企業に「成功」などない!
2014年01月07日 公開 2023年01月11日 更新
道徳と経済とのバランスを考える
ところが現代社会においては、人々に幸せになっていただくという目的を忘れ、あるいは二の次にして、急成長すること自体が目的となっている企業が多いように思われます。短期間で売上を伸ばし、社員を増やし、株式を公開し、会社の時価総額を上げていくことにばかり注力する経営者もいるくらいです。そういう人たちの中には、乗っ取りだろうが何だろうが、手段を選ばず「力の論理」で会社を大きくしていく人もいます。
経済を扱うマスコミにも、短期間で会社を急成長させた経営者を称賛する傾向があります。まるで時代の寵児であるかのごとく扱われ、有頂天になり、足元を見失って転落した経営者を、私たちは何人も見てきました。
成功でもないのにみずから成功したと思い込んで増長したり、周囲がもてはやしたりするから、おかしなことになるのです。
昨今の株式市場のあり方にも、私はやや問題があると見ています。株式売買を活発化させて手数料で儲けようとする証券会社と、できるだけ株を安く買って高く売り抜けようとする投機的な投資家、そしてそんな投資家の顔色をうかがう経営者たちによって、株式市場が本来あるべき姿から離れているように思われてならないのです。
投資とは、投資家が株を買って資金を提供することで、その会社の経営を応援するのが元来の目的のはずです。集まった資金をもとにして事業が発展し、幸せが増大した会社は、配当という形で投資家に報いるのです。つまり、投資家と株式を上場した会社が互いに幸せを増幅していく「ウイン・ウイン」の関係が成り立たなくてはなりません。当然、その会社を応援しているのですから、よほどの事情がないかぎり株を手放すこともないはずです。
これに対し、利ざやを狙って「生き馬の目を抜く」ように株式売買をくり返す人がたくさんいます。もちろん、より多くの金銭を楽に手に入れようとする「我利」の行動にすぎません。そういう人たちが無茶な要求をつきつけるなどして、企業が振り回されてしまったら、社員や顧客にとっていい経営を続けるのが困難になるでしょう。
いずれにしても、会社の急拡大や利益追求を第一義として、人間の幸せや快適さの追求という本来の目的を忘れている人や会社が、少なからず存在していると言えるのではないでしょうか。
だからと言って、人の幸せばかり考えて、お人よしの経営を行えばいいというわけではありません。利益の薄い奉仕のような仕事をし、ときには赤字の仕事まで引き受けて、社員の給料がまともに払えなくなるようでは、そもそも経営が成り立っているとは言えません。そんな会社は早晩、資金繰りが悪化し、いずれ倒産してしまいます。
こうしたことを考えるとき、私は二宮尊徳の言葉を思い出します。
「道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である」
経営者はすべからく、この意味をしっかりと胸に刻んで行動しなければいけないと考えています。急成長をめざして行なった設備投資が過剰投資になって経営を圧迫したり、好況時に雇い入れた人員を不況時に解雇したり、どこよりも安く売ろうとして仕入れ先を苦しめたりするのは、まさに「道徳なき経済」そのものです。たとえ法律に違反していなくても、多くの不幸を生むのは罪深いことであると言わざるをえません。
反対に、道徳的なことばかり主張して、経済的な裏づけがないのも困りものです。いくら口ではいいことを言っていても、社員とその家族が生きていくための最低限の利益を確保できなければ、単なる戯言と片づけられてもしかたがないでしょう。
理想の会社とは、製品およびサービスの提供や諸活動をとおして、社員も顧客も仕入れ先も地域も幸せにしながら、しっかりと適正な利益を確保し、着実に成長し続けられる会社のことです。進歩し続ける世の中にあって、現状維持は退歩しているのと同じです。拡大主義という意味ではなく、地に足がついた状態で常に成長していくのは、企業にとって非常に重要なことだと考えます。
道徳と経済を両立させた理想的な会社をつくっていくために必要なのは、「経営スキル」です。すぐれた経営スキルがあれば、厳しい状況でも活路を見出し、企業を成長に導くことができるはずです。