ザックJAPAN、ブラジルへの道
2011年03月28日 公開 2022年08月17日 更新
時にリスクを厭わない哲学
ザッケローニを“3―4―3システムの信奉者”と考えている人はいまだに多い。たしかにウディネーゼ、ACミラン時代の彼は、その攻撃的な布陣を軸にセリエAに大旋風を巻き起こした。98―99シーズン、ACミラン1年目でのスクデット(セリエA優勝)は、彼が3―4―3で手に入れた“最高の戦利品”といっても過言ではなかろう。
ただ、ここ10年間、彼はその布陣にこだわりつづけてはいない。彼自身、「ミランを離れてからの10年間で、3―4―3を積極的に採用したのはインテル時代の数試合のみだ」と語っており、その後は4―3―3、3―5―2などさまざまなシステムを試している。そして今回のアジアカップでは、南アW杯で岡田武史監督が用いた布陣をそのまま受け継ぐかのように4―2―3―1を基本システムとして戦った。
ザックをよく知る人びとに話を聞くと、ほとんどの人が「彼は戦術マニアだ」という。ただ、彼自身にシステムの話を振ると、多くの場合、表情を曇らせ、話を逸らしてくる。今回も同様だった。決勝翌日の囲み会見で「今後もしばらく4―2―3―1でいくのか?」という私の質問に、彼は「今後もエクイリーブリオとコラッジョをもって戦っていくだけだ」と答えるのみだった。
バランスと勇気……。ある意味では相反する言葉である。彼の意図を完全にくみ取ることはできないが、「バランス=安定感」と考えれば、攻守に安定したチームをつくりたいという意味だろう。一方、勇気とは「リスクを冒しても時には勝負をかけていく強い気持ち」のことだろうか? つねにチームのバランスを意識しながらも、勝負どころでは勇気をもって攻めのサッカーをする、あるいは守りに徹する。エクイリーブリオとコラッジョ……。指揮官は、またも私を煙に巻いた。
ザックのバランスという言葉を解く鍵は、中盤、つまりミッドフィールドではないかと私は思っている。彼の戦術の話になると、すぐにバックラインと前線のことに話が行きがちだが、じつはザックが最も重んじているのは「中盤の制圧」である。ドーハでも「大事なのは中盤」という言葉を何度も口にしていた。
DFラインがチームを下から支える両足、FWがボールをゴールに送り込む両手とするならば、中盤はチームの胴体である。胴体がしっかりしていなければ、身体全体がうまく動いていくはずがない。指揮官が、バランスをチームの胴体、中盤を軸に作り上げようとしていることは明らかだ。
現在の代表のレギュラー陣で“純粋な意味での”MFは、もしかしたら長谷部誠と遠藤保仁の二人だけかもしれない。しかし、いわゆる2列目の3人(本田、香川真司、岡崎慎司)も状況に従ってMFとしてプレーできる。また、長友、内田篤人の両サイドバックのレギュラーも、積極的なオーバーラップでサイドMFもこなせるタイプのプレーヤーだ。つまり、現在のザック・ジャパンの中盤は、非常に密度が濃いと考えうる。胴体がしっかりしていれば、当然チームとしてのバランスは強固なものとなる。
「戦術マニア」といわれるザッケローニだが、意外にメンタリティーの重要性に言及することも多い。その根底には「リスクを冒さなければ上には行けない」という彼の哲学があるように思う。
彼はいってみれば、何もない場所からイタリアを代表する指揮官の一人になった男である。のし上がってくる過程では、時に大胆な策を講じ勝負をかける必要性に迫られたこともあったはずだ。あるインタビューでの彼の言葉が、そのことを如実に物語っている。「勇気は必要だ。カジノで少額ばかり賭けていたら、大きなリターンは期待できない。それは、ゲームを楽しめない者がやる博打だ。私はセミプロリーグからキャリアを始め、ここまでたどり着いた。そのためには、リスクを冒すことも必要だった。その点で私は妥協したことはない」。
繰り返すが、重要なのはバランス(安定性)と勇気(リスク)の共存だ。その二つがいいかたちでシンクロしたとき、ザックのチームは機能する。少なくとも指揮官は、強くそう信じているにちがいない。
宿敵韓国との準決勝、決勝のオーストラリア戦、ザッケローニはそれぞれMF細貝萌、FW李忠成をピッチに送り込み、ある意味、チームのバランスを崩すことで勝負に出ている。そしてその二つの賭けはみごとに当たった。時にリスクを厭わない勝負師らしい、大胆な決断だったといっていいだろう。
テンポはまだ十分にある
最後のキーワード、それは「時間」である。ACミランのベンチを追われて以降のザックは、“便利屋”“つなぎ役”の地位に甘んじることが多かった。ラツィオ、インテル、ユヴェントスではシーズン途中からのいわゆる“継投”であり、初めから指揮を執ったトリノでの06―07シーズンにしても、就任が決まったのは開幕の数日前だった。つまり、ACミラン以降の4チームでは、ゼロからチームづくりをする「時間」がほとんどもてなかったのだ。
ザッケローニが初めてプロチームを指揮したのは、84年、4部リーグに所属していた故郷のチーム、チェゼナーティコであったが、当時GMを務めていたブルーノ・ロッシ氏がこんなことをいっていた。「アルベルトは、いわゆる“教師タイプ”の監督だ。選手たちに丹念に自分の考えを説明し、それをピッチ上で徐々に実践させていく。チームづくりにある程度の時間を必要とするタイプなのだよ。間違っても強烈なカリスマ性や奇策で、危機に瀕したチームの“火消し役”になるタイプではないと思う」。
実際、それは指揮官のキャリアにおいても証明されている。セミプロリーグでの下積み時代のいくつかの例外を除けば、ザックはシーズン途中から就任したチームでほとんどよい結果を残していない。
彼と日本サッカー協会の契約は2年だ。もちろん、そのあいだに好成績を残せれば、2014年ブラジルW杯までの契約延長も考えられる。つまり……テンポ(時間)は十分にあるのだ。
おそらく、ザックは今回のアジアカップで彼の新しい教え子たちの特性をかなり把握できたはずである。時間をかけて、バランスと勇気、そして一体感を備えたチームを作り上げていく。彼の本当の仕事が始まるのは、これからだろう。
彼はこうもいっている。「重要なのは自分が進む道を信じることだ。信じずに正しいことをするより、結果的に間違っても信念を貫いたほうがいい。究極的には、戦術など二の次なのだよ」と。
ピッチ上では、まだ日本の優勝を祝うセレモニーが続いていた。表彰台で選手と抱擁し合うザッケローニの顔は、優勝が決まった直後の興奮した表情から典型的なロマニョーロ(ロマーニャ地方の人の意味。ザックは同地方の出身)の穏やかなそれに変わっていた。
気がつくと私は、スタジアムの明かりに照らされたドーハの夜空を見上げていた。この空はブラジルへとつながっているのだろうか? テンポはまだ十分にある。