【連載:和田彩花の「乙女の絵画案内」】 第8回/ルブラン『薔薇を持つマリー・アントワネット王妃』
2014年01月10日 公開 2024年12月16日 更新
エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン(1755-1842)
18世紀で有名な数少ない女性画家の1人。1755年、パリにて画家の父、ルイ・ヴィジェのもとに生まれる。父を早くに亡くしたのち、父の友人画家たちから薫陶を受け、10代から本格的に肖像画を描き、家計を支えた。76年に画商と結婚し、娘を授かる。フランス国王ルイ16世の王妃、マリー・アントワネットの肖像画を描いたことで名を馳せ、王立絵画・彫刻アカデミーに入会。その後、フランス革命の煽りを受けて欧州各国を旅行し、その名声を一層高める。晩年は画業から引退。回顧録の執筆に専念した。
マリー・アントワネットの宮廷画家
私がルブランに初めて出会ったのは、2011年の春、三菱一号館美術館で開催されたヴィジェ・ルブラン展でのことです。
まだ絵にハマりはじめたばかりのころで、ルブランが描く服の透明な質感に圧倒されました。こんなにかわいい服を着た絵があるんだということと、絵でここまで描けるんだということに、びっくりしてしまったんです。
日本が生んだロリータファッションも、もともとはマリー・アントワネットやロココ芸術に憧れた、日本のデザイナーの人たちがつくりだしたものだそうです。私も絵を観た瞬間、そのかわいさに夢中になっちゃいました。
マリー・アントワネットは、日本でもとても人気の高いお姫様です。フランスのルイ16世のお妃なのですが、この絵を知るまではほとんど知識がありませんでした。
フランスのお姫様といえば、フリフリのドレスを着て、いつもお茶を飲んでいるイメージ。かわいいものに囲まれて、すてきな生活をしているんだろうな、と思っていました。
しかし、オーストリア王家からフランス王家へ、のちのルイ16世に嫁いできたマリー・アントワネットの38年という短い生涯は、激動だったようです。
優雅な生活を送っていたのに、フランス革命で運命が一変してしまいます。最後は裁判で死刑の判決を受け、ギロチンで処刑されてしまいました。
ルブランが彼女の肖像画を描きだしたのは、マリー・アントワネットが27歳か28歳のころ。フランス革命より前のことです。
いずれ迎える悲劇とは無縁の平穏な時期に、18世紀を代表する女性宮廷画家によって、もっとも美しい姿を永遠にとどめてもらったのです。それもまた、マリー・アントワネットの運命だったのかもしれません。
もしも“宮廷アイドル”だったら
ルブランは、マリー・アントワネットのお気に入りの画家でした。ですから、彼女の肖像画や子供たちの絵を何点も描いています。『マリー・アントワネット王妃と子どもたち』(ジャン・ド・ベアルヌ伯爵蔵、左図)なども有名ですね。
私は宮廷画家という存在を、ルブランをとおして初めて知ったのですが、どんなふうに宮廷で絵を描いていたのだろうと興味がわきました。
雇い主がいるので、自分が好きなようにはできないでしょう。頼まれたものしか描けないし、そこに自分の意志を入れると怒られて仕事を失ってしまうのかな? と心配になっちゃいます。
お金や名誉は、まちがいなく手に入るでしょう。でも、自分の好きなことはできません。
もし“宮廷アイドル”が存在するとしたら……私ならお断りしてしまいそうです。
でも、ルブランはプリンセスという存在が大好きだったんじゃないかな。だから、その象徴だったマリー・アントワネットそのものが、ルブランは好きだったんだと思います。
実際、マリー・アントワネットとルブランは、仕事の発注者と絵描きという関係を越えて、友人のようだったともいわれています。
私が宮廷画家だったとしたら、お城のなかに隠された秘密をひっそりと描きたくなってしまうかも。
でも、描く対象がルブランにとってのマリー・アントワネットのような存在だったら、その人のいちばんきれいなシーンを描いてあげたいなと思います。
それは、新しい服を着ている場面かもしれないし、戴冠式などの公的な場面かもしれない。もしかしたら、寝起きとかの日常の光景になるのかもしれません。
ルブランの描いたマリー・アントワネットの肖像画を観ていて感じるのは、2人のあいだの信頼感。
ルイ16世の王妃として、フランス革命で民衆の怒りが向けられたマリー・アントワネットの、妻として、母として、そして一人の女性としての美しさがそこには描かれているんだと思います。
マリー・アントワネットの着ている服はほんとうにきれいで、透明感にあふれた繊細なレースなど、本物を見ないでもそのすばらしさは十分に絵から伝わってきます。
バラを手にもっていますが、宮廷のバラ園で描かれた絵なのでしょうか。バラは育てるのも難しいし、きっとこの時代の貴族ならではの豪華な暮らしを象徴しているんでしょうね。
ふつうの人には手に入らないようなきれいな服も描けるし、お城のなかでの非日常的な光景も絵にできる。
それは画家にとっては、とても大きな魅力でもあるのでしょう。
でもそれ以上に、ルブランはマリー・アントワネットのことが好きだった。それが、この絵を描いたいちばんの理由だったんじゃないかなと思います。
美しい肖像画の描き方
これまでは、男性画家が描いた女性の絵ばかりを観てきましたが、ルブランの描くマリー・アントワネットは、これまで観てきた女性たちよりずっときれいだなあと感じます。
やはり、女性のことは女性がいちばんわかっているのでしょうか。
女の人だったら、どこをどうやって描いたら本人がいちばん喜んで、きれいに見えるかがきっとわかります。この絵も、肌がとてもきれいです。
指も身体のスタイルも、見せ方をちょっと変えるだけで、見違えるようにきれいになる。そんな演出を、マリー・アントワネットのためにルブランはきっとしているはずです。
女性ならではの感覚をもった宮廷画家ルブラン。だからこそ、ルブランはマリー・アントワネットに愛されたのでしょう。
私がマリー・アントワネットでも、そんな相手だったら「そこをちょっと隠しておいていただけないかしら」みたいな感じで、素直にお願いしてしまうと思うんです。でも、それはほんの少し、1ミリレベルの違いであることが大事。自分とあまりにも違ってしまったら、描かれた自分がいちばん嫌になってしまいますから。
ルブランは、自画像も描いているんですよ。左の『自画像』(ウフィッツィ美術館蔵)を観てもわかりますが、とてもかわいい!
ルブランがかわいかったことも、マリー・アントワネットに愛された理由のひとつかも。女性も、かわいい女性が大好きですから。
画家は自画像を描くことが多いですが、肖像画家であるルブランにとっては、自画像はこんな絵を自分は描けるんだぞ、という究極のプレゼンテーションだったんだと思います。
その画家がどんな絵を描いたかということからも、いろいろなドラマが見えてくるのが絵画鑑賞の楽しみのひとつです。
絵画で歴史は変えられる?
肖像画が名作として後世まで残るには、画家がその依頼主をどれだけ理解しているかも大事なんだと思います。
もし私が画家だったら、スマイレージのメンバーやアイドルをモデルに描くのが、いちばんよいのかもしれませんね。
ルブランの依頼主が、フランス革命という激動の時代の中心にいた人物だったために、その後のルブランの運命は大きく変わってしまいました。
フランスから亡命し、イタリア、オーストリア、ロシアを転々としながら、貴族や王室の肖像画を多く描くことになります。
私とはまるで違うルブランの人生。そして、ルブランによって描かれたたくさんの上流階級の人たち。
マリー・アントワネットは、フランス革命では民衆の憎しみの対象だったわけですが、ルブランが描いた彼女の絵を、民衆が観ていたらどうなったでしょうか。
その日のパンを買うことも大変だった民衆の暮らしのなかで、より憎悪の対象となったのか。それとも、彼女の美しさや母としての優しいまなざしが、王室と民衆の溝を少しでも埋めることにつながったのでしょうか。
それはだれにもわからないことです。でも、もしかしたら時代が変わっていたかもしれません。
そんなふうに絵を観ている人に思わせる、画家と依頼主のあいだにあった濃密な空間を想像することは、現代に生き、歴史を歴史としてしか見ることしかできない私たちにとって、十分に意味のあることだと思います。
<著者紹介>
和田彩花
(わだ・あやか)
1994年8月1日生/A型/群馬県出身
ハロー!プロジェクトのグループ「スマイレージ」のリーダー。
2009年、スマイレージの結成メンバーに選ばれ、2010年5月『夢見る 15歳』でメジャーデビュー。同年の「第52回輝く!日本レコード大賞」最優秀新人賞を受賞。近年では、SATOYAMA movementより誕生した鞘師里保(モーニング娘。)との音楽ユニット「ピーベリー」としても活動中。高校1年生のころから西洋絵画に興味をもちはじめ、その後、専門的にも学んでいる。