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生き方

品格ある男になれ~凛とした男の生き方

川北義則(生活経済評論家/出版プロデューサー)

2013年08月01日 公開 2022年11月10日 更新

品格ある男になれ~凛とした男の生き方

決断ができない、言い訳が多い、海外へ飛び出さない……。近年、"男性が劣化した"と言われて久しい。なぜ、日本の男たちはかくも弱々しくなったのか。凛とした力強さを身につけ、「みっともない大人」にならないためのヒントを川北義則氏に伺った。

※本稿は、『凛とした男の生き方』(PHP文庫)の内容を、一部抜粋・編集したものです。

 

男にいま必要なのは「勇気」である

戦後の日本男児が失った大きなものの1つに「勇気」がある。

私たちは、子供時代から「男の子でしょ」と勇気を無理強いされたものだ。つらかったが頑張っていると、小さな成功を体験できた。それが積み重なって、だんだん勇気がもてるようになった。いまは、そういう教育が行われていない。

「勉強しなさい」とか「仲よくしなさい」とはいわれるが、「勇気をもて」とはめったにいわれない。だから、大人になるまで、清水の舞台から飛び降りるような勇気を奮ったことのない人間が大勢いるはずだ。

誘っても断られるのが怖いと、女の子にデートを申し込めない男子に欠けているのは、勇気なのである。

最近、出世を望まない若者が増えている理由を、リクルートでは「(出世をすると)責任だけが増え、自分のやりたいことができなくなる。出世してもいいことがない」からだと分析しているが、はたして本当なのだろうか。

本音は出世したいのに、責任をとりたくない。そんな弱虫社員の屁理屈のようにも聞こえる。

なぜなら、勇気ある生き方とは、自分で責任をとる生き方だからである。自分がしたことの責任は自分でとる、という覚悟さえすれば勇気はもてるようになる。

勇気は一般的には「物事を恐れない強い心」と理解されているが、私の考える勇気は、言葉や行動に表されたものでなければならない。

勇気は、とかく外見の「勇ましさ」を想定しがちだが、そういうものでもない。本当の勇気とは、むしろ静かで平和で、人の目に触れにくい。しかし、自信と確信に満ちたものである。

また、勇気には「いう勇気、いわない勇気」がある。これを履き違える人が最近は多い。どんなことも平和裏に収まるに越したことはないが、男たるもの、ときに相手の耳に痛いことでも、きっちりいう勇気をもつ必要がある。

メールが盛んになって、対話機会は増えているが、はたして真に好ましいコミュニケーションができているのか。いいたいことをいわないで、いわなくてもいいことをいっているのではないか。

一度、じっくり点検してみる必要があるだろう。いくら頻繁にメールをやり取りして、表向きはうまくいっていても、お互いに成長できないような関係では、実のある対話が成立しているとはいえない。

子供たちの世界で、陰湿ないじめに携帯が利用されているという話も聞く。そういうとき、「そんなことはするべきでない」と勇気ある発言のできる子が、どれだけいるのだろうか。

大人も同じである。たとえば「政治とカネ」で、とやかくいわれている政治家が、自分が起訴されなかったことだけを強調して、「自分は一点の曇りもない」と言い張っていたりする。

しかし、秘書が3人も逮捕され、有罪判決を受けている。そうだとすれば、法律的には限りなく「灰色の不起訴」である。「一点の曇りもない」はいくら何でも図々しい。それなのに、誰も突っ込もうとはしない。こういう勇気のなさが、曇天のうっとうしさを醸し出している。

誰かがちょっと勇気をもって発言すれば、たちまち同調者が増えて世論を形成する。それによって、いくらでもよい方向へもっていけるのに、貴初の一言を言い出す勇気ある人間がいない。

そういう人間の出現を待っているのではなく、自分がその最初の人間になる努力をしてみようではないか。

勇気には「始める勇気、やめる勇気」というのもある。自分では始めたいのに、周りの人間の言葉や評価が気になって、始められていないことはないだろうか。

やめたいと思っているのに、同じ理由でやめられないでいることはないか。この点も見直してみる必要があるだろう。それによって世の中は大きく変わる。

「家族、友人、祖国、すべての人間に尽くせ。むら気、女々しい弱さと戦え。勇気を持て。強くなれ。つまり男になれ」(アミエル/スイスの哲学者)

 

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