も会津の大人は子供たちに「会津はこういう心を大切にしてきた」「戊辰戦争ではこんな辛いことがあったが、ご先祖様たちは誇りを持って立派に戦った」としっかり語り継いでこられた。その中で自然に「ならぬことはならぬ」「人間は損得勘定で動くべきではない」ということも伝えられてきました。

私も幼い頃より、父から「容保公のご苦労を思え」と、折に触れて言われました。たとえば高校生ぐらいの頃に少しやんちゃなことをしたりすると、父が夜中でも起きて待っていて「おじいさま(容保公)に顔向けができない」と説教が始まる。その時は辛くとも、このような教えは年を経れば経るほど効いてくることを実感しています。

会津の多くの方々も、「ご先祖の苦労があればこそ今の自分がある」という教えをしっかりと伝承されてきている。学校教育でも、かつての「什の掟」の現代版のような「あいづっこ宣言」を子供たちに暗誦させたり、剣舞や薙刀などにも力を入れています。もちろん子供たちも最初は「面例くさい」と思うかも知れません。それでも将来、必ずや何か気づくことがあるはずです。このような教えにより、会津では「義に死すとも不義に生きず」という人間としての矜持を重んじる気風が受け継がれてきたように思うのです。

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松平容保公の愚直さと、松平家にとっての「会津藩家訓」

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